劉禅は名君か暗君か? 適当にまとめ その2
引用元スレッド
だからと言って、国を滅ぼした為政者が名君とも言い難い
149 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/07(水) 00:39:03
劉禅ってやっぱ劉備が投げたのが駄目だったのかなぁ・・・・
150 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/07(水) 00:40:22
趙雲の鎧がきつかったんだろう・・・・
152 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/07(水) 00:45:46
死ぬ間際の親父が孔明に「場合によっては君が帝位についてくれ」なんて言ってんじゃ、
なんとしてでもこの王朝を守ろうという気になれないんじゃないか。
153 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/07(水) 01:41:10
劉備自身が成り上がりだから王位の世襲に対する拘りとかがなかったのかも知れん
諸葛亮に対する牽制のほうが可能性高いとは思うが
154 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/07(水) 19:01:54
でもその親父が自分の正統性の根拠にしてたのがまさに「血筋」なんじゃないの?
まあ単に自分の野心のために
タマタマ劉姓であったことを利用してただけかもしれんけど。
155 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/07(水) 20:20:13
蜀が内乱も起きず持ちこたえたのは劉姓の漢を復興させるという、
目的があったからだと思う。
156 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/07(水) 23:50:48
諸葛亮の後ノムさんがいたら
蜀も安泰だったと思う。
あの緻密なデータ主義はきっと
生きるはず。
157 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/07(水) 23:58:27
誰を再生するかな?
158 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/08(木) 09:19:19
劉禅再生して夷陵のリベンジ。速攻で建業まで陥落させて魏も制圧。
は無理そうなので、諸葛亮の後じゃなくて前にいてもらって
張飛を更生させて欲しい。部下に殺されないように(つД`)
159 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/08(木) 09:21:47
それを言うなら関羽まで遡ってもいいじゃないか
160 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/08(木) 09:48:47
関羽にくっつけて部下のデータ把握させて
残す組みの選択とか兵糧の確保とかか。
181 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/10(土) 02:12:07
>>157
ノムさんに再生してほしい人物
姜維=無意味な北伐を繰り返し、蜀を衰退させた。
よって、ノムさんにより、再生工場行き決定
劉禅=人のいうことを聞き、愚直であるため
ノムさんによる更正必要なし。馬鹿につける薬は無い。
黄皓=宦官の分際で劉禅に取り入り、魏が攻め込んだという
情報を官邸で閉鎖するなど、IDにはあるまじき行為
よって再生工場行き。
簡雍=傲慢な態度は主君を馬鹿にしている。
よってノムさんの更正が必要。
183 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 10:08:38
簡雍は死んでるだろ。
184 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 10:12:27
>>181
野村再生工場がごく短期間の再生の後、
再利用不可能になることを承知の上での発言で?
185 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 10:18:03
>無意味な北伐
文官中心の中で武官の存在意義を示す為に、仕方なく行っていたともとれるし
逆に結果的に武官の立場をますます微妙な物に・・・
161 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/08(木) 18:38:33
とりあえず馬謖斬っとけ
162 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/08(木) 18:41:09
>>161
軍権を与えなきゃそれで十分だろ。
内政等には使えるし。
163 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/08(木) 22:00:53
漢王朝の血筋を引く者として、
父の遺志を受け継ぎ漢王朝の復興を果たす使命を背負わされながら、
肝心の親父は、長坂では自分を投げるわ、丞相にとんでもない遺言はするわ、
どうも血筋を何とも思っていないような言動ばかり。
父の遺志に背こうという気もないが、
かといって何としてでも父の果たせなかった夢をかなえようという気にもなれない、
といった心境だったのかしらん。
170 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/09(金) 17:41:13
魏も軍事力が高いとは言え、内部の結束は割とガタガタだった。
結局荊州の件で呉蜀が争っていなければ…あの時点で終わってたんだよ。きっと。
劉禅はよく保たせた方じゃないか?
171 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/09(金) 19:27:33
劉備が暗君だという歴史的資料ってなんかある?
172 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/09(金) 19:45:07
司馬昭との会話があるけどあれは単なる保身の策とも取れる
178 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/09(金) 21:54:34
>>172
劉禅にしてみれば望んで就いた帝位でもなし。
それでもなんとか弱小国を30年間もちこたえさせた。
帝位から降りてやっと肩の荷が下りたというのも、正直な感想じゃなかったのかね。
それを暗愚の証にされたんじゃ、かなわんだろ。
179 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/09(金) 23:05:04
そうだな
だから俺も策の方だ思う
「笑っている」というのも郤正と打ち合わせしてる可能性が高い
182 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/10(土) 06:59:08
魏は降将の扱い悪いからなあ
173 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/09(金) 19:49:29
>>171
劉備?特に無いんでね?
