劉禅は名君か暗君か? 適当にまとめ その4
引用元スレッド
小市民なオッサンだったのか、部下に大望を託した器量の人だったのか……
362 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/25(日) 21:48:36
劉禅が暗君かもしれないが
益州人脈の抵抗が蜀を継続させたに違いない。
363 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/25(日) 21:51:44
蜀を存続させたのは荊州閥だよ
365 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 22:08:05
>>363
だな。
降伏を勧めたの譙周は巴西の人。
366 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 22:44:31
姜維の意見を拒絶し譙周の意見を聞き入れた劉禅は名君
387 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/28(水) 01:10:34
益州人は漢室へのこだわりが小さそうだな
388 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/28(水) 05:40:03
自分の領土に突然やってきた劉家を疎ましく感じたかも。
389 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/28(水) 17:40:08
劉備の最後の言葉があるから劉禅はその実以上に暗君に見えたという気もする。
390 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/28(水) 18:49:57
劉備の子供なんがマズかったのは一理あるよね。
そもそも暗君って後世の評価だから難しい。
戦中の日本だったら暗君だよね。
個人的には英国人にジョン王と比べていただきたい。
391 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/28(水) 19:09:19
>>390
天皇大権を発動する事が法律、慣習その他諸々を無視する蛮行だった戦中日本と
皇帝大権の発動がそうではない三国時代を一緒にするなって
392 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/28(水) 19:30:35
昭和天皇は自制的な方だったよね
田中事件と二・二六事件と終戦くらいでしょ、政治に口出したのは
数々の逸話を漏れ聞く限り、俺とはスケールの違う
とんでもない人物だったと思うが、
沖縄に対して冷淡すぎたのはいけない
395 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/29(木) 08:05:31
>>391
しかしあの時代に劉禅評価したら
検閲に引っかかりそうだが。
姜維批判も皮肉と取られそう。
394 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/29(木) 03:45:35
劉禅から皇位を奪おうってやつはいなかったのかね?
だいたい親父からして、奪うことを勧めるような遺言しとるんだが。
396 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/29(木) 08:23:15
1、2歳の赤子だったら、孔明が跡を継いでも特に困らないと思うが、
既に17歳だからな
397 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/29(木) 08:26:39
>>394-396
もしかしたら、実際に色々と思うところがあった人も
いるんじゃなかろうか、誰に関しても
今となっては藪の中、想像の範囲を出る事はないが
想像するだけならタダだよな
398 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/29(木) 08:38:01
>>394
李厳
399 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/29(木) 14:50:39
劉禅もフランスのルイ16世と比べれば良君だろう。
∴劉禅は良君
401 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/29(木) 19:14:55
比較はやめないか?相対的に劉禅を判断したいんじゃないんだし、
比較したら、その比較対象についてに議論がまたおきてしまう。
ここ、一応劉禅スレだし、脱線が目立ってたから、提案。
402 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/30(金) 18:32:59
確に。
陳寿以外にはどんな評があるの?
410 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/04(火) 20:22:59
魏に降った後の劉禅の態度によって
譙周らの待遇は変わってただろか
411 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/04(火) 21:52:16
蜀の姓というだけで蔑まれてたからな
412 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/07(金) 21:19:38
劉禅は名君とは思えないが
劉備は名君だな。
413 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 01:02:21
いや、それはない
414 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 03:39:16
英雄ではある
415 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 05:08:33
名将……?それもまた違うか?
417 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/08(土) 22:44:45
やっぱり劉備名君だよ。
演義も正史もドラマチックに生きているのが伝わってくるし。
あれだけ人をひきつけるのは、礼儀正しい部分と、
逆上したら、徹底的にやる部分が後世の人をひきつけるんだろう。
418 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 23:23:20
逆上したら徹底的な人って名君なのか?
名君ってもっと政治的な評価じゃないのか?
