劉禅は名君か暗君か? 適当にまとめ その1
引用元スレッド
進んで国を滅ぼしたのではない時点で、暗君とは言い難い
1 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/17(水) 17:32:22
劉禅は、名君なのか暗君なのか?
2 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/17(水) 17:37:09
名君だろ。大きな失敗は私情に駆られた呉攻めくらいか
11 名前:2[sage] 投稿日:2006/05/17(水) 20:28:33
ごめん。劉備と見間違えた
100 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 21:54:17
読み返して気になったんだが
>>2の私情にかられた呉攻めって何なんだ?
101 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 21:55:04
>>11
102 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 21:55:18
と思ったら>>11に答えが
104 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 21:58:42
まあ、>>11の意見は全く間違っちゃいないんだが、
「何ファビョってんの?」みたいな、イリョウの戦いに
熱いものを感じない、正史でも劉備って熱い漢だと感じない輩は嫌いだ。
106 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 22:01:37
なんだかよくわからんが、劉備は熱い男だと思うよ。
107 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 22:06:17
あれ? 劉備ってクールってのが定評なんじゃ…
一代で天下を三分する勢力の一角を築き上げた親父と比して、 その国を滅ぼした為政者として評判悪く描かれる事が多い劉禅。 白帝城で親父自ら遺言で『無能だったらお前(孔明)が簒奪しておk』と言われてしまう始末。 尤も、これは本心なのか諸葛亮への牽制だったのかは不明だが。 (大体にして、諸葛亮単独では当時の蜀を統率しきる事は不可能だろう。 丞相としても統率し切れていたとは言い難い状況だった訳だし。) そんなこんなで、暗君として表現されてきた劉禅だが、 史実を客観的に見て実際はどうなのだろうか。 国を滅ぼした君主など枚挙に暇なく、悪政を敷いた暴君も星の数程いる。 そういった面々と比べた時、果たして劉禅は真に暗君だと言い切れるだろうか? 因みに史実の劉備もまた演義仕様と結構異なる人物だった事は意外に知られていないかも。 まぁ、三戦板や世界史板に居る様な人ならばそれなりに聞いた事はあると思うが、 偏見を恐れずに言うならば『蒼天航路』の劉備が近いとか。 要は仁徳というより仁義の人。そもそもが侠客だったし。
3 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/17(水) 17:53:31
名君か暗君かのどちらかというのはかなり判断しづらくないか?
良くも悪くも中庸派だったと思う。
4 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/17(水) 17:55:25
>>1
名君でも暗君でもない
強いて言うなら凡君だ
5 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/17(水) 18:02:47
守旧、調整に優れ、他国侵攻は他人任せ。
かなり孫権に近いんでない?
6 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/17(水) 18:07:41
いや近くないだろ
調整能力に優れていたら魏延と楊儀の政争ももっと上手く収められた筈だ
7 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/17(水) 18:16:28
一理あるな。
ただ、楊儀の件は収めようと思ったら
魏延が死んじゃったっていうのもあるんで無い?
孫権で言えば同様の政争に赤壁前の張昭と周瑜のケースがあるけど、
あの件は張昭がすぐ傍に居たっていうアドバンテージがあるから
比較したら可哀想でしょ。
そう考えると楊儀もぬッ殺して喧嘩両成敗に持ってったとこは
それなりに評価しても良いのでは。
45 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/20(土) 13:04:28
>>6>>7
この頃は親政状態ではないので、やはり責は諸葛亮にあるような。
8 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/17(水) 18:24:18
いや楊儀は楊儀で蒋エンとの政争に敗れた結果の降格な訳で
劉禅の手柄とするにはどうも抵抗が…
9 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/17(水) 18:32:12
確かに劉禅の手柄っていうと抵抗あるな。
まぁ、楊儀なんて脅されて泣いちゃうような子だし、
劉禅も信用できなかったんじゃないか?