174 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/09(金) 19:52:22
あ、劉備か
釣られた
つーか勝手に勘違いしてただけか
175 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/09(金) 19:54:04
>>174
自己解決オツカレw
176 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/09(金) 19:56:27
暗愚とは程遠いが劉備の魅力と言うのは侠客である部分が大きいから
お坊ちゃんが陣営を継ぐのには厳しい雰囲気かもな
威圧が効かないと動きそうに無い曲者が多いし
177 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/09(金) 20:11:22
>>176
金で動く曲者も多そうだしな
186 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 12:22:04
張飛もへたに長生きしてたら魏延と同じ扱いされたかもしんない
187 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 13:17:04
>>186
それはないんじゃないか?
188 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 13:40:28
いやあ、劉備死後身を引くくらい機微を分かってたならいいんだが
劉禅との縁戚をかさに来て、あれこれ言って疎んじられそうな感じがするぞ
まあ俺は張飛好きなんだが
189 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 13:41:45
張飛は身分の高い人は敬愛したらしいから
文官にとってはけっこう扱いやすいんじゃないの?
190 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 14:04:15
張飛も結構出世したから文官等は下になるんじゃないか?
191 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 14:23:35
名士の劉巴は張飛のことを「どんなに出世しようと兵卒は兵卒」ってな感じで
見下してたからそう単純にはいかないんじゃないか?
特に張飛は名士を尊敬する気持ちが強かったみたいだし
192 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 14:48:40
まあ魏延の様に脅して泣かしたりは流石にしないと思うがねw
193 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 15:50:46
泣き虫楊儀でごめんなさい
194 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 15:58:04
好きな子ほどいじめたくなる心理か。
195 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 22:23:51
普通に、李嚴・馬謖あたりでいいんでねーか?
196 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 23:01:03
演義系創作物でしか三国志は知らないのだが、
劉禅にどうしても悪いイメージを持てない。
最初に見たのが人形劇だったからかなあ……。
197 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 23:15:57
悪いイメージはないよ。 ただ暗君なだけ。
暴君よりははるかにマシな皇帝。
198 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 23:27:20
滅亡時の張悌の分析が何気に核心ついてると思う。
宦官が専横し正しい政治が行われず、
軍は不必要な遠征繰り返して民は疲弊し防御体制も整わないし、
劉禅は全く国の統制ができていない暗君だったけど、自らは大した横暴はしてない。
199 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 23:59:33
つまり、積極的に虐殺だとかそういう悪行は行なわなかったけど
良くも悪くも放置プレイだったんだろ
そういうのってよくいる
暴君ではない、単なる暗君タイプじゃん。
200 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/12(月) 01:06:19
>>199
向こうにとっては、放置が理想の皇帝らしいぞ。
税金払ってやるから、だまっとけ!って。
北伐してたから、劉禅は放置じゃないけどね。
201 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/12(月) 01:07:15
龍禅から諸葛亮に禅譲してれば良かったのにな
202 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/12(月) 01:47:34
>>201
しかしそれだと大義名分が。
漢王朝の血筋だというのが正統性の根拠なのに。
203 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/12(月) 03:01:57
>>202
劉禅の娘を嫁にもらい劉姓に改正
劉亮として蜀漢皇帝に
ってのは駄目?
204 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/12(月) 11:24:25
諸葛亮は丞相って身分だったから美談になるわけで
もし皇帝になっておんなじことやってたら
始皇帝並みの独裁者として叩かれまくると思う
205 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/12(月) 16:05:37
やっぱボスがやる気無いとダメなんだよな
満州みたいに血筋だけ引っ張ってきて傀儡でも人は付いてこないし
206 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/13(火) 00:21:41
しかしやる気満々なボスだったら諸葛亮なんて真っ先に謀殺されてるかもしれんぞ
207 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/14(水) 18:25:00
晩年の孫権を思い出す
208 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/18(日) 20:41:40
劉禅と堀内恒夫はどっちが無能か?
相当白熱した議論希望
209 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/19(月) 16:53:30
堀内は元が名の通った選手だから事情が違う。
昔で言えば武人としては優秀だが、君主としてはダメなタイプと比較してなんぼ。
210 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/19(月) 17:20:28
>>209
>武人としては優秀だが、君主としてはダメなタイプ
つまり堀内=lubuだといいたいのか?