422 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/09(日) 08:50:49
>418
つ柴栄
419 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/08(土) 23:56:44
>>417
2行目以降は礼儀正しいってのが少し気になるけど同意。
でもそれは名君ではなく英雄の要素だと思う。
420 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/09(日) 00:37:18
劉備がよく国を治めたって話は聞かないしな
つーか政治的評価得る前に死んじゃったんだけど
421 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/09(日) 03:20:30
時代が求めていたのは、名君じゃない。
423 名前:人生相談所 投稿日:2006/07/11(火) 08:32:14
みんな、よく考えてほしい。
他人事の故に、三国志から英雄を探したくなる。
だが、その英雄視された人物の日々の人生はたいへんな苦労の連続であった。
楽しみといったら、たまに飲む酒ぐらいなものだろう。
まあ軍人ならしょうがないかもしれん。
また富豪なども罰を受けたり、財産を奪われたりと最終的に厳しい。
だが劉禅の場合はどうであっただろうか。恐らく一番ラッキーだったかもしれん。
まずは赤ん坊の時から助けられ命を繋いだ。その後17歳で王位を受け、
諸葛など有能な参謀に支えられのんびり生きた。
最終的には幸福して王位をとられたが
逆に一生安心して遊んで暮らせる環境を与えられた。
他の皇帝は早く死んだり、遊ぶ暇もなくきびいし人生を送った。
客観的にみて、バカ殿に分類されるだろうが、彼が生涯それで満足できたのだから、
彼は一番他の人の苦労の礎の上で人生楽して暮らせたわけだ。
誰になりたいか。そりゃあプライドを捨てれば劉禅が最高でしょう。
下手にプライドを持った武将は首をはねられただけで、ちっともいい思いしてない。
424 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/11(火) 11:17:41
誰からも尊敬はされないだろう。
しかし、彼だったら生まれかわりたい。まじで。
酒と女で毎日毎日、極楽気分
425 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/11(火) 15:13:44
最終的な肩書きが「安楽公」だっけ?
426 名前:無名武将@お腹せっぷく [ ] 投稿日:2006/07/11(火) 16:11:41
世界中の暴虐な侵略者がある意味歴史に名を残しているわけだ。
秦の始皇帝、アレキサンダー大王、シザー、ナポレオン、信長。。。
劉禅のような親から受け継いで滅ぼしてしまった者は歴史的には愚人となる。
でも個人的には、一番幸せでしょうね。
うらやましい。
427 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/11(火) 16:23:46
もし、諸葛孔明が死ぬ前に魏を滅ぼしていたらどうだろう。
たぶん呉に勝てたかもしれない。
だがその後孔明が死んでしまったら、
結局呉と同じ運命を数十年後に送ることになるな。結局同じ
俺もうらやまし。毎日豪遊=酒池肉林して、
飽きもせず生涯楽しいと言ってたからね。
428 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/12(水) 02:04:15
本当に幸せだったら「郤正の言うこともっと聞いていれば」とか
悔やんだりしてないだろ
429 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/12(水) 09:23:42
劉禅なりに少しは統一事業しなければなーと思ってたんだろ
目の前の享楽にころっと行ってしまう弱さだが
まぁ、小市民だよね
430 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/12(水) 11:45:59
つか、君主としての最低限の自覚は普通にあったんじゃねえの?
