【娯楽】幻の国家「モナー朝」【ネタ】@世界史 適当にまとめ その5
引用元スレッド
模奈亜国見聞録
663 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/05/18(水) 22:09:31 0
そういえば、伝説の三剛者って、クックル・ヌケド・八ハジャであってましたっけ?
664 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/05/19(木) 22:29:46 0
>伝説の三剛者
「三剛者は支那の春秋五霸の如く諸説あって定まらぬ」
(居間野宇智『モナー〜うずもれた猫耳の国〜』民明新書)
のだそうです。
クックル・ヌケド・八ハジャ(西方伝承)
ハハジャ・ア=ラヤダ・クックル(『茂名紀聞』の説)
ブーン・ハハジャ・チーチャン(『茂名雑誌大全』の説)
など、異説は甚だ多いです。
なお、ア=ラヤダはハハジャが
三体の女神像として祭られるようになったもので、異名同体とも
いわれています。チーチャンはハ・カギ州に於いて祭られていた
女神で、若く美しい娘の姿をしていますが、これもハハジャの
若い頃の姿だとされています。この神の前で胸のことを語ること、
偽善者と罵ることは禁忌とされており、禁忌を破ったものはその晩チーチャンに
殺されると信じられていました。
666 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/05/20(金) 00:53:29 0
>>664
>ハハジャの若い頃の姿
血夷茶(チーチャン)は、棍棒を構えた怒黒茶(ド・クローチャ)という天使
を引き連れた、主原初(シュ・ゲンショ)の妻と『洛陽伽藍記』にありますが、
「ハハジャ」の夫とされる像とは、かなり姿が異なる様です。
主原初は、名前の通り始祖神であったとは『金剛三昧伝』の記すところ。
真の名「犯偈(パーゲ)」を呼ぶ事は忌まれ、また仏法の守護神とされながら
も、寺院内に祀られる事は厳禁であったという。
10世紀以降に、神格が変化したという事でしょうか?
この夫婦は流血と縁が深く、「喫肉事魔」と呼ばれたとか・・・。
685 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/07/16(土) 17:23:26 0
>666
>シュゲンショ神とチーチャン神
大黒天と鬼子母神がモナー朝に入って変容したというのが通説。
シュゲンショは朱全忠の神格化であるという説もありますなあ。
後に明の洪武帝が後モナー朝を保護したために、
洪武帝とも混同してまつられたといわれており、
信者たちは「クナンスレ(漢名洪武禅院)」といわれる寺院を建立し、
苦難に耐える行事を行ったといわれています。
671 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/06/21(火) 15:59:01 0
VIPPERと呼ばれる騎馬民族(政治集団?)を知ってますか?
「ジョルジュ」「ホライゾン」「スカルチノフ」
といった個性的な部族がたくさんあったみたいですけど?
672 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/06/21(火) 21:32:26 0
神山財閥の総本山ね
673 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/06/21(火) 21:49:30 O
>>671
彼らの民謡に覇飛磨手と呼ばれるものが存在したそうですが、
ご存じの方いらっしゃいますか?
674 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/06/22(水) 15:02:14 0
国外の文献を訳したと思われる文献のさらに写しの一部があるのですが、
そこに「我は神の山にして満ちる月なり!」との文言がありました。
これはVIPPERの宗教を紐解くヒントとなるような気がしますね。
667 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/05/30(月) 17:58:00 0
三賢帝ってカワイソス3世とテラワロスとあと誰でしたっけ?
668 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/06/06(月) 21:15:15 0
>>667
たしか、クォリティ一世だったと思う。
676 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/06/25(土) 15:44:46 0
>>667
名前から見るに3人ともVIP地方の出身なのか。
685 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/07/16(土) 17:23:26 0
>カワイソス3世とテラワロスとクォリティ一世
三賢帝は「武宗三賢」ともいいます。
カワイソスは本名ブーソ、テラワロスは本名ビィップア、
クォリティの本名はタカス。
モナナの先陣として奮戦したビィップ族の族長たちで、
死後功績により帝号を追贈せられたのでこう称します。
漢風では武雲帝・爆笑帝・高能帝とそれぞれ称します。
ブーソは集団戦術に長け、その突撃「ブーソラシ」は敵勢におそれられました。
ビィップアは謀略に長け、モナナ最強の敵・ダウソ族を謀略で滅ぼした人物。
タカスは名言「我は神の山にして満ちる月なり!」を残した人物。
690 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/07/29(金) 20:39:08 0
三賢帝の出身地であるヴィプって、もともと流刑地だったんでしょ。
モナー朝中期以降、ヌ速市の治安が極度に悪化したから、
そこで犯罪を犯した者たちを隔離すべく新たに町を作った、
それが本家ヌ速市をしのぐ勢力になるのは後期からだよね。
それから、テラワロス帝といえば、
破顔大笑した肖像画が帝国各地から出土しているよね。
340 名前:世界@名無史さん 投稿日:03/05/10 23:27
先日、神馬モナーコスというのがいたらしい、という噂を聞きました。
モナー朝ではどのように崇拝されていたのでしょうか?