211 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/19(月) 18:06:07
劉備は君主と言うかリーダーとして有能だぞ
212 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/19(月) 18:11:32
>>211
ああ、lubu=呂布 な。劉備は liubei。
213 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/19(月) 22:08:01
あ、それは失敬
呂布は呂布でリーダーとして無能ではないと思うぞ
人間性に多いに問題はあったが
219 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/20(火) 02:26:46
>武人としては優秀だが、君主としてはダメなタイプ
つ公孫3
214 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/19(月) 22:29:30
劉禅にたとえられるのは、
前任者から受け継いだ戦力を使って、
優勝もしないけど最下位にもならず、
ずるずると長期政権が続く、
しかし新しい戦力を育てることもせず、いつのまにかチーム状況はガタガタ。
こんな感じかねえ。
具体的には誰になるかな。
215 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/19(月) 22:33:08
>>214
正力松太郎の子だな。
ナベツネの前の巨人軍オーナー。
ひょっとしたら務台が挟まってるかもしれん。
216 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/19(月) 23:10:22
監督やる人は、選手時代に地味であっても活躍してるから、
オーナーから探すしかないねぇ・・・
217 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/20(火) 00:09:34
ジーコかなあ……。
解任を決定づけるような大失敗だけはしないまま、
超低空飛行で4年弱の任期を全う。
最弱小国をひきいて
三国時代の皇帝では最長在位の劉禅。
218 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/20(火) 00:18:38
>>214
北島監督亡き後の明大をふと思い出した。
220 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/20(火) 21:08:41
巨人の監督ってのは、中間管理職だからなあ。
君主にたとえるのは無理がある。
221 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/20(火) 22:04:23
でも長嶋茂雄=劉備=国民的カリスマは同意
堀内恒夫=劉禅=無能はたしかに難しい。
このレールに当てはめるなら一茂だが
選手としては雷同レベルマネージャーとしても
劉禅レベルということはない。
むしろナベツネの後オーナーや代行になった人
こそ劉禅。
222 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/21(水) 17:40:34
監督に限らなきゃカズシゲの劉禅ぶりも捨てがたい
223 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/21(水) 18:58:43
一茂の才能は凄かったがその生かし方をしっかりと学べなかったのが痛いな
以前「現役引退前後になってやっと野村監督の言っていた事がわかった」
と嘆いてたし
224 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/21(水) 19:02:36
一茂は引退直前はレギュラーとしてはともかく
一選手としては普通くらいにはなってたと思うけどな。
225 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/21(水) 19:37:26
一茂に、親父のようなビッグなプレイヤーとなって、
長嶋王朝の後を継ぐことを本気で期待していた人にとっては、
劉禅になぞらえたくなる気持ちも分からんではないが、
傍から見てる分には、単なる「芽の出なかった一選手」、
それ以上でもそれ以下でもないよ。
226 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/21(水) 19:45:47
たとえがカツノリのほうが良かったとでも言うつもりかッ
227 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/21(水) 20:11:56
やっぱりカツノリも才能だけは人並みはずれてあるよ
だからバッティングにしても当たれば飛ぶ
ただし若いうちに人格や親子関係のせいで伸び悩んだまま
引退を考える年齢になっただけのこと
228 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/21(水) 21:50:50
「三流」とか読むと、一茂ってホントに「ふつうの選手」だったんだなと思う。
才能を順調に伸ばすことのできる選手の方が特殊で、
ほとんどの選手は才能を開花させそびれ、やがて引退。
229 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/21(水) 22:13:19
つーか、一茂は中高野球やってないのにプロに行くという、
ある意味なめた真似してるからなあ。
もしずっと野球してたらどうなってたんだろ。
230 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/21(水) 22:21:00
父親みたいな球史に残る選手とは言わないまでも
一流選手にはなれてたと思うよ
肉体的なポテンシャルだけは凄いから
237 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 00:11:13
しかし劉禅やカツノリに限らず
親が偉大だと、息子は並じゃ
だめなんだな。
231 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/21(水) 22:31:27
一茂がどうした?
232 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/21(水) 23:03:34
野球わかんないから話に入れない・・・。
てか、劉禅スレじゃないのかここは・・・。
233 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/21(水) 23:30:09
>>232
気にするな。
一部の連中が脱線しているだけだ。
235 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 00:06:18
劉禅は長生きしたんだよね。ソウヒよりも長生きしたんだっけ?
一人の人間としては賢い生き方だ。
誰も否定できまい。
236 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 00:10:04
>>235
でも、劉禅は皇帝の身にあった人間。国民の命背負った立場にある人間だよ。
その人間を、その人一人のものとして評価するのはこのスレの本筋とはちがうのでは?
