戦う聖職者 適当にまとめ その1
引用元
アァァンデルセェェンッッ!!!
1 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/31(木) 02:41:13 0
僧職の身にありながら軍隊を率いたり武勇で名を残したりした
世界史上の人物を語るスレです。
2 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/31(木) 02:44:23 0
とりあえず
神秘主義教団の長にしてサファヴィー王朝の始祖
シャー・イスマーイールとか?
3 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/31(木) 03:01:09 O
この発想はナカッタワ
ラテンアメリカカトリック分派の解放の神学の聖職者が思い浮かんだんで
1966年にコロンビア内戦で死亡し、
後に『ゲリラのキリスト』として汎南米的に有名になった
コロンビアの牧師、カミーロ・トーレスを挙げておこう
7 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/31(木) 09:02:34 0
どこかの国では大統領になった人もいたような>解放の神学
67 名前:ドン・ベムーゴ ◆ijbu/dKPW2 投稿日:2007/06/19(火) 02:01:18 0
>>7
第一次、第二次のニカラグア内戦で、
解放の神学派がサンディニスタの一翼を担ったことから
サンディニスタ革命直後に外相、文化相、教育相、OAS大使が
ニカラグアの解放の神学出身の閣僚として政権に就きました
大統領の件は聞いた記憶がないんで調べて見ます
68 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/19(火) 06:53:50 0
イダルゴ神父は基本中の基本。
69 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/21(木) 08:57:24 0
ウィキペでちらっと見たけどこの人かな?
ジャン=ベルトラン・アリスティド
12 名前:3 投稿日:2007/05/31(木) 13:05:31 0
コロンビア民族解放軍(ELN)情報部
http://www10.plala.or.jp/shosuzki/edit/otherla/eln.htm より
1960年代初め,国民戦線とオリガルキーに対する広範な大衆運動が発展した.
それは「人民統一戦線」(FUP)と呼ばれた.
この運動を率いていたのは革命的神父,カミロ・トーレスだった.
数万の労働者,スラム街の住民,学生や農民が
社会的不正義と非民主的な二大政党制に抗議して立ち上がった.
独立共和党と人民統一戦線はオリガルキーの攻撃の的となった.
マルケタリア(Marquetalia)の農民共和国は,
1964年までに,軍の手により消滅させられた.
カミロ・トーレスは死の脅迫を受けて地下に潜まなくてはならなくなった.
彼の潜行先は,ELNが活動を開始したばかりの地域だった.
現在につながる二つのゲリラ組織が発足したのは1964年のことだった.
直接にはマルケタリアの虐殺に呼応する形で,
共産党の影響を受けた二つの農民組織が
「コロンビア革命武装勢力」(FARC)と人民軍 (FARC-EP)を創設した.
同じ頃,キューバ革命の影響を受けた別のグループが
サンタンデル州の農村を根拠地として活動をはじめた.
その組織は民族解放軍 (ELN)と名乗った.ELNはチェ・ゲバラの戦略を規範とし,
カミロ・トーレス神父が戦列に加わったことで,広範な共感を勝ちとった.
カミロ・トーレス神父は,1966年2月15日,最初の戦闘で命を失った.
1967年,国際共産主義運動のソ連派と中国派への分裂を受けて,
第三のゲリラ組織が生まれた.毛沢東主義者の人民解放軍(FPL)である.
この組織は主として国の北の部分に影響を広げた
19 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/31(木) 16:49:58 0
最強はモズグズに決まってるだろうが。
ちょい前までこの板でもモズグズ様スレがあったぐらいだ。
この板で専用スレがあったのはこいつぐらいだろうw
8 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/31(木) 11:35:20 0
ミュンスターの獅子ことグラーフ・アウグスト・フォン・ガレン大司教
9 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/31(木) 12:28:42 0
聖職者が同時に領邦君主だった中世ヨーロッパだといくらでもいる気はするが。
とりあえず軍人教皇ユリウス2世とか。
10 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/31(木) 12:51:49 0
聖職者ってゆうとクリスチャンをイメージしちゃうみたいだが、
仏教の僧侶だって聖職者だろ。
比叡山の僧兵とか、少林寺の武芸僧とかいる罠
11 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/31(木) 13:00:37 0
武当山の道士もな。
21 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/31(木) 20:20:01 0
>>10
少林寺僧が実際に参加した有名な戦闘ってあるの?