後宮で美女はべらせたいなんてのは権力者としては当然の欲求だろうし
431 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/12(水) 23:40:23
「蜀を恋しいとは思いませぬ」発言ってさ、
劉禅擁護派からは「暗愚を装った発言」ってかばわれることが多いけど、
あれ、本音だったんじゃないかなとも思う。
俺、そっちのほうが劉禅にいっそう親近感わくわ。
432 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/13(木) 02:08:41
馬鹿を通したというのは、他に才気走った所を見せてるから許される擬態
ずっと馬鹿の部分しか見せてないんだから、馬鹿なんだよ
433 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/13(木) 02:34:42
>>431
まあ人間なんて徹頭徹尾一つの本音しか持ってないってわけじゃないからな
蜀なんて恋しくないといったのも本音、
郤正の諫言に後悔したのも本音なんだろう
ごくごくフツーのおっちゃんだったんだろうなあって思うよ、そう考えると
434 名前:無名武将@お腹せっぷく [] 投稿日:2006/07/13(木) 13:34:23
ハレム生活できた人なんてこの世で数える程だ。
もうやりたくなった歳には親がいないから、好き放題に遊べたわけだ。
親の劉備の言うこと聞いてたって、ただ苦労するだけ。
孔明が代わりに苦労してくれたわけだが。
435 名前:無名武将@お腹せっぷく [ ] 投稿日:2006/07/13(木) 21:29:33
三国志の中で一番いいおもいした人物
436 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/13(木) 22:47:18
董允が死ぬまでは劉禅も好き勝手できなかったわけだが
諸葛亮が生きてた頃なんてなおさら
奴が道踏み外したのは40近くになってからだよ
・・・あれ、計算合ってるか?
437 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/13(木) 23:28:14
劉禅=金正日
438 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/14(金) 08:08:13
親父はゲリラ戦のが得意、と
謝れw劉備と劉禅に全力で謝れwww というか、有能な旗下の人材を用いて40年間の在位を誇った辺境皇帝と、 軍事力と警察力を以って反対勢力を効果的に弾圧/粛清し、己の権力を固持している暴君とを、 同列視で語るのは無理があるような気がする。 いや、世界史水準で語るならば金日成と金正日も中々に興味深い人物なのかもしれないが、 同時代を生きる隣国の人間としては、あんな傍迷惑な連中はいねぇ。 ……魏にとっての蜀もそんな感じだったのかもしれんがな。
439 名前:無名武将@お腹せっぷく [ ] 投稿日:2006/07/14(金) 11:19:53
劉禅に魅力を感じる人は恐らく皆無に近いだろうな。
あんな人にはなりたくないと思うが、
実はみんなあの人みたいに生涯遊んで暮らせたらと嫉妬も出てきてしまう。
他の将軍は苦労の割には報いてない
440 名前:ヘンか 投稿日:2006/07/14(金) 16:12:14
劉備は夷陵の復讐がダメだった。
でも、劉禅は決断力に欠けるからもっとだめ。
だから、劉禅は暗君だと思う。
442 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/14(金) 17:47:13
夷陵は荊州なしでは魏に対抗できない為必要な戦。
劉備も策は考えていたようだが陸遜の方に先にやられてしまった。
447 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/15(土) 01:16:55
>>442
スレ違いだが戦術的にはあの戦いは負けしかないだろう。地形的に。
448 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/15(土) 01:52:27
てか、そもそもあの時点で
蜀に大規模な軍事行動の作戦を練れる人物っていたっけ?
449 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/15(土) 06:53:46
>>447
劉備はフウ習と密談していた。
これは、夷陵の城を早急に落とす策を練っていたと思われる。
城さえ落ちれば多少はましな行軍ができたと思う。
450 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/15(土) 08:01:33
>>447
詳しくなくていいからソース出せ
451 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/15(土) 22:54:42
地形的にどうこうはともかく、あの時点で勝つのは無理ってのには同意かな
姜維が漢中の防衛システム維持させてたとしても大して変わらんかっただろうな
452 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/16(日) 12:12:44
魏で内乱を起こさせる方が現実的だな。
あの頃では長安奪った所で手詰まりになりそうだ。
453 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/16(日) 13:07:31
長安をもし仮に奪うことができたなら、
内部的には「やはり蜀漢の理想は正しい。盛り立てていこう」みたいな引き締め効果が、
外部的には魏晋の権威失墜から来る混乱みたいな、
軍事的効果よりも政治的効果の方がデカイと思う。
454 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/16(日) 13:14:17
もしかして・・
って思わせたら成功だろうなぁ、北伐
それをうけて中原や江東がどう動くのか
456 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/16(日) 15:05:22
>>453 それが諸葛亮の目論見だったんじゃないかと…
441 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/14(金) 17:09:25
劉禅は実は諸葛亮から生き残るために自分が死んだ後どうゆう暮らしをするか、
降伏する時期や降伏した後の態度とか教えてもらったりしてないよね?