665 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/05/19(木) 23:03:10 0
>神馬モナーコス
それはケイバ州の駿馬、ウインガーの尊号です。
ウインガーはモナナの乗馬で、モナナとともに神格化され、
「血の汗を流しラシを駆け抜ける馬」といわれていた
伝説の名馬ですが、普段は普通の馬より遅かったといいます。
ところが騎手が苦難に陥ると素晴らしい俊足で敵を振り切ったと
伝えられており、モナナが猛将・ポコタン王(ポコはモナー語「勇猛なる」、
漢風称号「猛武」)と戦った時、戦の直前まで病で寝込んでいたにも
かかわらず敵を振り切り、本陣へ駆け込んでポコタン王を蹴り殺した
という伝説が有名です。(この時、ポコタン王は「ポコタン、インシタオ!」
すなわち『嗚呼、勇猛なる我が敗れたのも天命である』と叫んだという)
ウインガーはニュソクの戦いの後
数日で世を去り、その事から神馬として崇拝されるように
なりました。
モナ21世の頃にはケイバ州産の馬は皆あやかってウインガーと
いわれ、各板を駆け巡る駅伝もウインガーと呼ばれて親しまれたと
いいます。
693 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/01(月) 21:07:11 0
モナー朝の衰退には新人(にいと)と呼ばれる新しき人類が関与していたらしいです。
モナー朝後期ごろから登場した新人たちは働くことを拒否し、
モナー朝の経済を荒廃させたそうです。
その存在に恐怖を感じた(呆れた説あり)当時のモナ朝の君主は、
彼らを別の鎖場(さば。区画のようなもの)に強制移住させました。
その後、不思議な団結力を見せた新人たちはその地を開拓し、
美府(びぷ。後にVIPと呼ばれるようになる)と呼ばれる自治領を築いたそうです。
それからの約50年は他のモナー朝管轄下地域を「突撃」の名目で侵略、占領し、
大使館を立てた後に引き返すという独特なことをしてきたそうです。
モナー朝の外へも場合によっては突撃したとか。
しかしそのような状態も長くは続きませんでした。
モナー朝の自治領に対する規制も厳しくなり、
他の鎖場からの移民や内部からの厨も増え、自治領設立から100年経った頃には、
他の地域にはない活気を見せつつも、ある程度の落ち着きを見せるようになったそうです。
ここでプツンと文献は途絶え、
これより先に何が起こったかは、今のところほとんど謎のままです。
しかし、かの地域に残る民謡覇飛磨手や、
両腕を横にを広げる無数のブーソ族の彫像、
静かに横たわるスカルチノフ族の石像などが
かの地に文明が存在していたことをしのばせます。
688 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/07/21(木) 00:50:05 0
モナー朝の盛衰史、興味深く読ませていただきました。
ところで、モナー朝におけるゲージュツには
どんな物があったんでしょうか?
