ルネサンスはなぜ過大評価されるのか? 適当にまとめ
引用元スレッド
定期的にルネサンス以前が評価し直されているけどね
1 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/30(木) 21:57:57 0
なぜルネサンスは過大評価され、中世は過小評価されるの?
実際にはルネサンスには占星術や魔術など、非近代的な要素もあるし、
ルネサンス人の思想には、現代人から見て受け入れがたい非人道的な面もある。
2 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/30(木) 22:01:24 0
ギリシア文化の復興はやっぱり同じような都市国家世界で
3 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/30(木) 22:03:45 0
12世紀ルネサンスでも嫁。
4 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/30(木) 22:23:55 0
>>1
ルネサンスは古代ローマギリシアの思想を復興したのが一番重要なことだろ。
キリスト教や封建王権によらない「市民社会」を作るためのバックボーンになった。
5 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/30(木) 23:17:31 0
キリスト教の影響が薄い日本では、
キリスト教を否定したルネサンスの価値がわかりにくいな。
無理矢理わかりやすく例えると、
「クリスマスとバレンタインデーは廃止だ!
日本人は日本人らしく過ごせ!」と宣言し、
しかも実践しちゃったのがルネッサンス。
6 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/30(木) 23:28:22 0
>>5
それもまた違うような…
日本で言うと『国学の興隆』が一番ルネサンスに近いと思うよ。
絶対的なものだとされた幕府や大名の武家権力、身分制度を
「幕府が権力を持っているのは天皇に委任されているからであり、
彼ら自身が尊いからではない。
また身分の違いも、幕府が作り上げたもので、
もともと日本は天皇の元、臣民は平等であった。」という考え方が広まった。
これが直接的に明治維新に繋がっていくわけだ。
15 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 12:25:59 0
>>5
キリスト教の全否定ではなくて、
キリスト教と新プラトン主義を融合させようとしたのでは?
当時はローマ教皇の有力なパトロンの一人だった品。
中世では、アリストテレスの著作はよく知られていたが、
プラトンはほとんど知られていなかった。
25 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 22:22:25 0
>>15
それは違うね
初期キリスト教は基本的に新プラトン主義
アリストテレスの著作はあまり読まれなった
十字軍以降イスラムからアリストテレス主義が入ってきて
新プラトン主義は追いやられて教会はアリストテレス主義を採用
ルネサンスの頃になるとまたプラトンが活発になる
31 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/09/27(木) 20:10:32 0
>>25
というか、プラトンと新プラトン主義が
全然違う別の思想だということに気づけよ
7 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/08/30(木) 23:55:08 0
もともと蛮人に過ぎなかった欧州の白人が
自分たちが滅ぼしたギリシャ・ローマの文明の後裔だということを
無理矢理こじつけるためにルネッンスなどという名前を付けているんだろう。
本来なら、欧州の旧ローマの遺領に定着した蛮人が
ギリシャ・ローマの文明にならってやっと文明化したというべきだろう。
8 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/08/31(金) 01:25:26 0
ルネッサンスって普通にキリスト教の宗教絵とか描きまくってるよね。
ミケランジェロの最後の審判のように。
どこがギリシャ回帰なの?