443 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/14(金) 19:46:43
人物として比較するなら劉禅と劉[王章]がもっとも適切だとおもうのだが
そういう議論が起こらないのは何故なのだろう?
どちらも親父は力ずくで国を切り取り、地域の王のような感じに納まった。
そしてそれなりに問題も抱えつつ国を保って最後は奪われている。
446 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/15(土) 00:34:09
>>443
劉璋と違って劉禅は最後に悪あがきしてないからねえ
あのタイミングでの降伏って何げに絶妙なんだよな
劉諶みたいな特攻野郎が国主じゃなくて本当によかった
459 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/16(日) 22:49:03
諸葛亮〜ヒイまでの時代は名君
キョウイになってからはカス
461 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/17(月) 01:28:47
つまり、劉禅は器ってことだな。
だとすればチュン的には名君になる。
まぁ、中身を選べないから名君ではないか・・・
464 名前:袁症 ◆G4YeARAQJk 投稿日:2006/07/18(火) 22:14:52
劉禅は・・・凡君だな
乱世でなければ十分だったろうけど
まあ孔明の死後30年国を守り無駄な犠牲を出さずに降伏したことは評価できるね
つまり姜維はうんこ
465 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 10:32:41
>>464
つ チラシ
466 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 10:55:55
>無駄な犠牲を出さずに降伏したことは評価できるね
自分の命惜しさに降伏したヘタレってことね。
467 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 10:58:33
>>466
勝g艾が成都に達した時点で抵抗を続けても、死ぬのは劉禅一人だったと?
勝g艾軍は暗殺者集団か。
468 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 11:03:41
自分の命惜しさに降伏しただけだったら
劉諶みたいなのがもっといてもおかしくない
むしろあの降伏は劉禅の意思というより蜀の国是だったと考えるべき
そもそも劉禅に降伏勧めたのは譙周だしね
469 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 11:07:13
そういや、家臣で劉シンに殉じた人間っていなかったんだよな
姜維にうんざりしてた蜀の人間にとっては劉シンの主張もうんざりだったんだろうか
471 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 11:27:43
まああの時点で抗戦するメリットって何にもないしな
当事者じゃない後世の人間だから無責任に評価できるっつーのはあるとオモ
472 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 11:51:50
降伏した際に自分の首を差し出してれば、後世の評価も
「悲劇の人」扱いになってたんだろうねぇ。
473 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 12:44:50
生き残った人間って悪く評価されるよな
賈クとか宇禁とか
474 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 13:03:19
>>472
仮に劉禅自身が望んだとしても有り得ないんじゃないか?
勝g艾の態度見てると降伏した国主は貴賓として遇するのが習わしみたいだし
まあ劉禅が降伏のとき実際になんて言ったかはわからないけどね
475 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 15:54:45
頭下げて降伏するだけなら、誰にでも出来るからな
476 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 15:59:44
いかにも三国志しかかじってませんって人の意見やね
477 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 16:08:48
いかにも社会経験のないニートの意見やね
478 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 16:49:36
なんというか、鸚鵡返しに近いレスする奴って底が知れる感じ。
>>475が社稷の重さや城下の盟、肉袒牽羊を知ってれば一国の君主の降伏を
誰にも出来るなんて軽々しい言い方はせんわな。
480 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 19:00:52
>>478
ヒント:ここは三戦板
479 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 17:26:03
およそ君主たる立場を過ごした人間なら、それは自然と身に付くだろ
劉禅には社稷の重さとか感じられないが
国の滅亡間際の君主なんて、
降伏する、
首を差し出す、
徹底的反抗を訴えて部下に殺されるの3択だ
481 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/19(水) 20:30:56
成り上がり者の二代目に社稷の重さなんざ関係あるのか?