691 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/07/30(土) 00:16:29 0
>>689
ゲージュツかぁ。
少し上で山野氏が「フラシュ」というものについて言及してるよ。
あと、このスレでは「AA陶器」あるいは「アスキーアート式陶器」なるものについての
話もこのスレでは何回か出ているよ。
個人的には「フラシュ」というものの形成発展の歴史みたいなものを知りたいな。
>>52に「フラーシュ」というものについての言及があるけど、
山野氏が言ってるものと同じなのかな。
694 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 01:34:29 O
>>691
文学ではモ地方の若者と仏国の鞄職人の娘との恋を描いた
長編詩「デ・ンシャ」などが有名。
695 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 01:55:31 O
ヌ速市の人たちは大変な祭好きで有名だった。ただしほとんどの祭は公式のものではなく。
ツーリと呼ばれる非合法組織によってに催されていた(「ツーリ・ボリ」とよばれる)らしい。
でもヌ速市民にとってはどちらでもよかった模様。
696 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 01:58:46 0
ツーリの際、その犠牲者にテキーラをおごる「バボン」という習慣もあったそうな。
「まぬまぬみてみちぬちぬおき」という謎の呪文も残されているが、意味は不明だ。
701 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/03(水) 18:12:47 0
ドクオ州にデーン=シャーと呼ばれる教祖に率いられた宗教運動があったそうです。
デーンはニヒリズムに陥りがちな当時のドクオ住民に対し修業による救済の道を示し、
一部住民の熱狂的支持を得たもののドクオ人多数派には疎まれ、
やがて迫害され地下に潜りました。
しかしモナー朝国外で多数の信者を獲得し、
彼らが大挙巡礼に訪れモナー朝の人口構成をも変えたそうです。
なお、彼らはエルメスと呼ばれる最高神を崇拝し、
これはギリシア神話のヘルメスとの関連も指摘されていますが
壁画ではカバの女神の形で描かれています。
702 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/03(水) 21:25:34 0
>701
>694で言われている、長編詩「デ・ンシャ」は、
デーン=シャーと彼を支えた人々が残した記録を元にしてるといわれてますね。
703 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/03(水) 21:43:25 O
>>696
ツーリは不可思議な踊りを信者が踊りあかすなど
魔術信仰的な色彩を持っていましたからね。
ツーリの教儀は非合法とされていましたが
隠れ信徒はモナー王国全土にいたようですね。
モナー民は隣人がツーリ教徒ではないかということに非常に敏感で
つねに疑心暗鬼になっていたようです。
またデーンとツーリ教団との関連があったかなかったかは諸説あるようですが。
どちらとお考えですか?
710 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/05(金) 04:04:54 O
>>703
疑心暗鬼にとらわれたモナー民は
「ツーリ・オーツ」あるいは「トツラレテミル・テスト」などの
魔除けの文言を唱えてひとまず相手を牽制するのが常だったそうですね。
711 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/05(金) 09:52:29 0
>>703
ドクオ地方で信仰されていたマンドクーセ教団は
徹底的なデーン=シャー批判を繰り広げましたが
特に初期の批判のなかにデーン派がツーリであるとする文言が多いようです。
マンドクーセ教は
(1)欲望をありのまま認める
(2)しかしそれが実現困難であることも認める
(3)それにより執着から解放される
という思想が教義の根幹をなしており、
それは修行による自己再生を説くデーン派の主張とは真っ向から反するものでした。
またデーン=シャーの教団が巨万の富を得たことも批判されました。
デーン自身はツーリではなくあくまでドクオ人の救済を意図したとされますが
デーンの隠棲後、流民ヴィッパーを中核とするツーリが
幾度となくデーンの再来と称していたそうです。
723 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/21(日) 11:58:18 0
>711
マンドクーセ教はモナナにより非合法とされ、東遷して禅と混同されましたね。
禅には「無事是貴人」という思想があり、
これが「動かないのが貴人」だと誤解されたのです。
酢屋道全はマンドクーセ教徒だったという説があります。
697 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/02(火) 23:28:18 0
マスコミ板6支族について教えてください。
旗印については
アサピ族→11
ヨミリ族→10
サン族→12
マイニ族→1
NHK族→3・5
とうちの学校ではなっていたはずですが。
ちなみにニケイ族については習っていません。
698 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/03(水) 00:21:10 0
6氏族それぞれに当てはめられていたという数は
(おそらく儀式的なものだといわれていますが)
なぜか地域の伝承によってさまざまに違います。
たとえば上の方で話が上がっていた商業都市オサカでは
アサピには6が当てはめられていた様です
なぜこれほど地域によって差があるのか?というのは
いまもって学会でも大きな謎の一つです。
699 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/03(水) 06:51:28 0
>>697
ニケイ族は13に割り当てられたそうですよ。
704 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/08/03(水) 22:09:26 0
モナー朝の社会的地位のある人々を失脚に追いやり続けた「キン・ターマ」
とは、どういう組織(?)であったのでしょうか。
これの「原因」の提唱者が、京都(モナー朝の)で捕えられたそうですが。
700 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/03(水) 08:22:08 0
「カーコ・ローグ」と呼ばれる、モナー朝の全てを記録した書物が
世界のどこかに隠してあるらしいですね。
現在見つかっているカーコ・ローグは、全体のほんの一部らしいです。
705 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 02:51:30 0
>>700
全てのカーコ・ローグを読むには、
「マル」を呼ばれる宝玉が必要だったといわれています。
「マル」はごく一部の限られた人のみに与えられ、
さまざまな特権を与えられたと伝えられています。
(名前に「マル」を冠することが出来る、など)
706 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 21:50:07 0
モナー朝って最盛時には北インドから東にかけて細長く中国北方を迂回するような形で
満州の辺りまで延びていたほどの広大な領土を有していたそうですね
707 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 23:23:02 O
そうですね。南は東工大のあたりからなぜか細長く
北は駒場東大まで続く目黒区みたいな領土でした。
709 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/05(金) 00:56:35 0
VIPPERが都を追われて流れ着いた安住の地と思われる遺跡の発掘をしていると、
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狐のような壁画をたびたび見かけるのですが、これは何を意味しているのでしょうか?