9 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 01:37:10 0
>>8
ダビデ王像が、ギリシャ彫刻に倣って全裸で、しかもチソコが皮かむりというところ。
10 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/08/31(金) 01:44:33 0
BS世界のドキュメンタリー
「地中海歴史紀行 異文化の交差点 スペイン(二回シリーズ)」が良かった。
歴史学者ベタニー・ヒューズの謎解きが面白い。
ルネサンスを齎したのは実はイタリアが最初ではなく、
さらに古いスペインがその発祥地だという。
しかもイスラム文化が西洋にルネサンスの精神を齎したという話だった。
しかしキリスト教徒によってイスラム文化の功績はすべて抹消され、
歴史は捏造されてしまった・・・。
もう再放送したけど、また再放送してほしい良質の番組だった。
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/070709.html
番組はこのスレの趣旨に沿った内容になっているし、
ルネサンスに対する違った視点が得られる。
この視点では中世に進歩的なイスラム文化からキリスト教徒が文化摂取した事実を
キリスト教世界は何としても否定したい。中世は恥辱に他ならないというのが、
キリスト教世界が中世を過小評価する理由の一つだ。
11 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 02:12:12 0
>>10
そのドキュメンタリー面白かったな。
最後に当時のイギリスの学者が、
スペインのイスラム教徒の学者に当てた手紙が出てきて、それには
「イスラム教徒は理性を重んじるのに
我々キリスト教徒は狂信的で野蛮なのばかりでどうしようもない。
我々は理性を学ばなければならない。」みたいな事がかかれてた。
現代と比較してなんともいえない気分になったよ。
12 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 02:40:37 0
面白い放送だったね
13 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 07:18:00 0
>>10
実はそれも去年の再放送
14 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 10:53:37 0
スペインの保守派の学者のインタビューもあったな。
「我々にイスラムの影響など何もない」みたいな主張をしてた。
20 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/08/31(金) 20:17:50 0
>>10
「無から生じた古代ギリシャ文明のみが欧州の文明の祖」という
歴史観もなんとかしてくれ、頼む。
21 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 20:33:35 0
>>20
ギリシア文明はもう既に、
古代ペルシアの派生文明だと決着がついていたと思ったが。
22 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 20:59:10 0
派生文明だがペルシアではないだろ
23 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 21:04:02 0
>>22
ベースがペルシア文明で、
その後エジプト文明に強い影響を受けて形成された、と聞いた。
16 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/08/31(金) 17:42:35 0
中世が余りにも強固な暗黒世界だったから、それを破った復活期が引立つ。
それと、新世界の侵略と得られた利益の膨大さが復活期を輝かしている。
17 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 18:21:58 0
現代人が中世ヨーロッパに向ける眼差しというのは、
現代の西洋人が東洋や未開社会に向ける眼差しと共通していると思われ。
奇妙で、理解不能な社会という見方。
18 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/08/31(金) 20:06:55 0
後生の反教会、反キリスト教の連中が過剰に持ち上げてるだけ
そして、その尻馬に乗る非クリスチャン
19 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/08/31(金) 20:12:28 0
ルター死ね
こいつがルネサンスを殺した
>>18
死ね
27 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/09/01(土) 00:01:11 0
>>19
それ以前に教会の腐敗が行き過ぎていたからな。
アレクサンデル6世のような俗物教皇まで出る始末。
26 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 22:32:46 0
ルネサンスはギリシャ回帰といわれるが
実際は教会哲学なんてのはそれこそ2世紀ぐらいから
どっぷりギリシャ哲学につかってるし
科学に関しても教会はアリストテレスの科学観(天動説など)を基本としていて
ギリシャの伝統はちゃんと残ってる
じゃ何が違うかというと教会じゃなく市民、商人がギリシャを意識して
古代のギリシャの世俗的な面を意識したところかな
もっとも今はルネサンスと中世という断絶史観は一般的じゃないけどね
28 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/09/01(土) 02:14:51 0
フィレンツェって、
メディチ家が実験を握ったころから市民的自由は衰退し始めるのよねえ。
知識人も、君主に用意されたヴィッラ(別荘)で快適な生活を送り、
現実に背を向け、市民的人文主義の活力も衰えていった。
34 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/11/16(金) 14:42:56 0
>>28
時代が、広域支配を要求したから、仕方ない
48 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/04/30(水) 21:18:38 0
>>28
でも、科学の発展は、それ以降も進展したから、別に無問題
35 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/11/16(金) 21:28:16 0
欧州がルネサンス期に得た技術・知識って
アラブや中国からしたら「何を今更」てかんじだろ。
十字軍の遠征とそれに伴うルネサンス時代で
やっと欧州はアラブや中国に追いついた。
それまでは日本とどっこいどっこいか、それ以下。
36 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/12/17(月) 01:54:57 0
しかし、実用性の低い風車などの技術を、実用レベルに押し上げて
やがて産業革命へとつなげて他地域を圧倒してしまう。
その底辺には、それらを取り込むだけの下地があった。
明治維新で、日本が西欧技術を取り込んだとの同じように
38 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/12/20(木) 12:32:04 0
もともとローマ時代からギリシャ・ローマ以外の欧州は土田舎だったからね
ローマの崩壊による欧州の衰退って感じだけど
実際は先進地域がイスラム、ビザンツに切り離されて低迷したって感じ
で1000年近くかかって逆転すると
42 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/03/14(金) 21:47:54 0
ある時代の歴史家がでっちあげた神話では
43 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/03/14(金) 22:30:11 0
ヨーロッパが他の地域や文化を決定的に抜き去るスタートだからだろ
44 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/03/15(土) 03:52:44 0
レオナルドやミケが絶対的に凄いからだろ。
理屈は後からついて回る。
45 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/03/15(土) 09:03:10 0
中世も農業改革とかあって、まったく発展しなかったわけじゃないけど
文芸に金掛けるほどの余裕はなかったんだろうな
で、東方貿易で富を蓄積したイタリアの都市国家には、その余裕ができて
それまで低迷していた文芸の復興がなされた、とか?