238 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 00:13:22
>>235
曹丕は40歳で死んでる。
ちなみに劉禅より20年上。
曹叡は35歳前後で死亡、劉禅より2つ3つ年上。
劉禅は271年、65歳で死亡。
239 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 00:22:24
劉禅の場合、はっきりした前例があるにもかかわらず、
黄皓の言いなりになったのはかなりの痛手。
虐殺とかなくとも、これはかなりダメだと思う。
あと、無謀な姜維の政策に口を出すこともできないはずがない。
諸葛亮のその場しのぎ政策ならまだしも、
国ごと体当たり政策を見てみぬふりするのは凡愚としか思えない。
240 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 00:38:23
姜維が暴走してたころはすっかり無気力になってたんだろうなあ
241 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 00:42:36
>>240
姜維を抑制してた費禕やお目付け役の董允が死に、
逆にお気に入りの陳祗や宦官の黄皓で固められるようになったからね。
242 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 00:45:12
>>241
当時の劉禅はその現状わかってたよね、もちろん。
なんかどうしようもないって思って放置してたんだろうか・・・?
243 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 00:52:18
陳祗は黄皓を引き立てた以外は問題ないだろう
でっかい禍根を残しはしたものの彼自身が有能な官僚で
蜀の命脈を保ったことは間違いない
やっぱ黄皓がなー
と言っても黄皓も悪い悪い言われちゃいるけど
具体的にどんな悪さしたかは良くわかってないワケだけど
244 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 01:01:10
たしかに・・・。そういや、黄皓って何したっけ?
248 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 01:09:38
皇帝の立場が無気力とか政治を顧みないのが許されるわけねーだろ
乱世で凡愚というのは罪悪だ
250 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 01:12:01
>>248
劉禅の時代はもう乱世とは言いがたい希ガス
魏の知識階級なんて蜀や呉が国家を名乗ってることすら知らなかったんだぜ?
251 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 01:14:58
>>250
つまりはそれだけ魏との力の差が開いてたってこと。
だったら逆に、打倒魏の蜀には大乱世では?
まー、孫だけのモチベーションや危機感を劉禅は持ってなかっただろうけど。
これは皇帝として最悪。
256 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 01:38:33
>>251
蜀も国境以外はそれほど乱世としての意識はなかったと思うよ
そうでなけりゃ中央で官僚が政権掌握し続けるなんてありえないもの
つーか蜀は時代が下るにつれて軍部内でも厭戦気分が蔓延して
だからこそ姜維は孤立化したわけだし
257 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 02:01:02
>>256
それがいけないと思う。
蜀の国の目的は打倒魏国、
漢王室中心の天下を取り戻すってところにあるんであって
のうのうと生き残るってとこにあるわけじゃないんだから。
諸葛亮は存命中、そのためにあれだけコストパフォーマンスのでかい
侵略やってのけてたわけだし、そのコストを意義あるものにするためにも、
国中がやっぱり危機感を持つべきだったと思う。
258 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 02:15:08
諸葛亮が頑張って国政を安定させたおかげで
国民も平穏を求めちゃったんだよ
戦争よりも平和を求めるのは人間としてむしろ真っ当なことではないか?
そもそも、蜀は劉備の国奪りや皇帝僭称のせいで建国の時点から
劉備政権に冷ややかな見方をしていた臣下が多くいたのは記述にあるとおり
劉備、諸葛亮の時代でそれだったんだから
劉禅の時代にモチベーション高めろって方が無理
諸葛亮が頑張ったことは認めるがその努力を臣民に押し付けて
劉備や諸葛亮の遺志を継げ、魏を倒せなんて教化するのは
危険思想以外の何物でもないぞ
261 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 03:39:54
>>258
劉備の国取りってどーゆー事??
あの時のショクは劉エンが混乱に紛れて土地の豪族を殺したり、
財産を奪ったりドぎついやり方で反独立をして、
怨みを持つショクの土豪は劉備が乗り込んで来た時、我先に劉備勢に加わってるし
最後まで抵抗してたやつらは劉エンが連れて来た子飼いの将軍達でっせ
262 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 03:50:19
>>>261
間違えた
反独立×
半独立〇
259 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 02:28:11
>>258
でも、そういう臣下って左遷されて、
中央には劉備皇帝うおおおーー!!みたいに
モチベーション高い奴しか残されてなかったんじゃなかったっけ?
費詩はとばされたし、劉巴のとこには遠方からの人望が途絶えたってあるから、
少なくとも中央ほとんどの臣下はそれなりに気合あったんじゃないの?