どうも、VIPはこの狐を嫌いつつも畏怖しているような印象を受けるのですが…
712 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/05(金) 18:25:10 0
>>709
当時のモナー朝で権力を持っていたとある神官は、狐をシンボルとしていました。
彼らを別の差場に追い込んだのがその神官だったらしいのですが、
VIP地方の開拓を推進したのもその神官だったらしいです。
713 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/05(金) 20:33:43 0
そういえば、モナー朝で一時大変流行した詩があると聞きましたが
タイトルを忘れてしまいました。教えてください。
たしか「牛肉を簒奪」「マイヤフー」などの意味不明な
言葉が羅列された物だたと思うのですが・・・。
714 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/05(金) 23:42:25 0
三年に一度、
すべての板を巻き込んで行われる「トナメ」という大祭があったというのですが、
いったいどのようなものだったのでしょうか?
723 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/21(日) 11:58:18 0
>「トナメ」という大祭
是に関しては、岡義古先生の学位論文
『モナー朝史におけるトナメの研究』が必読の書です。
岡論文に寄れば、従来「三年に一度」の大祭とされてきた「茂名記聞」該当箇所は、
「三百年に一度」の大祭の誤写に基づく物であり、
実際513年の第一次トナメ、813年の第二次トナメ以外のトナメ伝承は存在していません。
813年の大規模なトナメ
(これは祭りを通り越して合戦だったようです。
もっとも、モナー朝においては「センキョハマツリダ」と、
戦争を祭りと同一視する傾向がありました)
以降、トナメ大祭は余りにも犠牲者が多かったために中止され、
1113年のトナメは中止、>655のチビギコの乱を経た
1413年には既に祭りの仕方がわからなくなっていたようです。
もっともヌソクの民やトウヒョジョの民が古典芸能として
かなり変質した小規模な祭りを続けてはいたようです。
第2次トナメは、三頭政治の二人が互いに祭り上げられ、
ストップマンことモララー二世(?〜814)と、
モナー15世モナナ(武宗、784〜861)が
互いに北帝・南帝を称する事態にまで発展し、
バイク族の滅亡やダウソ党の崩壊など大乱となってしまったようですね。
ご存じの通り南帝モナナがビィップ族・セカイシ族・ヌソク族・ニーピソ族・ニダ族・
グンイタ族・デーン=シャーの教団に推戴せられて、激戦の末勝利を収めました。
北帝モララー二世はトウシニ城で自害して果て、
遺子スピソドリル(モララー三世)がジサクジエン州にて
ダウソ党内の最強集団サトゥ・バツ派に擁立せられ、
820年頃まで抵抗を続けたようですが、821年にブーソ(カワイソス3世)、
クワアテ(セカイシ族長、死後追号は武南穆王)らの率いる軍勢のラシを受け戦死。滅亡しました。
なお、モララー二世〜三世の政権を特に「北モナー朝」と称することがあります。
739 名前:トナメ宣伝スレより転載 投稿日:2005/09/06(火) 13:12:13 0
460 [名無し]さん(bin+cue).rar sage
>>458-459
世界史さんやっぱセンスあるなー。
しかしウチは相変わらずひでえ扱いだなw
2005/09/02(金) 23:31:31 ID:26En4bbn
461 清き一票@名無しさん sage
>460
大量の文献を残したセカイシ族は、ご存知の通り南朝に加わっていたため
北朝に関する記述が厳しいのではないかという説は比較的早い段階から出ています。
しかし最近の学説によると、モナー朝では複数の部族に属するのは一般的だったとの
研究結果から、セカイシ族とダウソ党に同時に所属していた人間がいなかったため
だともいわれています。このことは、セカイシ族が極端なブ・ンケイ派であったことが
原因のようです。
モナー朝の最果てにあったとされるビビエスピンーク地方の洞窟から見つかった
数字板書なる古文書が見つかっています。
これはモナー朝の代表的な歴史家
モナドトスが著書「ザツス・レ(漢語訳 戸禹集保)」で
「トナメに関する最も客観的な文書」と評価している失われたヤホヒィ文書ではないかと
推測されていますが、書かれている言語がモナー朝の主な方言であるモエ語類に
属していることは分かっているものの、一般のモエ語よりも複雑なモエがあるため
いまだ全面的な解読にはいたっておりません。
2005/09/03(土) 20:03:57 id:vEHPjbm0