22 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/31(木) 22:10:21 0
満州のアルバジン要塞攻略戦とか
まあ、伝説の類だが
24 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/01(金) 06:58:00 0
>>21
有名じゃないけど
明代に40人の「山東少林僧」が倭寇と戦ってついに全滅した記録がある。
少林寺とは関係ない連中だったらしいが。
37 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/03(日) 07:23:03 0
8 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2006/10/24(火) 09:52:12 ID:x/hU9IuZ0
少林寺守護神・緊那羅王
『少林寺志』によると、
緊那羅は元末明初の少林寺に実在した僧で、俗名を許那羅という。
普段は寺の炊事僧として働いており、
誰の話題に上る事もないような目立たぬ存在だった。
しかし元朝末期に起こった農民蜂起軍である紅巾軍が、
大挙して少林寺に攻め入り寺の財物を略奪しようとした時に、
寺の衆僧で誰も敵う者がいないのを聞くと
棍を手にして飛び出し、見事これを撃退した。
後世、観音菩薩の化身・緊那羅王として神化され、
現在でも当地の武術家によって「少林武術の守護神」
もしくは「山門顕武第一人」として奉られている。
月空和尚、倭寇を撃退す
西暦1551年(明嘉靖30年)、
月空和尚を首領とする少林僧兵100余人は、
中国南方沿岸部に出没しては猛威を振るっていた倭寇を撃退するために出撃し、
数度の戦闘で倭寇に壊滅的な打撃を与えた。
しかし度重なる激戦で、月空をはじめとする僧兵らも最後には全員戦死、
寺に帰ることはなかった。
少林寺の西にある搭林(歴代高僧の墓碑)には、
月空和尚のための搭が今でも残っている。
13 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/31(木) 13:16:29 0
あと基本としてキリスト教の騎士修道会。
十字軍方面のテンプル騎士団、ホスピタル騎士団。
レコンキスタ方面のサンティアゴ騎士団、アルカンタラ騎士団、カラトラヴァ騎士団。
東方殖民のチュートン騎士団、リヴォニア帯剣修道会。
まあ、聖職者っつーとちょっと怪しいが。
14 名前:カラジチ ◆mWYugocC.c [sage] 投稿日:2007/05/31(木) 14:55:02 0
二次大戦の時にクロアチア独立国への協力と虐殺指示で有罪判決の出た
ザグレブ大司教ステピナツ
が真っ先に思いついた。
27 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/02(土) 15:23:27 0
本願寺蓮如のことを忘れてませんか?
29 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/02(土) 17:36:10 O
>>27
>>15
15 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/31(木) 15:31:17 O
恐るべき数の女犯を犯し、領民から過酷な搾取を行った戦国版麻原の本願寺顕如
99 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/09/26(水) 18:52:23 0
>>15
一向宗系統は女犯の禁忌はないはずだが
つか普通の宗派で言う所の破戒って概念が一向宗では全体的に薄いだろ
28 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/02(土) 16:55:36 0
某戦国漫画で殆ど亀田興毅みたいな本願寺顕如が出てきてワロタw
「おおきに!」とか絶叫しながら布教するのなw
戦国時代だと、
宮部継潤、筒井順慶、宝蔵院胤栄、大林坊俊海、法華経寺日親。
中国へ目を転じて弓の達人・王陽明。
32 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/02(土) 22:50:31 0
三好清海みたいな一応出家してる武将なんかも数に入れていいのか?
41 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/06/04(月) 00:57:50 0
>>32
中世日本では、芸能民などは僧体でしたし、
老年期には大抵剃髪して入道となったので、
朝鮮からの使いなどは、国民の半分が僧体だと記していたくらいです。
これは大袈裟としても、
正式な僧侶からそうではない入道までかなりの人間が当て嵌まりますよ。
また、入道という場合、俗家にいる正規の僧侶ではない者も指しました。
それでも、三井高利夫妻像のように、一応剃髪していましたが。
30 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/02(土) 19:06:56 0
王陽明って宗教家に入れていいの?
