ある精神病患者との接見メモ

元ネタ:沙耶の唄 状況:『取り戻した』END

 唐突な質問で申し訳無いけど――――お前は、ある日突然『世界が終わってしまったら』どう思う?
 
 ……あぁすまない、質問が正確ではなかったね。確かに、『本当に世界が終わってしまったら』世界が終わった事すら知覚出来ないのだから。
 では、改めて問おう。『自分の知る世界が唐突に消えて、突然見知らぬ異界に放り出されてしまったら』どう思う?しかも、その世界は随分と自分にとって異質極まりなく、到底理解も出来なければ許容も出来ない……そんな世界でありながら『本質的には以前と変わらない世界』……そして、そこから逃げ出す手段も無く、ましてや元の世界に戻る方法など想像も付かないとすれば、お前はどうする?
 
 ……ん? どういう意味かって?
 つまりだね、見るもの・聴くもの・嗅ぐわうもの・触るもの・味わうもの……その全てが悉く異質であり奇怪な代物であるにも拘らず、それは以前と変わらないものなんだ。『まるで肥溜めの様な臭いに満ち、腐肉の様な質感に溢れ、硝子を引っ掻くような音を発する物体が知人として登場する』だとか、そんな世界だと思ってくれれば判り易いかな。小説で言えばラヴクラフトの「The Outsider」の真逆の様な……自分以外の全てが混沌の異形であるにも関わらず、それが正常だとして世界が回っている。そして、ある日突然それを見せ付けられる……そういった話だよ、コレは。そうだな、判りやすく言えば手塚治虫の「火の鳥/復活編」が一番近い状況かもしれない。僕自身、己の境遇をあの作品に例えた事があったしね……いや、あったのかな。あったかもしれない。
 
 よく理解出来ない、想像も付かない、何を言っているんだこの狂人は……そう、考えているのかな。
 確かに僕は狂っている……『狂っていた』のかもしれない。いや、今も尚『狂っている』のだろう。世間的に見れば、僕は三……いや、四人の人を殺した大量殺人犯……しかも、殺した人間を捌き、喰らった、人喰いなのだから。狂人でないとすれば、当の昔に十三階段を登って首を括っている様な凶悪な犯罪者だ。その点については、僕も否定はしない。確かに僕は人を殺し、喰らっていたのだから。
 
 何故? 何故、とは?
 それは『何故、人を殺したのか』? それとも『何故、人を喰ったのか?』
 ……違う? それじゃ、何を問いたいんだい?
 
 『何故、死を選ばなかったのか?』……あぁ、そうだね。確かにその通りだ。普通、そんな世界に突然放り出されたら――しかも、そこから抜け出す事が不可能だと理解してしまったのならば――誰だって死にたくなるのが自然だろう。さっきも言ったように『元の世界に戻れず、さりとてそこから逃げ出す事も出来ない』訳だ、普通なら絶望の果てに自殺したって何の不思議も無いだろうさ。かく言う僕自身、最初のうちは驚愕し、恐怖し、諦観し、絶望し……どうすれば楽に死ねるのか、そんな事ばかり考えていたしね。
 
 だけど、そんな時に『彼女』に出会ったんだ。唯一、『以前の世界』の名残を僕に教えてくれる、『彼女』が。『彼女』だけが、僕に人の温かさを/匂いを/肌触りを/声を伝えてくれた。『彼女』だけが僕にとって人であり、世界であり、真実だったんだ。『異質な世界に取り残された一人の青年と少女』……まるで小説か映画か、はたまた漫画かアニメの様だけどね。
 でも、現実はそうじゃない。あくまで、『現実は非情で』あったのさ。相変わらず僕の目に映る世界は異質なままで、にも拘らず正常な人間として映る『彼女』は……そう、簡単な話だよ。
 
 『彼女』は人間じゃなかった。
 
 実際、『彼女』が何者だったのか……今も、僕には判らない。『彼女』の本当の姿すら、僕には判らない。
 『彼女』が探していた『彼女』の『父親』である奥涯教授であれば色々と詳細を知っているのかもしれないけど、結局会う事は無かったしね。『彼女』は今も探しているらしいけど……どうなんだろう、人がそう何年も完全に行方を晦ますのは本当に難しい事だろうから。海外にでも居るのか、別人として生きているのか、それとも……もう居ないのか。
 