10 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/17(水) 18:37:58
狭量ってのが呉にまで知れ渡ってるような人間だし
まあ普通は信任されるわきゃねーな
12 名前:勇魚 ◆Cl39TXJnDE 投稿日:2006/05/18(木) 00:14:45
もちろん名君です。降伏は民を思っての英断ですからね。
16 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/18(木) 08:36:29
暗君じゃあない
暗君じゃあないが、だからといって=有能でもない
17 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/18(木) 14:09:48
どっちでもない
15 名前:>>1氏ね[sage] 投稿日:2006/05/18(木) 00:41:33
186 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/04/16(日) 19:08:20
http://web.archive.org/web/20030409134630/http://big.freett.com/simenawa21/LiuShanVer2.swf
↑劉禅は有能。
過去既に三戦の結論として出ている。
19 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/18(木) 23:10:02
あれだけの期間皇帝やれたんだから
それなりに優秀だろうね。
ただ、覇業の人ではないからなぁ・・・
24 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/19(金) 10:08:28
劉禅が名君たるエピソードを語れ
↓
26 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/19(金) 10:26:58
>>24
降伏
27 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/19(金) 12:19:30
>>24
人妻胡氏を監禁
28 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/19(金) 12:42:03
魏に勝つという国是からして蜀は無茶だったからなあ。
皇帝なった時点で17歳くらいでしょ?
漢の復興の大儀も年齢からして、実感わかなかったんじゃないかなあ。
29 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/19(金) 12:50:38
皇帝の子だからそうではないのかもしれないが。親を見て子は育つ。
劉禅が暗君と呼ばれる様になったのは劉備が悪い。
義理人情で国を傾かせた劉備は所詮大将の器ではなかったという事。
それでも劉禅は劉備に比べて名君とされるべき。余計な事をしなかったから。
30 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/19(金) 13:13:41
その義理人情で国を傾かせたってのは何のことを言ってるんだ?
まさか関羽の敵討ちとか言うんじゃないだろうな
31 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/19(金) 13:16:07
>>29
演義脳?
33 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/19(金) 13:51:06
劉禅は暗君です。
名君ならば降伏した後65歳まで幸福に生活しません。自害するのが当然。
32 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/19(金) 13:26:00
>>15で既に結論が出ている件について。
34 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/19(金) 14:08:10
>>15
それは結論ではない
劉禅の犯した失策について何も触れられていないフラッシュなど結論にはならん
>>33
儒教的価値観だとそれは当然ではない
と言うのも魏に滅ぼされた漢の後嗣を継いでいる以上、劉禅は漢の祭祀を絶やせない
世に漢の末裔が居ない以上、劉禅は死にたくても死ぬことは許されない
現代の価値観で考えるお前が昏君
46 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/20(土) 13:28:30
>>34
そのフラッシュは2003年制作。当時盛り上がっていた劉禅スレで出たフラッシュ。
で、そのスレの結論だったんだが。3年も経つと>>34みたいなのばっかり増えたな。
38 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/20(土) 04:23:00
魏に降ってまで生き延びようとするとは愚考。
降ったことにより民や兵を助けたという見方もあるが違う。自分が生き延びたいがため。
39 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/20(土) 05:15:28
じゃ、あのまま国民の最後の一人が死ぬまで戦って最後に自刃しろと、
40 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/20(土) 06:04:40
>>38
どうしてお前は物事を切り離してでしか考えられないんだ?
自分も助かりたかったし民も兵も助けたかったから降伏したんじゃねーの?
俺は劉禅じゃないからわからんが
41 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/20(土) 06:20:25
>>38
儒教では先祖の祭祀を絶やさぬ為の幸福は美徳
44 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/20(土) 08:40:56
当初は降伏したからって劉禅が助かるかどうかは確かでは無かったでしょ?
それでも棺桶を背負って後ろ手に縛ってトウガイに出頭した。
結果的に命拾いしたけど必ずしも己の保身ばっかりって人じゃないと思う。
49 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/20(土) 19:36:22
棺桶背負って歩くのはドラクエのコスプレだったらしいよ
50 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/21(日) 03:36:32
あれ?その頃まだドラクエ発売されてなくない?