31 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/02(土) 20:32:06 0
王陽明はれっきとした官僚。
それに宗教家ではなく思想家。
16 名前:水 ◆TCygujgOWY @株主 ★ 投稿日:2007/05/31(木) 15:32:16 0
アステカの神官も生贄を捕まえるために戦争に出たんだよな。
数は少なかったけど。
18 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/31(木) 16:39:17 O
これから出て来るどんな人物よりもムハンマドが最強
115 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/12/08(土) 21:01:42 0
>>18で出てるけど、預言者にして大帝国の創始者たるムハンマドが
一番世俗的な業績を残した聖職者だろうなあ。
本当にアッラーは寛容にして慈悲深くあられる。
23 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/06/01(金) 00:32:41 0
とりあえず、対外戦で。
・常覚
→壱岐島分寺(国分寺)の講師。刀伊が入寇し、壱岐守理忠が殺害された後、
抗戦して三度に渉って敵を撃退した。後、衆寡敵せず大宰府へ逃れる。
・休静(西山大師)
→秀吉の朝鮮出兵の際に抗戦。自ら1500人の門徒と共に挙兵し、併せて
全国の寺院に檄文を発した。弟子の処英と惟政(松雲大師)も挙兵しており、
惟政は後に外交交渉の場でも活躍している。
25 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/01(金) 19:11:30 0
>>23
李氏朝鮮では仏教僧は蔑視されてたとか聞きますが
実際は結構影響力があったんでしょうか
26 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/02(土) 01:32:27 0
平民や白丁にとっては儒者よりよっぽど親近感がもてる罠
41 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/06/04(月) 00:57:50 0
>>25
どのくらい、といった話だと何とも。調べてみないと分かりませんが。
62 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/06/09(土) 17:40:38 0
>>25
>李氏朝鮮では仏教僧は蔑視されてたとか聞きますが
一応、調べておきました。
新羅や高麗とは異なり、専門の仏教史研究書や史料集は確認出来ませんでしたが。
李朝も太祖は仏教を信仰しており、
その時代は陵墓の傍に寺院を建立することも珍しくなかったものの、
太宗の時代になって、国家公認の寺院を242寺に減らされ、
宗派も12宗から7宗とされています。
もっとも、242寺などというのは、免税などが許された寺院の数ですが。
寺自体は、その後も各地に存続していたようです。
これが、世宗の時代になると、寺が36、宗派が2に減らされました。
16世紀、明宗の時代になると普雨が出て、
文定王后の信任を得て教勢がやや回復したものの、
王后が崩御した1565年にほぼ元の木阿弥に。
朝鮮出兵時には、その残り香があったくらいでしょうか。
また、儒家からの極端な仏教排撃論は、太祖の時代から出ていたようです。
63 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/10(日) 06:45:35 0
>李朝も太祖は仏教を信仰しており
それは意外。
64 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/10(日) 11:47:14 0
別に意外でもないべ。日本でもよくあるし。
65 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/12(火) 08:07:52 0
そりゃ日本では珍しくないだろうが・・・
66 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/15(金) 10:56:33 0
李成桂が台頭する前にも高麗王に取り入って
土地改革に着手した仏教僧がいた。
このスレには関係ないが。
33 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/02(土) 23:27:17 0
チェーザレ・ボルジアも一応聖職者だよな
全然聖職者らしくもないが
34 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/03(日) 00:48:44 0
>>33
チェーザレ・ボルジアは戦争おっぱじめるころには既に聖職捨ててなかったか?
103 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/09/28(金) 00:51:07 0
今週号のモーニングに「チェーザレ」が載ってたので読んだら
「あの黒衣の連中が本当にドミニコ会士なら命はなかった。
奴らの中には戦闘訓練を積んだ者たちもおり、殺人も辞さない」
とかいう台詞があったけど、そうなんですか?w
137 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/01/20(日) 12:36:48 0
>>103
ドミニコ会のMilitia Christiかな?
104 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/10/01(月) 08:12:33 o
聖職者に、原理主義のテロリストや、伝説のアサシンも含むのかや?