民とかはマジで献帝しんだとおもってただろうし。
260 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 02:57:23
親の志を子が継ぐのは当然と考える当時の価値観からしてみれば
暗愚呼ばわりされるのも仕方ないけど、
現代人の感覚を当てはめてみると、劉禅って妙に親近感感じるんだけどねえ。
人形劇三国志が話続いていれば、
漢王朝再興の大義を捨てて、戦を避けた劉禅は多分名君扱いになってたと思う。
263 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 03:50:39
劉禅の明君、暗君を決定するのってどの部分を評価するかによるよな。
それに、降伏したのも、当時の劉禅がびびったのか、
それとも正しい状況判断に基づいてなのかによると思う。その行動の正否は。
264 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 04:08:33
降伏とかよりギに攻め込まれるよーな国にした劉禅はめちゃめちゃ暗君
呉のセツクなんかがゆってるよーに
黄皓とか自分にすり寄ってくる奴らを周りに置いて政治を堕落させ、
さらに優秀な人材を育てる事をしなかった
派手好きで遊び好きなトコばっか親に似たんだな
269 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 10:17:21
>>264
つーか黄皓重用したのなんて最後の数年だけだろう
即位期間のほとんどを劉禅は色んな人から叱られて過ごしたわけだが
陳祗が大権掌握したのがそもそもの始まりなのかなー
265 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 04:20:12
統一国家の内乱なんだから、統一事業は絶対に避けられない
戦は不可避
266 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 09:42:26
魏帝だったなら良かったのかも。
あの寿命は魅力。
逆に性格さえ良ければ・・な
曹丕みたいな方が逆転の機会は作れそう。
267 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 10:02:33
俺は劉禅自身よりも劉禅に教育をした者の責任が大きいように思える。
劉禅はたしかに、君主としての意識や打倒魏・中華統一に対する価値観は欠けてたけど、
一人の人間としてそこまで不出来という感じはしない。
どちらかというと、立場に対して適切な教育を受けていないんじゃないだろうか。
そうした意識・価値観は、人間に最初からあるものじゃなくて
外部から与えられるものだと思うし。
268 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2006/06/22(木) 10:15:02
>>267
確かにそれはいえてる。ただ、そんなこといってたらいろんな人の評価も
そういうのが関わってきてきりがないと思う。
274 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 10:57:15
>>267
後継者の教育と人材の育成
この二つは時折もちあがるネタだけどちょっとゲームに毒された考え。
傅育者が如何に優れていようとたいした君主にはならない事なんてざらにある。
劉禅は環境や周囲の臣下の質の変化で毒にも薬にもなるタイプ。
諸葛亮ら執政者の言う事はよく聞き、
董允ら直言を吐く朝臣を強引に退ける事もない、
いうなれば輔政の臣の質が全てものをいう型。
こういう君主は自身は無能でも臣下さえまともなら名君で終われる。
逆に言えばどんなに優れていてもアクが強く独裁性が高い君主が
必ずしも名君の評価をうけない例もあるわけで。
降伏に決した点も、臣下の意見を聞いて最も妥当で常識的な判断を下したわけで
祭祀を絶やさないという点ではまともな思考。
最後の一兵まで徹底抗戦して滅亡なんて少し中国の思想を齧れば
必ずしも賢明ではない事はすぐにわかるよ。
270 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 10:37:02
父劉備の後を継いで厳しい状況の中で16歳で皇帝になり
お飾りとしてだが40年近く蜀の地に君臨した劉禅。
兄孫策の後を20歳で継いで厳しい状況の中でリーダーシップを発揮し
皇帝の座に就き、合わせて50年近く呉の地に君臨した孫権。
似通った要素を持ってるが全然違う両者。
271 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 10:44:10
自ら国を作った人間と
出来上がった国を継いだだけの人間を比べてもしょうがないだろ
272 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 10:48:56
比較するなら孫亮と?
273 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 10:51:27
>>271
孫権と劉禅の能力・人格等が逆だったらどうだったかねえ?
と思ったが劉禅(中の人→孫権)の活躍はなかったろうなあ。
曹操の荊州討伐の時に孫権(中の人→劉禅)は降伏したであろうから。
276 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 11:06:24
>>273
いつごろの劉禅?
蜀滅亡時の劉禅なら降伏するだろうが
李邈を誅殺した頃の劉禅なら
戦に踏み切る気概もあったんじゃないかと思える
275 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 10:58:15
「劉禅は名君ではなかっただけ」
これに尽きないか?