51 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/21(日) 03:37:06
だよねえ。
36 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/19(金) 15:58:55
劉禅の無念は劉淵が晴らしてくれたからもういいよ
まぁ、血縁ではないけれども
52 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/21(日) 15:09:27
蜀の存在意義は漢王室再興にある
蜀からみれば賊となる魏と共存したまま地方政権として延命する事は
その存在意義が揺らぐ
魏と戦う姿勢を見せなければ、
漢王室再興の為に集まった将や武官、民らの心が離れるのは必至
北伐は国内の安定と漢王室再興の大義という
相反する課題を両立するために致し方なかったと思う
だから、漢王室再興という、蜀の存在意義にとっては、劉禅は暗君だったのではないか
しかし、皇帝が積極的に軍を動かさなかったから、
蜀は263年まで存在したことを忘れてはならない
53 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/21(日) 16:47:41
劉禅が蜀漢を40年間維持させることができたのは、何もしなかったからだ。
劉禅が劉備のような性格だったら、
諸葛亮の死後は、いよいよ政策をガッチャンガッチャン変え、
外征も繰り返し、国力は大きく疲弊するだろう。
そして、そのうち魏が攻めてきても、最後まで戦い続け、民を苦しめる。
勝てば名君だが、負ければ暴君である。
だから、あっさり降伏した劉禅はある意味名君だ。
54 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/21(日) 18:12:41
>>52>>53
何もしないは嘘
能動的に何もしてないように見えて色々やってる
55 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/21(日) 19:40:19
とりあえず正史には暗君とは書かれてなかったそうな
>劉禅の失政
孔明が謀反を起こすという讒言を聞いて「孔明がそんなまねをするわけなかろうが!」
といって讒言した人を切り殺した。
57 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/21(日) 20:38:39
孔明死後は酒色に耽って政治を混乱させたと言うがな。
58 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/21(日) 21:19:51
>>57
孔明死後どれだけ年数が経ってから滅亡したと思ってるのかと。
59 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/21(日) 22:07:08
劉禅がのびのび出来るようになったのは董允が死んでからだなあ。
60 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/21(日) 22:15:07
劉禅が司馬昭から「蜀が恋しいかね?」と問われたとき、
「ここでは毎日楽しく暮らしているので、蜀が恋しいとは思いませんね」
といったのは、決して劉禅が馬鹿だからではない。自分を守るための策なのだ。
もしここで、さびしいなんて言おうものなら、司馬昭は「謀反の気あり」
と思って即刻劉禅を斬首するだろう。
それを免れた点で、劉禅は名君だ。
61 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/21(日) 22:23:09
>>60
その後で実際に謀反を起こしたなら確かに名君だが
そのまま何もせずに長生きして死んでるじゃねぇか
アホですか
62 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/21(日) 22:32:32
>>60
劉禅は挙げ足とりが好きな>>61のような人物だったようなので、
人を言いくるめたり黙らせたりする機微には通じていたと思う。
機転の利く奴だったかも知れないが、明君かどうかは別問題だろう。
13 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/18(木) 00:18:25
宦官の黄皓を重用した時点で救いようのない暗君
18 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/18(木) 19:43:37
宦官を重用=無能じゃないだろ。
宦官が有能かどうかを見抜くのは基準になるが。
そもそも清流中心の歴史書は宦官は悪く書きがち。
20 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/18(木) 23:43:34
コウコウが政治に介入してからおかしくなった
イメージがある。
21 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/18(木) 23:47:24
宦官は後宮にいて幼いころから世話をしてくれる人だから信任するのも無理はない
だが、それを利用して政治に介入しようとする宦官も宦官だし、
その宦官に操られて傀儡になってしまう皇帝も皇帝なんじゃないかと。
宦官が中国の宮中にいたのは古代から清まで変わらないこと。
皇帝として、過度に信任してしまうのは適当とはいえない。
22 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/19(金) 00:29:56
宦官が表に出ておかしくなるのは後半でしょ?