105 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/10/01(月) 16:46:24 0
イスラムは職業聖職者をもうけてないから判断に迷うんだよなぁ
106 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/10/01(月) 19:52:59 0
>>105
イスラム法学者=他宗教で言う所の聖職者、
って判断であまり間違ってもいないと思うけど。
107 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/10/01(月) 20:31:30 0
>>106
正確には=ではなく≒だね、プロテスタントの牧師も職業聖職者じゃないし
108 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/10/02(火) 08:38:45 0
カトリックの修道士も聖職者じゃなかったりするしな
109 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/10/02(火) 12:59:59 0
んな事言ったら仏教僧も、本質的には修行者であって、聖職者ではないわな。
110 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/10/02(火) 14:58:49 0
>>107
牧師さんて
信者を代表して冠婚葬祭の儀式進行をする檀家総代みたいなもんだっけ?
111 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/12/03(月) 10:30:27 0
宗教で飯を食ってたら聖職者と言っていいのかな?
145 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/04/16(水) 22:00:28 0
>>104
イスラームは、キリスト教世界のような、聖と俗、政治と信仰といった
二元論では分けにくいと思うのよ。
>>106 のように、原則的にはイスラームには聖職者はいなくて、
それにあたるのは、法典を解釈する法学者だね。
彼らは平和な状態では政権のご意見番だけど、
治安が乱れると直接行動にでるから(例えばイランやアフガニスタン)、
原理主義のテロリストは強いていえばこっちかな。
スーフィー(神秘主義者)や、
本人らはイスラームといってるけど、
どっからどう見ても土俗と混淆しちゃってる
(原理主義者からバカにされるような)怪しいものは、ちょっと違うかも。
アサシンはこっちだろうな。
146 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/04/17(木) 12:11:09 0
>>145
つーか、一般的に原理主義者こそ、土俗とイスラームを混同しちゃっているよ。
それもおそらく意図的に。
今のイスラーム原理主義は清教徒的なものではなく、
狂信的保守主義と定義した方がいいと思う。
147 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/04/17(木) 15:05:38 0
>>146
うんうん、狂信的保守主義。
イスラム原理主義っていうけど、原点回帰の運動と過激派を分けろっていうもんね。
土俗とイスラームを混同って、ブルカとか割礼のこと?
148 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/04/17(木) 17:37:12 0
>>147
他にも、イスラムの名の下の、有力部族による長老政治もそうだし、
女性の参政の制限や権利の一部剥奪、
夫に先立たれた妻へのサティ(殉死)も、
この辺は現地の土俗的風習をいつのまにやらイスラムに転化したものだね。
インドやパキスタンなんかでは、
イスラム教徒の間に(非公式ではあるが公然と)カーストすらある。
イスラームは過激派の活動で一見にぎやかだけど、
宗教としての根っこは相当弱っていると思うよ。
149 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/04/17(木) 18:15:55 0
へー、南アジアはそうなのかー。
実際は土着の文化とうまく折り合いをつける、ゆる系宗教だもんね。
ヴァチカンのような中央集権的な組織もないし。
狂信的保守主義な人も、
ピュアなイスラーム像を勝手につくるしかないってことかな。
>宗教としての根っこは相当弱っている
トルコのように揺り返しが起きたりするわけで、
そこがイスラームの妙だと思うな。
しかしスレにあがってる事例を見ると、聖職者って結構血にまみれてるなあ。
逆にきれいな聖職者ってなんなの?って思うよ。
150 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/04/17(木) 21:44:26 0
聖職者と言ってもその実体は巨大組織の運営者なんだから、
生臭い政治もあれば血まみれの暴力もあるわな。
151 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/04/18(金) 01:07:52 0
今でこそ双璧のポジションにある浄土真宗も禅宗も、
最初期は群れるなとかいった主旨の教えに忠実だったから
ドマイナーな宗派に甘んじてたんだよね
やがて教義の適用を緩くした事で、教団を拡大できた代わりに
純粋な教えから遠ざかってしまった
なんにつけてもメジャー化・巨大化すると
政治的要素とは無縁でいられなくなるからなぁ
152 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/04/18(金) 15:18:46 0
んー、
「戦う聖職者」ってわざわざ言うぐらいだから、
みんな、少なからず、
聖職者は殺しをしない
ってイメージがあると思うんだ。
きれいな聖職者ってなんなの?って思ったのは、
そのイメージがどこで植えつけられたのか、気になったのですよ。
153 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/04/18(金) 17:31:49 0
まあ政治的云々を抜きにしても、
古代中世では外敵から自衛する為にあらゆる団体・勢力は武装してたし、
それは坊主だって例外じゃない
日本人にとっては信長・秀吉・家康らの流れで出来上がった
民衆や寺社の非武装化政策の流れで、
そこから出来上がった坊主をイメージしてるせいで、
坊主は普通は武装しないって印象になってるのかも
155 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2008/04/21(月) 17:46:45 0
日本も室町時代の寺社は、戦争や紛争ばっかりやっているな。
まあ、あの時代は日本人全体が、異様に凶暴な時代だったが。
35 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/03(日) 01:14:26 0
単体で最強はらすぷーちん
36 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/03(日) 02:10:34 0
面構えだけならベネディクト16世も捨てがたいな
38 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/03(日) 08:33:09 0
中世ヨーロッパで日本と違って僧兵がいなかったのは
やはりキリスト教の戒律に抵触するから?