劉禅って多分劉備の欺瞞を一番近いところで見続けてきた人間なんだぞ
482 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/20(木) 08:25:08
名目上は漢の後継
しかも40年もそれを続けて来てる
鰯の頭も信心って事だよ
わかる?
483 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/20(木) 08:54:31
ハイハイ、君も劉禅並のヘタレ人間ですね。
484 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/20(木) 09:21:15
>>483
待て、>>482はそんなに間違ったことは書いてない
ただ大義名分に拘り過ぎてる感があるが
>>482
自分の意見が全てじゃないだろうことはご存知と思うので
結果論を馬鹿にするのはいかがなものか
485 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/20(木) 22:40:04
生まれたときにはすでに漢なんて有名無実
しかも父親は自分が皇位に就くのを正当化するために
漢の皇帝が死んだと風説流してる
これで社稷継ごうなんて馬鹿馬鹿しくてやってらんないのでは
父親や孔明の手前があるから何とかかんとか40年間頑張りはしたけど
追い詰められたときにぶっちゃけどうでもよくなっちゃったんだろう
486 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/20(木) 23:12:17
平成の解釈をするな、ボケ。
487 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/20(木) 23:56:48
だが、実際玉璽とかもニセモノだからな
劉備の即位は臣下にも非難されてるし
劉禅がその辺どう思ってたかってのは興味深い
もはや知る術もないことだけどな
488 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 00:31:01
伝国の玉璽はグレーゾーンだし、蜀とは全く関係ない。
何ほざいてんだ?お前w
489 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 00:51:00
全く関係ないって・・・もしかして孫権が拾ったものと勘違いしてる?
490 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 00:51:49
権じゃない、堅だ
491 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 01:07:50
そんな馬鹿はいないだろう・・・
とは思うが、それだと漢の後嗣の話してるのに
玉璽関係ないとかほざくお馬鹿さんになっちゃうな。
判断が難しいところだ。
498 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 01:48:36
ないわきゃない。
玉璽がないと漢の後継者とは認められないんだから。
ただし当時の蜀には玉を加工する技術がなかったため、
お粗末な贋物を造ることでしか劉備は皇帝を自称することができなかった。
逆に言えば劉備が皇帝を名乗るには
贋物を造ってでも玉璽を手に入れる必要があったってこと。
・・・吊られたかな?
499 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 01:57:42
劉禅は自分とこの玉璽ニセモノだって知ってたのかな
502 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 06:26:19
>>499
実物を知ってる人が少ないだろうしねぇ。
疑ってたとしたら、否定しようにも証拠は出せないってところか。
500 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 02:05:18
ボコボコ、ガタガタで子供の粘土細工みたいな玉璽だったりして
503 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 07:32:42
本物の伝国璽の一部が欠けてるのって有名な話なんだけどな
504 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 08:29:59
>>503
案外、精巧な作りで欠け無しだとそっちを信じてしまいそうだが
505 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 10:57:00
当時の蜀と呉には中原ほど加工技術が発達してなかったんじゃなかったっけ?
だとすれば蜀の玉璽も呉の玉璽も精巧からはほど遠そうだが
506 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 15:37:01
自分が偽帝だと知っていながら40年帝位に在り続けたなら劉禅の印象も随分変わるな
507 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 16:13:08
偽物と気づいてたんじゃない?