在位期間の長い皇帝の後半なんてそんなもんだ。
例外は清朝くらいか?
23 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/19(金) 08:18:58
>>20
黄皓のせいで何がどうなって蜀の政治がダメになったのか細かい点挙げてみ?
実際には黄皓なんて居ても居なくても一緒だから
蜀の政治を狂わせたのは姜維や漢中閥
63 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/21(日) 23:17:46
キョウイの北伐は悪いとは思わんな。
諸葛孔明の目的の一つに洛陽占領があったから守勢にはなれんだろう。
国力を考えたら、守勢では張魯等と同じ運命をたどることくらいキョウイでも分るだろう。
64 名前:無名武将@お腹せっぷく[age] 投稿日:2006/05/22(月) 07:56:40
>>63
その後五胡が侵入してきた事を考えれば、頑に守勢を保っていれば良かったと思う。
魏・晋の宮廷は、既に蜀が滅んでいる状態の呉攻略ですら、
反対意見続出するような状況だった。
蜀攻略なんぞ、うるさい姜維を黙らせるためのものに過ぎなかったのだから。
65 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 09:56:49
劉禅がせっかく成都を無血開城したのに姜維のせいで多くの人が死んだ
66 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 12:05:20
姜維を用いたのは劉禅ですが…
軍閥を制止できなかったのなら暗君。
67 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 15:20:49
ヒイの後を継ぐ奴がいなかったのがまずかったな。
姜維の北伐自体は、タカ派のガス抜きや軍事力を弱体化させないためにも必要だった。
68 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 17:34:11
姜維はウンコ武将という漏れに言わせれば、67は正論だな。
時々降格させたりとかしてるあたり、いつか消してやろうという
思惑が見え隠れするし。
軍閥押さえられないとダメって>>66が言ってたけど、
費イ、蒋エン、董允亡き後、
漢中閥を押さえられる成都閥の重鎮がいなかったっていうのが真相じゃね?
特にそこに劉禅は関係ないとオモ。
69 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 18:00:36
姜維がウンコ武将ってのはどうかと
政治センス皆無ってんならわかるが戦術家としちゃ超一流だろ
70 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 18:15:51
>68
すべての責任は皇帝たる劉禅に帰されるのだよ。
劉禅に関係ないなんて、どの口が言うんだよ。
別に煽るつもりはないけど、切り離す考えはよくない。
能動的に動かなかっただけでも名君とは間違っても呼べない。
72 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/22(月) 18:37:26
傀儡同然だから責任は帰せない
ただし傀儡同然だから名君とは間違っても言えない
献帝を中原を復興した名君と呼ぶ人がいないのと同じ
71 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 18:36:37
現代に置き換えて。
ある程度の資産を残しつつ、より大規模な競合との吸収合併を決定した社長はどうか。
結局回帰するところは陳寿の一言ジャマイカ?
ちなみに姜維勝ち戦ほとんど無いよ。
戦術家としても3流。
77 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 19:00:41
>>71
姜維の北伐スレで語り尽くされてるから読んで来い
姜維を三流だなんて言ってた事を後悔するから
73 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 18:38:33
現代に置き換える意味はないだろ
74 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 18:40:24
名君かどうかって、現代的価値観じゃない?
じゃあ、そういう見方もあるかと思っただけでした。
癇に障ったらスマソ。
75 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 18:53:54
親父が一生を賭けて築いた会社を、親父のライバル会社に吸収された。
親父の夢はその会社に勝つことだったのに。
現代に置き換えても駄目だな。
76 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 18:56:56
だがおかげで社員の給料は据え置き。
場合によっては抜擢・栄転。
一部の造反社員を除き、概ねいい目しか見てないわけで。
78 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 19:06:52
>>76
やる気のある社員を犠牲にして、
保身しか考えてない社員にいい目を見させたのが正しいと言えるかな?