39 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/03(日) 10:41:05 0
いや、騎士修道会から普通の教会の司祭まで
別に武装してるのは珍しいことじゃなかったからいちいち言われないだけ。
40 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/03(日) 13:08:42 0
僧兵や悪僧も仏教の戒律に則ってやってるわけではないと思うが・・・
41 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/06/04(月) 00:57:50 0
>>40
あれは仏教の産物というよりは、寧ろ中世の産物ですね。
中世に武装し、行動していなかった個人や集団の方が珍しい。
「僧兵」という単語自体、武士・侍以外の武装が異常となった近世の産物。
チベット仏教では、悪党を生かしておくと周囲の人間が不幸になり、
本人も悪業を重ねて因果応報で苦しむから、
自分が殺生の罪を犯してでも殺すことが慈悲であり
(やや大人しめでしたが似た理屈は日本にもありました)、
悪党の行動を看過することは、却って無慈悲だと言われていました。
中国側からの行動を武力で撃退したチベット人の中に
相当数の僧侶が混じっていたのは、この理屈があったからです
(少なくとも19〜20世紀は)。
ただし、戦闘や破壊行為がない場合、
外道(非仏教徒)であっても毘盧遮那如来の一部であり、
それらへの攻撃は広義の仏法破壊にあたるという理由で行われなかったので、
宗教上の理由での開戦はなかったようです。
また、理念上は受身=抗戦のみになりますね。拡大解釈はつきものですが。
42 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/04(月) 10:02:22 0
河口慧海「チベット旅行記」では
ラサの「壮士坊主」が石を投げたり山を走ったり飛んだり、
棒で殴りあったりして体を鍛える様子が描かれてるね。
刀で決闘まですることがあったという。
43 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/04(月) 20:58:31 0
チベット仏教といえば、
高僧の転生(活仏)に生まれ
パンチェンラマとダライラマに師事、
その後ジューンガル部を率いて清の康熙帝と戦った
持教受命王ガルダンは?
ちなみにロシア語のサイトにあったガルダンの想像図だがなぜか剃髪してる
宮脇淳子さんの本では還俗したとか書いてたが
http://www.zaimka.ru/images/bobrov2/pic4_big.jpg
44 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/04(月) 23:54:39 0
東欧には要塞教会があるけど、武器などため込んでいたのだろうか?
45 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/05(火) 00:01:13 0
初期のキリスト司教とかは戦争しまくってたらしいよ
指導者になれるやつが教会にしかいなかったし
蛮族はせめてくるわで勇猛な司教も多かったとか
46 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/06/05(火) 00:43:08 0
改宗前のプロイセン人たちは、
石の要塞を建造する技術を伝授してくれれば改宗するといい、
伝授されれば発言を翻すのが目に見えていたために
なかなな伝授してもらえなかったそうですね。
おそらく、キリスト教徒が立てこもる姿が驚異に映ったのでしょう。
13世紀、キリスト教宣教師クリスティアンは、
最初は平和的な伝道をしてある程度の成功を収めていましたが、
キリスト教布教がポーランドの支配に繋がるという理由で
プロイセン人が武力蜂起すると、あっさりと方針を転換して、
十字軍の招聘と騎士修道会の設立を画策しています。
こうした時代には、勇猛な司教の活躍の場もありそうな。
東欧の要塞教会というと、ルーマニアなどに現存しているものが想起されますが、
オスマン軍が外で略奪をしている間に籠もっていたそうです。
中世の戦争では、大々的な会戦や城攻めよりは食糧等略奪が多かったようですが、
わざわざ攻めようということもあまりなかったのでしょうか。
48 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/05(火) 08:37:49 0
>>44
17世紀にロシアのトロイツェ・セルギーエフ修道院を訪れた
アレッポのパウロによると
そこの軍備は
「数え切れないほどの砲、無数の大型小型の銃、弓、矢、剣、ピストル、槍、
鎖帷子に鉄の鎧――すべてトルコ人の国々より良質なものであった」
という状態だったそう。
「動乱時代」に1万2千のポーランド兵が60門以上の大砲で4ヶ月攻囲しても
陥落しなかった。
>>46
アキンジなど軽騎兵の略奪部隊なら防げるのでは。
53 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/06(水) 00:03:21 0
東欧の武装教会も、防衛指揮官は司祭?