508 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 18:46:19
>>507
たぶん。
まぁツッコンだら確実に
空 気 嫁
ってなっただろうし。
509 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 19:35:55
そんな環境で40年か・・・
忘れたくなってもしょうがないかもな
510 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 21:01:50
>>506
ふむ。
偽帝とまでは思わずとも、
自分だけが、あるいは自国だけが唯一無二の王朝であるべきなんだ、
他のやつらは征服されるべき存在だ、
などと信じず、別に違う政体があってもいいじゃないか、
とか達観していたら劉禅の印象は違うと思える。
それはある意味、政治的視野の広さであり、度量であると思う。
しかも、後世の蜀政権はなんか中央からは一歩退いた
蚊帳の外を決め込んでる節があり、
劉禅がその最初の例かな、とかちょっと妄想してしまった。
514 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/21(金) 23:07:18
漢が中華という枠組みを作り200年以上も続いてしまったのだから、
複数政権があってもいいじゃなーいというのは通じない
515 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/22(土) 00:06:27
>>514
普通王朝って復活しないのに漢は蘇ったもんなぁ、ヤバイ
これが演義の冒頭となると分裂>統一、短命>長期の繰り返しだ
てな具合になるんだから歴史は面白い
516 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/22(土) 00:11:57
だが、実際に複数の政権が同時成立してしまった
異常な状況の渦中にいた人なワケだからなあ
517 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/22(土) 03:54:51
でも、それは分裂状態というのを認識してただろ
それがまた200年も続けば、別の国という考えにもなるだろうけど
519 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/22(土) 13:16:33
>>517
東晋、南宋と違って同じ漢民族(?)だから
なおさらもういいやって気になりそうだ
518 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/22(土) 09:06:54
>>514
違う、違う。
もし劉禅が、そこまで思い至っていたら、彼への評価が違ってくるな、ってこと。
そんな証拠もないし、記録として残るような類のものでもないから
妄想でしかないわけだが。
ただ、そんな現代的思考をもっていたとも思えないけど。
どうしても四川軍閥は中央への野心があまり伺えない、
あるいはあっても積極性にかけるようにみえる。
李氏成漢は詳しくは知らないけど、
前蜀、後蜀などはそう
(このあたりはすでに分裂を許容しているのかもしれないけど)。
>>510
公孫述の隴西軍閥との連携戦略は、
諸葛亮が応用しようとしたんじゃないかと思ってる。
つまり、公孫述は野心家…(だと思える。)
521 名前:無名武将@お腹せっぷく [ ] 投稿日:2006/07/23(日) 11:51:09
あいつは暴君じゃないし、諸葛の言うこと聞いてたし、
人をむやみにころしたりしない。最高の王だった。
私的に考えるとうらやましい
522 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/23(日) 14:57:07
優柔不断な他力本願の人だけだった気も
523 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/23(日) 15:51:31
物事の二面性の問題だな
526 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/23(日) 23:26:08
英雄→色を好む
色を好む→変態
525 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/23(日) 23:04:33
蜀の滅亡については、劉禅が名君か暗君かより、
姜維のアホンダラによるところが大きい。
527 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/23(日) 23:59:52
劉禅
「将達よ。軍人の本懐を遂げよ。
人はいずれ死ぬ。そなた達の死に場所は指揮官たる朕が決める。
先帝は、夷稜で大敗された。多くの者が戦死した。
しかし、軍人として名誉ある戦死であった。
今は無き先帝が建国されたショッカンはいままさに滅亡の危機にある。
しかし、漢王室に連なる先帝の魂は必ずや我らを勝利に導くだろう。
漢は我とともにある。
これから私は剣閣に赴き、逆賊ギを迎え撃つ。
このショクの地に一歩たりとてギに入り込ませてなるものか。
呉が我が国に救援を申しでており、既にこちらに向かっているという。
思えば、先帝は、ギを討つために呉との和睦を許して下された。
それも、我が国の悲願である漢王室復興のためであった。
いまこそ、先帝とこの私劉禅の旗の下に、漢王室に対する忠義をしめすのだ。
先鋒はキョウイ。3万を率いよ。エンウはこれを補佐。
遊軍としてラケン。1万を率いて敵を攪乱せよ。山岳の地形を生かすのだ。
勅命である。
これに反するものは如何なる者であろうと処断する。
各軍の奮闘に期待する。
528 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 00:05:44
俺の目から見るとそういうのは暴君一歩手前に見える
529 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 01:08:29
軍事力用いる奴全てが暴君かよw
平和外交だけでどうにかなるなんて、21世紀の現在でさえもあり得ない事だ
530 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 01:29:40