720 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/20(土) 16:03:19 0
ところでモーナ8世(敬宗和皇帝)の時代、マ・スコーミー州の民衆が
ア・カイホウドゥと名乗ってバイコック朝アカピー帝国の
主要都市・コエーラーンに潜入し一軍の将校となった後、
自分がモナー朝の人間であることを宣言して
アカピー帝国を散々に痛めつけたっていうあの事件知っている人いますか?
721 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/20(土) 19:33:05 0
>>720
それからがガクブル時代じゃなかったっけ?
722 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/08/21(日) 08:54:02 0
モナー朝では多神教が信仰され、その神様は「ネ申」と表記された。
ネ申が人々の前に現れた時、信者はそれに対して「キタ━━(゚∀゚)━━!!!!」
と唱えるのが通例だったという
729 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/02(金) 20:56:57 0
先日、発掘中の遺跡において、
「ヒック-オゥ-シッ ヒック-オウ-シッ ……」などという謎の文字列が彫りこまれた、
憤怒の形相で、先端に大きな輪が二つついた錫杖のような物を振りかざした女のレリーフが出土したのですが、
これは一体何を描いた物なのでしょうか……?
この地方で崇拝されていた女神と、女神にささげる祝詞かなにかでしょうか…?
730 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/02(金) 21:52:32 0
それはむしろ悪鬼だったような気がします
732 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/03(土) 19:55:01 0
これって何世紀頃のお話ですか?
ttp://www.nijiura.com/niji/src/1125319645368.jpg
738 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/06(火) 09:27:09 0
>>732
155 名前:世界@名無史さん [転載sage] 投稿日:2005/08/28(日) 22:50:09 0
ウプレカス[Uprecus]
(紀元前1世紀前半〜没年不明)
ローマ帝国の思想家。(元軍人の説アリ)
当時帝国により厳重に秘匿されていたあらゆる伝統技術
の開放を訴え、ローマ市街で市民や外国人、奴隷達を煽動して暴動を起こした。
その為に帝国から疎まれ元弟子のコニウプにより毒殺
(暴動の罪で処刑、地雷で爆殺説等あり)
されるが、彼の名は後世まで受け継がれ、
自由を愛する文化人や思想家などに親しまれ続けた。
インターネット上で同人誌や商業漫画のアップロードを求める際に
「うpれカス」と叫ばれるのは、ウプレカスの名前をもじったものであり
「総ての文化(同人誌の内容)を開放せよ」
と彼の思想を踏まえた上での発言かと思われる。
734 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/03(土) 21:08:50 0
>732
ピンクサバー島にあったハンカ・ク王国のカーナ朝から
カクーニ朝への移行期に関わった人たちの相関図だね。
すまんがハンカ・ク王国は専門外なんで詳しいことは分からんな
それと、ピンクサバー島は非常に大きな島だったけど、
モナー朝に含まれるかどうかは各自意見が分かれるところで
昔から論争が絶えなかったけど、いまだに結論は出てないんだよね
735 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/03(土) 21:39:10 0
>>734
マチビ・ビエス島とピンクサバー島は
モナー朝の支配領域ではないという公式の布告は出ていたようですが、
それでも、統治形態や住民の交流がモナー朝領域とほとんど同じであり、
国境線が無きに等しい状態であったことが、意見がまとまらない原因なのでしょうね。
ピンクサバー島の入島制限も、有名無実のものであったようですし。
736 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/03(土) 23:41:04 0
有名無実ではあったけど、
ピンクサバー島で年齢詐称がばれたらかなり責められたときいたが
740 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/09(金) 08:16:57 0
ホロン部というのは、オイラート部やジュンガル部のようなものですか?