79 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 19:09:29
>>76
社員に忠誠心を持たせられなかった。
はっきりいって社長としてはダメじゃん。
合併に素直に賛成することで
社員への悪影響を最小限に抑えたことは誉められるが、
その件についてはそれ以上でもそれ以下でもない。
そういえば孫晧も徹底抗戦しなかったな。
暴君的要素はあまりみられない、
能力的にもみるべきものはない、
しかし家臣を信用するある種の人の良さは持った皇帝、それが劉禅。
ってとこじゃないか?
80 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 19:13:11
少なくとも名君とは言えないよ
81 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 19:13:47
そうか。もしかして劉禅が、痴呆みたいに思われていることへの反論で、
極端に名君とかってなってるわけか。
最近、こういうスレにきたから、流れが掴めなかったが。
でも結局、結論は70-79でしょ。
82 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 19:16:15
>>81がまとめちゃった
83 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 19:45:45
平時なら及第点以上の皇帝になれたとは思うが
乱世じゃ微妙ってな典型だな
84 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 19:49:03
で、結局陳寿に回帰
92 名前:無名武将@お腹せっぷく[age] 投稿日:2006/05/22(月) 21:18:39
>>83
面白いもんで、「そうせい侯」毛利敬親のほうが、
劉禅なんかよりよっぽど無能だった。
だが、毛利敬親のような「無能な名君」があの時期の長州に登場したのは、
まさしく天の采配としか思えない。
あの時期、逆にもっと有能な藩主がいた場合だったら、
長州藩が滅んでいた可能性が高い。
劉禅があの時期の蜀に登場したのは、逆天の采配という気がする。
劉禅がもっと無能な君主で、讒言で「天才的戦術家」の姜維を誅殺していたほうが、
蜀はもっと長らえただろうと思う。
95 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 21:24:08
そうせい公って、「一本の矢は折れても三本の矢は折れん!」とか言って、
蛤御門攻めや、長州征伐に対する徹底交戦を命じた人だろ?
無能な人なら大人しく幕府に従ってただろ。
96 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 21:27:21
>>92
敬親は積極的に家臣を引き上げてなかった?
清風とか。
中途半端な知識しかないけど。
145 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/06(火) 17:19:02
>>92
有能な人材に仕事を任せることのなにが無能なんだ?
行政機構を単独で運用するのは無理なんだから、
有能な人材を抜擢し、彼らに仕事をまかせるのは正しいことだよ。
85 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 20:10:20
蜀では劉禅以外の皇帝を立てようとしなかったのは不思議だ。
反主流派などは別の奴を担いでも良さそうなものなのに。
86 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 20:12:53
ヒント:孫権手法
87 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 20:17:20
>>85
担ぐにしても誰を担ぐ?
皇帝にまでなっちゃってるから代役にも相応の名分がある人間じゃないと難しいぜ
88 名前:無名武将@お腹せっぷく[age] 投稿日:2006/05/22(月) 20:21:09
>>67
ガス抜きだったら、南蛮征伐で思いっきりやらせれば良かった。
というか、実際かなりやっている。
(孔明の南蛮征伐で完全に南蛮が服従したというのは、演義のフィクション。
実際にはその後も南蛮はたびたび叛乱を起こしている。)
そのまま姜維は南蛮に置いて、
思うぞんぶん超一流の戦術を発揮させておけば、良かったのだ。
89 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 20:34:30
俺は魏を倒すんじゃコルァ!って奴らは南蛮じゃ納得しないよ。
それに、せっかく戦意旺盛な奴らなんだから魏との国境に置いたほうが効率的。
どのみち、蜀から手を出さなければ平穏無事に済むなんてわけではない。
攻めなきゃ攻められるんだから。
91 名前:無名武将@お腹せっぷく[age] 投稿日:2006/05/22(月) 21:11:55
>>89
だから、平穏に済んだ可能性が高いんだよ!