54 名前:ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. [sage] 投稿日:2007/06/06(水) 00:56:15 0
>山野さま
ルーマニアの要塞教会は地元で聞いたら、
「タタール人が攻めて来たら逃げ込む」とのことで、
おそらくクリミアタタールあたりの略奪部隊対策なのでしょう。
そんな大規模なものでなく、長駆して敵地の奥地に侵攻しており、
攻城装備なども持っていないでしょうから、
要塞教会なんかに手間取って捕捉される危険を冒すよりも、
防備の手薄な村を狙ったと思われます。
>48
ルーマニアの要塞教会に限らず、要塞化した修道院というのはあります。
スロバキアのニトラなんかは城そのものですし、
スピシュ城の麓のスピシュカ・カピストラも
周囲に銃眼のついた防壁をめぐらしてます。
他にも例はいくつもありますが、
修道院は食料も財宝もあるので防備を固める必要があったのかと思います。
>53
村の長が指揮官だったのだと思います。
修道院が城になっているとか、城主が司教だとかいう場合は
当然聖職者が指揮してるのでしょう。
55 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/06(水) 09:28:47 0
>>54
クリミア方面からの襲撃ですか。
タタール兵ってハプスブルクとの戦争にも動員されてたと思うけど、
ルーマニアとの関係がそんな感じだったら戦線に着く前に
モルダヴィア領とか安全に通れたのかな?
って完全にスレ違いか・・・
62 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/06/09(土) 17:40:38 0
>>48
>>54
やはり、とりあえず防げればよかったのですね。
どうもありがとうございます。
地元まで行かれたとは、研究熱心な。
113 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/12/08(土) 15:18:04 0
メキシコにも要塞修道院なんてあったんですね。
砲撃には耐えられたのかしらん?Mexico's Fortress Monasteries Richard Perry
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50 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/05(火) 23:00:55 0
イランには「闘う聖職者協会」という政党がある。
51 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/05(火) 23:45:16 0
日本のいわゆる僧兵は『行人』という低い階級の僧侶達で、
宗教界エリート僧侶の『学侶』は、戦闘のような荒っぽい行為には無縁の存在。
しかし欧州キリスト教世界では、エリート司祭までがきらびやかな甲冑を着て、
騎士として戦闘に直接参加するからなあ。そこが日本との大きな違いだな。
49 名前:処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 [age] 投稿日:2007/06/05(火) 22:52:25 0
童貞かどうかは関係ないの?
59 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/07(木) 17:31:07 0
>>49
騎士修道会なら関係あるだろう。
一回だけなら結婚してもよいという所もあったらしいが。
61 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/08(金) 14:08:04 0
1365年に1万2千の騎士を含む盗賊団がアルザス地方を荒らしまわったが
その首領は「主任司祭」と呼ばれるイングランド人Arnold von Cervolaで
実際に聖職を帯びていたといわれる。
(鯖田豊之「14世紀の盗賊騎士団について」による)
70 名前:Ryuju ◆RlujhF6VrA [sage] 投稿日:2007/06/21(木) 17:53:17 0
三十年戦争でハプスブルク家側の指揮を執った、レオポルト大公もそうだね。
フェルディナント三世の弟。次男だから聖職者になった。
聖職者というより聖界諸侯で、「ドイツ教会史上最大の禄を貰った一人」らしいけど。
ちなみに、フェルディナント三世の次の皇帝のレオポルト一世も、
もともと次男で(兄が死んで皇帝になることになった)、聖職者だったそうな。
71 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/22(金) 00:08:10 0
フェリーペ3世の王子フェルディナンド、
いわゆるカルディナル・インファンテもそうだな。
ネルトリンゲンでスウェーデン軍破った。
72 名前:ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. [sage] 投稿日:2007/06/22(金) 00:39:14 0
ハンガリー軍がオスマン帝国軍に大敗したモハーチの戦いの、
ハンガリー側の司令官はカロチャ大司教のトモリ・パールでした。
この戦いでは、前日にトモリの作戦の修正を進言したものの入れられず、
「明日は何千ものハンガリー人が殉教することになるでしょう。」と
敗戦を予言した、ペレニ司教他、何人もの司教が戦死しています。
73 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/22(金) 01:29:14 0
やはり戦闘中に使っていい武器は槌矛で?