46 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/03/15(土) 12:46:50 0
イタリアだけ語られる傾向があるが
フランドル地方も中世からイタリアに負けない発展した地域だった
ルネサンスの時代まで音楽の中心はイタリアでなくフランドルだし
その地域を抑えたブルゴーニュ公はヨーロッパで最も豊かな君主だった
49 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/06/02(月) 22:20:54 0
>>46
北方ルネサンス絵画で人々の外見が細長い絵が多いのは、
フランドル人は実際ああいう外見だから
47 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/03/15(土) 20:42:49 0
イタリアは先進地域であるイスラムの影響が届きやすかったので、
「文芸復興」という動きも起こった。
50 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/06/02(月) 22:46:34 0
この時期のヨーロッパでも、学問といえばイスラムのものだった。
52 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/06/03(火) 00:00:36 0
またイスラム厨か
イスラムの学問は14世紀以降停滞してるんだが
55 名前:世界@名無史さん[jsdf304sq@jcom.home.ne.jp] 投稿日:2008/08/03(日) 03:18:52 0
だいたい、戦争技術のほとんどない都市国家が
傭兵隊長に戦争まかせきりで対立内輪もめなんぞしとるから、
シャルル8世みたいなDQNに干渉されちまうんだから
ルネサンス期のイタリアは政治力はあったが、軍事的には後進
56 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/08/03(日) 17:41:59 0
ルネサンスはイスラムはビザンツの影響が大きいと思うんだが。
イスラムが停滞したのはモンゴルと十字軍によって国土がめちゃくちゃになったこと。
特にバグダードが破壊されてしまったことが痛手だったと思う
中世ヨーロッパの修道院に古代からの蔵書が残っていたの?
実際のところはイスラムやビザンツの書物を輸入していただけだと思うんだが。
57 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 19:51:45 0
影響を受けたら価値がないのか?
60 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/08/03(日) 21:36:32 0
価値が無いわけじゃなくて
修道院に所蔵してあった書物から
ヨーロッパ人が独自に古典を研究し
ルネサンスに至ったということは考え難いのではないかと思っただけ。
イスラムは知恵の館で組織的に古典を翻訳していたし、
ローマの後継であるビザンツにはかつての書物が残っていたと思う。
ローマを滅ぼした蛮族が自力でというのはかんがえにくい
61 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/08/04(月) 00:58:55 0
そんなことは教科書に書いてあるほどの一般常識ですけど。
ルネサンスにイスラム・ビザンツの影響がないなんて誰が言ってんだよ。
62 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/08/04(月) 23:00:25 0
モンテ・カシノ修道院等には
アリストテレスら哲学者の著書、
カエサルのガリア戦記、愛の詩など残っていたの?
そもそも中世ヨーロッパの修道院に残っていた書物を再発見した、
ということはあったの?
そもそも、中世ヨーロッパの修道院なんて何も無かったと思うんだよ。
ビザンツやイスラムの本を輸入し翻訳しただけなんだと思う
再発見というのはあり得ないくないか?