同じ事をまた書くが、魏・晋の朝廷は、
後の蜀併呑後ですら、呉侵攻に反対意見が噴出するほど、外征には慎重。
何とか守勢のまま時が経てば、五胡の侵入で魏・晋は滅亡した。
その時は蜀にとっては、起死回生の逆転のチャンス到来である。
93 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 21:19:08
>>91
実際に蜀は攻め込まれて滅亡してるじゃん。
孔明時代から魏は常に蜀を攻める機会を窺っている。
姜維や歴戦の精鋭達が南方に送られたとなれば、喜んで攻め込んでくるよ。
94 名前:無名武将@お腹せっぷく[age] 投稿日:2006/05/22(月) 21:21:52
>>93
蜀侵攻の時だって慎重意見が多く「邪魔な姜維を暗殺すれば、それで良し」
という意見が多かったくらいなんだよ。
「天才的戦術家」の姜維がいないほうが、
むしろ魏は蜀を放置していた可能性が大きい。
98 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 21:28:28
>>94
反対意見があるのは当然。
でも最終的には、蜀攻めも呉攻めも強行論が勝って征伐が実行されている。
蜀が大人しくしてたら、「蜀は文弱になったから攻め時だ」とか何とか、
結局強行論が勝つと思うよ。
99 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 21:34:47
>94
それ、ものすごく考えにくいんですけど。
魏は中華の正統王朝を自認していて、
中華の統一を大目標に掲げているでしょう。
しかも相手は禅譲を受けた先王朝を継いでいると自称しているし、
いつまでも放置するはずがない。
順序として後回しにはしたけど、それは諸葛亮の内政があって、
蜀が磐石と思えたからでしょう。
普通、国を滅ぼすときは外圧だけではありえないから、
内部崩壊か疲弊するのを待っていたのではないかと思う。
姜維がいなくなれば、遠からず蜀侵攻作戦が発令されたと思いますよ。
いた状態でも遠征軍が出たのだし。
103 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 21:58:24
とっとと統一しないと周辺民族からなめられるからな
105 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 22:00:20
>>99
その中華の統一を果たすことなく禅譲を受け帝位に就いたんで
残りの地域は「中華ではない」と切り離した感がないではないけどね。
曹操が210年に出した布告に
「(劉表の荊州を制して)ついに天下を平定した」との文言があるのは有名な話し。
勿論統一できたらそれに越したことはないし、当然狙ってはいただろうけど、
「当面は無理」との認識は多分あった。
呉に対しての封国とかも、
現実認識として滅ぼすことができそうになかったので体裁を取り繕ったんだろうし。
だから姜維が前線に居る居ないに魏の侵攻は直接関係無く、
国力の衰退をどうにかしないと駄目だろうな。
108 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 22:08:56
>>105
反対意見ばかりを重視しすぎていないか?
賛否両論あるのは当たり前で、慎重派が主流だったわけではない。
魏は帝位に就いた後も蜀や呉を何度を攻めている。
とても切り離しているようには見えない。
109 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 22:13:43
でも最後の一文には同意。
ショウエンやヒイのように姜維を上手く操って、
政治とのバランスを取れる人物が必要だったな。
110 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 22:34:23
ふむ。 東晋の王導みたいな人物だな。
でも、それこそ諸葛亮ではないか。
111 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 23:03:43
>>108
魏が帝位に就いて以降に、蜀や呉の制圧を狙った侵攻が幾つある?
慎重派が主流じゃないとのことだが、
積極的に呉や蜀を滅ぼそうとする動きが主流だったと?
じゃあ263年に大侵攻を起こすまでに立てられた積極派の動向ってどんな例?
孫権死亡直後とか、あくまで呉・蜀の乱れるのを待ってからの行動が殆どであり、
それでも敵国の乱れがないと早々に引き上げてきた。
決して無理はしないというのが念頭にあるように俺には思えるが。
繰り返しになるが、当然統一できるならしたかっただろうが、
現実にはすぐにどうこうはできないというのが魏のスタンスだろう。
112 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 23:08:44
蜀が滅ぼされなかったのは天下の難所函谷関を初めとした蜀の地形のせい。
抜けたトウガイは立派というべき。
113 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/22(月) 23:35:28
曹爽の征蜀くらいは出してから世迷い言を吐くべきだな
114 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 23:48:12
曹爽の征蜀かぁ…あんな功名心に逸った非計画的な事例を基に
世迷い言とまで言われなあかんのかい。
あれが魏のスタンスを表していたり、
魏が蜀侵略に積極的だったという証左だったりすると113はお考えで?