743 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/10(土) 10:33:31 0
>ホロン部というのは、オイラート部やジュンガル部のようなものですか?
その通り。
シナー族・ニダ族でアラシをする一派の蔑称です。
南帝モナナの頃にニダー州やヌソク州を荒らし回ったとされています。
ところが、このホロン部というのはただ攻め込むだけで
何もせずに去っていくことが多かったためか、
史料が非常に少なく、学界では
「警戒心の強い両州住民が、新規の住民を警戒・恐怖する余りに
シナー族以外の人間までホロン部といって罵ったのではないか?」
という考え方からホロン部の存在を疑問視する声も挙がっています。
744 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう 投稿日:2005/09/11(日) 09:00:51 0
ということは、「ニダー族ホロン部」という感じですな。
存在が疑問視されているということは部族を統一したという伝承のある
「ウリナラ・マンセイ」「シャザイシル・ハーン」「ファビョン・ハーン」の3代も
実在していなかったということでしょうか?
747 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう 投稿日:2005/09/11(日) 14:27:02 0
>>743
や、それについては「前期ホロン部」と「後期ホロン部」に
分ける見方も提案されていて、
後期ホロン部はシナー族、ニダー族以外の民族が
「ホロン部」の名を借りて「ツリ」をするのが目的だったという説もある。
781 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/28(土) 00:57:06 0
ニダー族ホロン部に関してはまだ調査が進行中ということもあり不明な点が多い。
「ウリナラ・マンセイ」が部族を統一した点はおよそ間違いは無いと考えられている。
「シャザイシル・ハーン」「ファビョン・ハーン」は首長であったかは
疑問視されている。同様の存在に「バイショウシル・ハーン」の存在がある。
彼は「シャザイシル・ハーン」の記述と共に登場する機会が多いため
親子または兄弟ではないかと推測されている。
また「シンス・ゴ」なる悪女の説話が口伝されているが、決定的証拠に欠ける。
782 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/28(土) 01:00:34 0
なお「シャザイシル・ハーン」については「シャザイ汁・ハーン」と記載された
文章が多く、彼が何らかのスープを発明したとの説もある。
741 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/09(金) 09:08:42 0
英別樟という夷族が
モナー朝の王に風貌が似た「ノマネコ」という男を立てて
モナー王位を狙った事件だけど、数日もしないうちに
「これはモナー朝にひらめきを得て独自性を足したもの」とか釈明したそうだね。
742 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/10(土) 08:40:54 0
エイベクソ族に擁立された偽王は「ノマ・ワタ・マイヤッヒ」
745 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう 投稿日:2005/09/11(日) 09:35:40 0
エイベクソ族は独自の文化を持たないが、
他の民族の文化を模倣する事には長けいた。
これはエイベクソ族伝承の音楽から推察可能で、
遠国の音楽を模倣する事により、
近隣の民族にはあたかも独自の文化であるかのように見せかけていた。
エイベクソ族の女王アユは、品位が低い衣装を纏い、行動もまた下品であったが
蛮族には人気があった。
746 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう 投稿日:2005/09/11(日) 11:25:25 0
エイベクソ族の王は追放された後復活したんじゃなかったっけ?