 まぁ、そんな事はどうでもいい。勿論、『彼女』が『父親』と再会して『元居た場所に帰る事が出来た』のならば喜ぶべき事なんだろうけど。
 



 
 「しかし……お前も、本当に馬鹿だよな。」
 彼がいつもの様に投げやりな声を掛けて来る。
 「ほっとけ。」
 「だってそうだろう、僕はお前の恋人を殺して喰った狂人だぞ?
  普通の人間なら、怒り狂って仇討ちにするとか或いは二度と関わらない様にするとか、そうするんじゃないのか?」
 「……かもな。」
 「だろう? にも拘らずお前はこうして僕の元へ通いつめている。そりゃあ、精神科医の仕事だと言えばそうなのかもしれないけどさ。
  お前は別に精神科医を志していた訳でも無いし、仮に『あの後』に何らかの理由で精神科医にならざるを得なかったとしても、態々僕に関わる必要も無いだろう――――なのに、何故、そうも僕に構うんだ?」
 「………………」
 「やっぱり復讐でも考えているのか?
  それとも、僕の境遇を嘲るつもりだとか?
  ――――別に答えたくないのなら、無理にとは言わないけどさ。耕司。」
 
 久し振りに聴く友人が己の名を呼ぶ声は、あの頃と殆ど変わっていなかった。
 幾分、以前よりも深く沈んだ声になっているのは『ここ』での生活故だろうか。
 何にしても『以前と同じ声』で話し掛けてくれる彼が、今の自分にとっては随分有り難い。
 「……その、どちらでも無いさ。」
 友人――匂坂郁紀――の問い掛けに応える自分の声も、多分彼にとっては俺と同じく『以前と同じ声』なのだろう。
 ……そうあって欲しい。
 「じゃあ、何故?」
 郁紀は尚も食い下がってくる、彼にとっては本当に不思議なのだろう。
 (確かに、己の恋人を殺されて喰われた男が、殺して喰った男の『治療』をするなんて……それこそ、小説や映画でも有り得ないだろうしな。)
 「単純な話さ……俺も、『お前と同じ』だからだよ。」
 「同じ?」
 「そう、『見知らぬ異界に一人放り出されてもがいている』のさ、今の俺は。」
 今の自分は、多分苦虫を纏めて噛み潰したような顔をしているのだろうなと、ふと思った。
 

 
 耕司のあの台詞は何だったのだろうか。
 
 単に治療の一環として僕の共感を惹く言葉を発しただけなのだろうか、それとも本当に『以前の僕と同じ』様に世界が醜悪に歪んで見えているのだろうか……いや、そうではあるまい。『一人でもがいている』のならば、あんな世界に耐えられる筈も無いし、増してや医者として社会生活を営むなど不可能だろう。
 では、何かの比喩なのだろうか。何らかの事情で『見知らぬ異界に一人放り出されて』しまっており、その状態が『以前の僕』に共通するものがある、という事なのだろうか……判らない。
 
 まぁ、何にせよ僕の知るところでは無いだろう。
 僕にとっての世界はこの白く切り取られた空間だけ。僕が取り戻した……取り戻してしまった世界は『ここ』だけなのだから。
 外で何があろうとも、今更どうと言う事も無い。
 
 ただ、僕に出来る事は待つだけ。
 『彼女』が孤独に苛まれ、打ちひしがれてしまった時に、頼ってくれる事だけを信じて。
 
 それだけが唯一、今の僕に許された、僕だけが出来る事なのだから。

後書き

 投げっぱなしジャーマン。何があったんだ我らがいどまじん。(書いた本人のお前が言うか。)
 まぁ、多分『本編の『もういらない』以降とは別枠で沙耶と関わってしまって、涼子先生と共に邪神ハンターしている』と妄想はしていたりするけど、書き切る自信は無いので、投げっぱなしで放り出して締めてみた……切りのいい話を書くの、本当に苦手だよな俺。精進あるのみ。