119 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/23(火) 00:27:43
曹爽の場合、自分に箔を付けたい一心の勇み足で魏の方針とは思えない
>>114は、相手にある程度の知識がある前提で議論しただけで咎なしと思う
97 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/22(月) 21:27:26
蜀を滅ぼさないままでも五胡の侵入は有り得たのか?
また、有り得たとしても、それは蜀の人物に予見出来得る事だったのか?
116 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/23(火) 00:07:52
「待っていれば五胡の侵入が起こったのだから」と言うが、
蜀を滅ぼさないままで、
八王の乱かそれに準ずるような内乱が起こり得たのか?
123 名前:無名武将@お腹せっぷく[age] 投稿日:2006/05/23(火) 00:42:01
>>116
魏は内乱が頻発状態でしたが、何か?
公孫氏とか、諸葛誕とか、カンキュウケンとか・・・
124 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/23(火) 00:48:23
曹操がわざわざ引き入れちゃったから、五胡はもう内地に侵入してた
ただ、鼎立状態の常時戒厳令下では国が一気に傾くような乱にはなりにくいんじゃね?
五胡大乱は軍縮後の晋だからこそ大乱になった
125 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/23(火) 00:52:53
>>109
蒋苑は自ら魏侵攻作戦を立てた積極派だが。むしろ周りが蒋苑を抑えて、やめさせた。
費イの場合は、姜維の兵力を1万以下に抑えるのがせいぜいで、
北伐そのものの阻止はできていない。
126 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/23(火) 01:06:40
>>125
漢中から漢水下って裏陽を攻めようとしてたな、荘園。
でもそれって魏侵攻作戦だが北伐じゃないな。
胸囲も荘園みたいにすれば・・・
128 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/05/23(火) 01:13:44
>>126
荊州人のしょうえんは呉も蜀も騙して荊州奪回するつもりだったんじゃねえ?
129 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/23(火) 01:33:01
>>126
姜維の場合、夏候覇と羌の協力が前提の戦略立てていたから、
裏陽攻略は考えられなかったんだろ。
むしろ孔明のほうこそ、裏陽攻略やるべきだったな。
北伐やりながら、魏延の積極策蹴って慎重策やるくらいなら。
130 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/23(火) 18:07:03
最初に孟達寝返らせて失敗したのがよほど懲りたんだね
131 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/23(火) 18:39:24
孟達とは知人だったしなぁ
根拠ナシだけど、諸葛亮の劉封誅殺の進言って、
孟達がらみで感情のねじれがあった、って事はない?
132 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/05/23(火) 19:03:32
それより言う事聞きそうな劉禅を立てたと言う方が?
134 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/04(日) 23:04:09
ケイ州って徐晃、文聘、夏侯尚ら名将が守ってたんじゃなかったっけ?
135 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/04(日) 23:33:08
>>134
三人とも荊州にいた事はあったが、
諸葛亮が北伐を行う頃には既に死んでたと思うが。
139 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/05(月) 23:05:38
大体、劉禅が無能か否か、は3年前に話がついてる。成果としてフラッシュもある。
今このスレで騒いでるのは、あの時議論に負けた奴か、新しい奴。
140 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/05(月) 23:10:29
>>139
何も3年前の答え1本にせんでもいいだろ
そのスレが今もなお生きてるわけではあるまいし
新しく議論すればいい
141 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/05(月) 23:10:34
去年もこのスレ起ってた・・・
146 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/06(火) 20:28:10
劉禅を主人公にして小説書いたら面白そう。
147 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/07(水) 00:15:23
>>146
鉄腕阿斗ム