748 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう 投稿日:2005/09/11(日) 14:48:10 0
エイベクソ族の女王はあくまでも象徴であり、
実際の政務は摂政のマクース・マツーラなる人物が
行っていたとも言われています。
>746
それは摂政同士が争った内乱ですね。
マクース・マツーラと共同で摂政を務めていたヨーダが反乱を起こすものの
エイベクソ族の資産価値が暴落、わずか3日で再びマクース・マツーラが
復帰した「ヨーダの乱」です
この際に、女王がマクースを支持したことから、エイベクソ族の政治形態については
様々な学説があります。
多神教であったモナー朝でも、女王アユを崇拝することは被差別民への蔑称である
「DQN」と呼ばれることもあったそうです。
749 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/12(月) 16:56:24 0
さらにエイベクソ族の女王アユは女王崇拝の儀式の際に障害のある者を
晒し者にしたという記録も残っております。
750 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA 投稿日:2005/09/12(月) 21:15:22 0
敗れたヨーダは、若い頃の活躍が叙事詩化され、世界各地で知られていますね。
つい最近、宇宙で活躍する剣士の師として出ていたキャラも、
実はヨーダがモデルだそうで、ある意味モナー朝「系」の遺産だと言える。
>749
障害者が「笑い」を誘ったのは、
世界史から見れば、つい最近まで行われていましたが、
よりによって自分の崇拝者を対象にした事は、
モナー朝からの強い非難を呼び込んだそうですね。
女王の謝罪文なるものも存在していますが、
これがモナー朝の文字で書かれたものしか存在せず、
価値観や表現からして、モナー朝で偽作された説が有力です。
なお、障害者をからかう事は、(モナー朝に言わせると)
ニダー族でもよく行われていたという事になっています。
ニダー側の言い分は存じませんが。
751 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/12(月) 21:34:44 0
思想家「Z武」のことかと思ってしまいました。
753 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/13(火) 08:12:30 O
オニギリの話題はもうでましたか?
754 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/13(火) 09:43:21 0
オニギリとは>>314 に出ている モナー朝の祭祀官のことですね。
エイベクソ族に擁立された偽王「ノマ・ワタ・マイヤッヒ」 も
この祭祀官制度を模倣していた様子が
現代に残された当時の壁画などからうかがい知れます。
なお、エイベクソ族はこれらを報じた文書などを圧力をかけて焼き払い、
内部の批判者を粛清したという噂があります
(「エイベツクソの焚書坑儒」とも呼ばれる)
755 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/14(水) 21:36:51 0
ノマウタの件は既に江戸モナー学の大家・茂名村賀那斎(主水)の
『朱雲随筆』に取り上げられていますね。
「野間猫(ノマネコ)は茂名を騙る者なり。
茂名の南に蛮あり、得夷辺区粗といふ。
その風茂名に似たり。この地の民近来尾張野間に至って野間猫と称し、
我は茂名也、と号す。世人これを信じること甚だし、
言語道断、聖人の紫の正色を奪うを憎むもむべなるかな(以下略)」
763 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/20(火) 19:38:38 0
妻帯せずに江戸モナー学に携わる者が苦しめられた偽史疑心闇々(ギシギシアンアン)とは
何を指したものなのでしょうか?
764 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/21(水) 01:13:16 0
>>763
学問に携わる人間の心に憑く妖怪だったと伝わっています。
世間ではこんな楽しいことをしている、楽しんでいないのは君だけだ、
などと耳元でささやいて心を乱し、学問を妨げる妖怪だったそうです。
765 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/09/21(水) 23:46:54 0
>偽史疑心闇々(ギシギシアンアン)
これに苦しめられたのが茂名村賀那斎の高弟の一人
高山蘭兵衛こと高山鉄人軒(名は重岳)です。
彼は生涯独身童貞を貫き、ドクオ教の研究にいそしんだ篤学の士でしたが、
50才を過ぎて「勃然として色を思う」ようになり、
偽史疑心闇々に悩みに悩み、52才を一期として縊死して果てました。
なお、偽史疑心闇々について高山は
「深夜ぎしぎし、あんあんと人の声が如くならざるもの聞こえ
誠におそろしおそろし」と恐怖に満ちたカキコォを残していますが、
これは実際には隣家の若夫婦の嬌声であったとされています。
なお、居間野宇智(>439)が早く妻帯したのは
師匠の茂名村賀那斎が高弟鉄人軒の自殺の二の舞をせぬようにと、
共同研究者だったサクラー・カルトカプトゥーレとの結婚を強く勧めたからだ
といわれています。
ちなみにサクラー・カルトカプトゥーレは日本語に堪能で、
大道寺伯爵家の令嬢・大道寺智代(後李王家室)と交友があり、
居間野の研究資金の幾ばくかはサクラーの内助の功により
大道寺家から渡されたものであることがわかっているので、
茂名村が結婚を勧めたことはモナー学発展の大きな功績の一つだ
というジョークがあります。
※サクラー・カルトカプトゥーレはモナー朝の「モエ」の権威。
著書「サクラーの研究」など。
775 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/24(火) 13:14:04 0
「ホ・リエモン」についてどなたかご教授いただけますか?