74 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/22(金) 01:55:06 0
ちなみに聖職者は、相手の血を流す事を禁じられてたのであって
刃物を持つ事自体を禁じられてた訳じゃない。
75 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/22(金) 01:57:19 0
>>74
では鎧を着た相手を剣で叩き殺すのはおk?
モンゴルの処刑方法みたいだな
76 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/26(火) 09:16:55 0
血を流すのもOK。血で濡れるのがNG。
聖書のこれだけ守っとけば他に義務とかないよという話の中に
「血は避けろ、血から遠ざかってればOK」って書いてあるから
守らぬ訳にもいくまい。
77 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/07/01(日) 10:07:12 0
こういうのもOKだったわけだな
http://www.deremilitari.org/resources/pdfs/arnold.pdf
「同様の調子でStade Annalsは、
次回の遠征において上記のマインツ大司教クリスティアンが傭兵部隊を率いて
ロンバルドとトスカーナの住民を殺戮し、
ボローニャ、フェッラーラ、ラヴェンナ、アンコーナを攻囲、陥落させることによって
イタリア全土に多大な恐怖を与えたと記している。
ボローニャの攻防戦において、この血に飢えた高僧は
甲冑に身を包み馬に乗って、3つの角をもつ槌矛で9人を殺したと記録されている。
司教の秘書の一人であったブレーメンのHenry(ハインリヒ? ヘンリク?)は、
彼が岩を取って、恐らく捕虜であったと思われる
28人の著名なイタリア人たちの歯を打ち砕くのを目撃している」
78 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/07/04(水) 23:47:38 0
13世紀にドイツで書かれた説話集『奇跡についての対話』の中に、
ドイツの司祭にだけはなりたくない、
彼らは死刑を命じるし、戦争の指揮もとる罪深い存在だからだ
という聖職者の声が出てきました。
そもそも、司教自体皆罪を重ねているとも言われている。
最後の話は、洋の東西を問わずに認識され、説話化していますが。
79 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/07/06(金) 08:14:07 0
>ドイツの司祭にだけはなりたくない
フランスでも「ロランの歌」なんかでは僧侶が戦ってたような気が・・・
80 名前:ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. [sage] 投稿日:2007/07/08(日) 18:58:05 0
マイナーなハンガリー関係の話題をご提供。
前にモハーチの戦いのことを書きましたが、
もっと以前にバトゥ率いるモンゴル軍とベーラ4世のハンガリー軍が戦った際も、
大司教のウグリンがモンゴル軍相手に奮戦しています。
結局、戦いはハンガリーの大敗北に終わり、
聖職者としては大司教2人司教3人が戦死しています。
ハンガリーの内戦の際、ヤン・イスクラはエゲル大司教と交戦しており、
彼の軍に、重要な鉱山である現在のバンスカ・シュテアヴァニッアーの街を焼き払われています。
81 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/07/10(火) 00:47:54 0
さすがは使徒王国
93 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/09/19(水) 22:56:41 0
>>80
>聖職者としては大司教2人司教3人が戦死しています。
凄い燃えだ…
聖職者が戦死だぜ?
82 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2007/07/22(日) 09:36:25 0
ハンガリーより更にマイナーなネタかもしれないが
フィレンツェ公会議で東西教会の合同を支持して
ロシアから追放されたモスクワ府主教イシドールは、
オスマン帝国のコンスタンティノープル征服の際に
200人のイタリア人射手を率いて戦ったそう。
トルコ兵が市内に突入してきたとき、乞食の服と法衣を交換して何とか逃げ延びたとか。
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