63 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/08/04(月) 23:40:55 0
イスラムからの翻訳は主に12世紀ルネサンスの時代だよ
いわゆる14,5世紀のルネサンスは
ギリシャ語原典からの翻訳によるアラブ語からの古い翻訳版の訂正や
カロリングルネサンス時代に修道院埋もれた古いラテン語の資料の発見などだよ
この時代は翻訳よりも技術発展の方がもっと評価されるべきだと思うけどね
大翻訳の時代は12.3世紀の方が主体
>>60
ローマ崩壊の際、戦乱と無縁だったアイルランドの修道院には
大陸から僧侶が逃げてきて古典をいくつか保存していた
それをカロリング・ルネサンスの時に大陸にもってきて増刷保存した
たから全く残ってないわけじゃない
ただ当時は学問レベルがまだ低いし知識人も少ないので
せっかくの蔵書も忘れ去られたのが結構あって
ペトラルカなどは修道院の蔵書を積極的に調べてる
64 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 00:00:39 0
>>62
もしヨーロッパに完全に古典が残ってなかったら
十字軍以前は古代のことが全くわからなくなる
十字軍時代以前の西欧の知識人でもさすがにそこまで資料がないわけじゃない
いちおう修道士が少ないながら歴史について書いてるからね
ただ質、量共にイスラムの方が優れていたからたくさん輸入した
その後はギリシャ語原典から直接訳すようになった
全くないとかあるとか極端な二元論はダメだよ
十字軍以前はプラトンは結構残ってて、アリストレスは一部しか残ってなかった
その他にもアウグスティヌスはもちろんボエティウスも
ガリア戦記は超メジャーだからさすがに残ってたんじゃないかな
ラテン語著作よりギリシャ語原典の著作が残りにくかったと思う
当たり前だけどね
66 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/12/10(水) 22:06:04 0
中世の修道士は異端に染まりやすかったわけだ
67 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/12/11(木) 11:32:55 0
>>66
異端と言うか、それぞれのセクト主義に染まりやすくて、
それを中央統制を望む教皇庁の側が片っ端から異端認定した。
68 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/12/11(木) 21:58:58 0
まずこのスレには根本から勘違いしてる人間がどうもいるような気がするが、
ラテン人はラテン人としてローマ滅亡後も大部分はそのまま残ってる
フランクの蛮人がローマ人とそっくり入れ替わったわけじゃない
ローマ滅亡後の西欧=蛮族王国
なんていい加減なことを前提にするのはやめてくれ
古代からルネサンス期へと引き継がれた書物文献の流れは大きく分けて3通りある
ひとつはカトリック教会の通常業務として書き写され続けたもの
書物というものは、禁書であろうとなんであろうと真っ当な文明人なら処分などしない
組織としてのカトリック教会は文明的、知的であることにかけては当代一だった
バカじゃあ人は騙せないと言えば、アンチキリストな奴にも納得できると思うが
ひとつは、東ローマ内のもの
これはビザンツとして脈々と続いた帝国の各書庫に、きちんと保存されていた
コンスタンティノープルの大図書館にも、ローマ時代までの書物が相当数残っていたらしいが、
これは第四次十字軍のとき、フランス軍が大半を燃やしてしまった
最後は、東ローマからサラセン帝国へ移されたもの
ギリシャ正教下の、ろくに研究できない環境に嫌気がさした学者が相当数
サラセン帝国へ書物とともに流出した
古代学問を邪教として扱い一切無関心な東ローマより、
異教のものであろうと技術的有用性を解し積極的に取り入れようとした
サラセンのほうが、研究環境としては断然優れていた
むろんフランクは論外
この3系統により生き延びた書物を、
古代文明に猛烈な興味を沸かしたルネサンス人が執拗に引っかき集めたわけだ
69 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/12/12(金) 04:58:59 0
>>68
つーか、ローマ帝国の長い治世の中で、帝国の中心は徐々に東方に移って行った訳で、
「西ローマ滅亡後もラテン人がそのまま残った」なんてのは、
誤解を産む言い方だと思うぞ。
正確に言えば、西ローマの時点でラテン人の殆どはもう、東方に移っていた。
70 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/12/12(金) 05:16:51 0
はあ?
東方ってどこのことだか知らないが、東ローマはギリシャ人の国だぞ?
ラテン人の大半はイタリア半島に住みっぱなしだ
71 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/12/12(金) 19:25:46 0
民族がごっそり入れ替わり移動したと信じこんでる奴が
ほんと後を絶たないな
72 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2008/12/30(火) 16:21:21 0
カロリング朝ルネサンス
マケドニア朝ルネサンス
パレオロゴス朝ルネサンス
12世紀ルネサンス
北方ルネサンス
……
何でも「ルネサンス」と付けりゃいいってもんじゃねーぞ
と思うのは俺だけですかね
73 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 16:55:30 0
>(仏: Renaissance 直訳すると「再生」)
らしいからねぇ。普通の言葉なので普通に使われてしまう。
74 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/12/31(水) 01:15:27 0
シルクロード
海のシルクロード
草原のシルクロード
シルクロードって日本の造語だっけ?
Wikipediaによればリヒトホーフェンの造語を英訳したものみたいだな。 ・シルクロード - Wikipedia 要はユーラシア大陸を東西に縦断する内陸交易路が断続的に続いていたって感じだと、 適当に理解しているが、専門家の間では色々と物議を醸していたらしいな。 ……まぁ、己が担当する細部に拘るのが科学者(Scientist)だしなぁ。