>軍事力用いる奴全てが暴君かよw
あながち間違いでもない
つーかそう呼ばれるぐらいの覚悟がないなら権力者になどなるべきではない
531 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 02:04:14
権力から程遠い人物が権力者になるならそうだろうが、
そういう覇者の二代目や三代目はまた別だろう。
532 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 02:25:51
まあそりゃそうなんだが
だからこそ世襲制は常に歪みを内包していると言える
533 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/24(月) 03:15:00
人身を引きつけている限り暴君ではありませんよ
534 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 06:19:57
>>533
そこ誤植すると凄く暴君っぽいぞw
535 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 18:59:44
ナイス誤植ww
536 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/24(月) 23:26:44
人身事故を起こす奴は>>535とともに無間地獄。
537 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/07/25(火) 08:15:22
劉禅と韓馥と劉璋と無能三人衆結成
538 名前:韓玄 投稿日:2006/07/25(火) 09:42:13
>>537
ワシを忘れるでない
539 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/25(火) 10:31:20
曹操が統一を見据えて配置した南部四郡の君主を無能だと?
お前バカじゃねーの?
540 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/25(火) 10:32:15
書き込んでから「君主」ってのは無いなと思った
541 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/25(火) 12:17:20
それもゲームの悪影響。
群雄を大名とか言ってみたり…
542 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/25(火) 14:17:02
人物を武将と言ってみたり・・・
544 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/25(火) 20:30:52
>>542
時代がね。
五代十国時代なら、べつに武将でもいいんだ。
あれは武人政権時代だから。
それでも儒者や士大夫を指して武将とは言わない…
550 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 18:35:00
>>544
盧植も軍を率いていたが
曹操も一応名士だし
551 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 19:52:56
>>550
一体何が言いたいの?
盧植は武将だとでも…?
552 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 20:34:30
役職考えれば武将ではあるな
553 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 21:05:12
武官だろ。
554 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 21:13:13
言葉の定義にえらい拘る人2chでは多いよね。
確かに狭義であればあるほどより正確ではあるが…
>>544の士大夫なんか別に武将と反する言葉じゃない気もするし
(もちろん=と言ってるわけじゃない)。
555 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 23:18:10
反するというわけでなく、別に構わんとは思うよ。
日本人にしてみれば、武人=武将であるし、
武人政権でやってきた歴史だから、
政権の中枢にいるのを武将というのはピンとくるから。
日本では一番上が将軍であって、
中国ではそれこそ武将の位置に将軍なり尚書なりがいるわけで、
ひと括りに武将では正確ではない、というだけの話じゃないの?
普通に使ってしまうけどな、武将。あるいはある勢力内では部将。
556 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 23:28:33
この板でも同様なスレが立ったりしてるけど、
ゲームに毒された人なんかは
「好きな武将は?」とかって会話になる
こういう時、官僚や文人はどうなるのかと
545 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/25(火) 21:27:18
こういった呼称に対するツッコミって、
少し前までは逆に叩かれるくらいが普通だったよね
ひと昔前は殆どが武将か軍師
残りは文官でひとまとめなんて酷い括りが当然の様な流れだったし
548 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 08:05:22
>>541
君主はラノベのせいじゃね?田中あたりの
549 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 08:46:45
>>548
心当たりがないなぁ。
コーエー三国志くらいだろ、韓玄とかを君主扱いしてるのって。
546 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/07/26(水) 00:49:04
ゲームで無能と言えば、金旋だろ。
547 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2006/07/26(水) 07:57:07
韓玄も金旋も趙範も劉度も、俺から言わせれば名君だな