776 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/25(水) 00:08:50 0
>>775
確か札束を積み上げて天まで届く塔を作ろうとして、
神の怒りをかって天罰を受けた男だったような。
777 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/25(水) 07:51:04 0
仲間にムラ・カーミもいました
778 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/25(水) 14:13:26 0
塔の建設に携わった二十万以上の民は混乱の末に、各地の森へ散っていったとか
780 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/27(金) 02:36:28 0
「ホ・リエモン」は拝金主義を訴え、金が世の中の真実であると説きました。
大衆の支持を集めるため彼は「パンと見せ物」の内見せ物に着目し
庶民に人気のある玉打ち遊びの興業の権利を得ようとしますが、
豪族「ミッキータニー」に権利を奪われました
その後、郵政軍のカメイ卿と合戦を行い負けたものの、
王朝内に知らぬ人はいないと言われるほど知名度を高めました。
フジサンケイ部族との戦いでは多くの戦利金を獲得し
かれは王宮「ライ・ブドーア」に黄金を積み上げました。
その高さは天に届くとさえ言われました。
しかし「ホ・リエモン」の説く拝金主義の布教は多くの妨害に遭い
黄金をうず高く積んだ「ホ・リエモン」の王宮「ライ・ブドーア」は落雷により崩壊
「ホ・リエモン」は行方知れずとなりました。
785 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/29(日) 17:19:12 0
チクシという売国奴について教えて下さい。
786 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/29(日) 23:30:05 0
中国で発見された資料によると「畜死是著名売国奴朝貢中華…」と書かれています
しかし似たような人物で同時期にに「本勝」という存在が確認されており
畜死の字が本勝であるという極論まで主張されています。
788 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/30(月) 22:02:44 0
「畜死伝」「本勝伝」どちらもマスコミ州アサピ族の戦士として世に出たとしていること、
後にシューキーン党を指導して時のモナー朝に反旗を翻したなど
両者の事績に共通点が多いことが、同一人物説の大きな根拠になっているようです。
ただし、「畜死伝」にのみ
「ティビー族に請われ、副官サコ、寵妃クサマンと共に二十三郡を治める。」
に始まる一章があり、
「本勝伝からの脱落」を主張する同一人物説派と
「別人である決定的証拠」とする別人説派の間で未だに論争が続いています。
また、「二十三郡」についても
「統治した郡の数ではなく、そのような名前の一つの郡ではないか。」との異説も
唱えられています。
謎の多い彼の実態を明らかにするには史料だけでは限界があり、
ティビー地方の発掘調査が待たれています。
789 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/01/31(火) 01:06:49 0
近年の調査では畜死、本勝らのマスコミ州アサピ族シューキン部は中国王朝と密通し、
モナー朝に反旗を翻したのは確実と見られています。
マスコミ州は巨大な州で、その支配権をめぐり多くの戦いが演じられましたが、
アサピ族シューキン部と、フジサンケー族セーロン部による
南京ヶ原の合戦においてはセーロン部が偽造暴露弾なる兵器を投入
アサピ族シューキン部が弱体を晒し撤退に至っています。
モナー朝でも露骨に反旗を翻すアサピ族は迫害の対象となりました。
793 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/02/11(土) 02:09:06 0
一説には、畜死は魏の陳思王の末、本勝は李勝の末だともいわれていますね。
そのせいか支那とコネクションがあったらしい。
ティビー族のシンボルは猪だったようで、
支那にあこがれた一族だったことは事実でしょうね。
ただ、茂那村賀那斎は水戸学の鵜狩八平(元伯)の説を引いて
「案ずるに手媚(ティビー)の徒、その漢文を用うる所を見るに
甚だ稚拙にして語は茂臭甚だし、蓋し震丹人の末には非ず」
としています。
ちなみに鵜狩八平(元伯)は元モナー朝の名家ジダイゲキー州長官ウッカリ家
の出、本朝に帰化して鵜狩氏を称したといいます。
水戸藩の修史事業に携わり代々八平を襲名しました。元伯は6代目。
820 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/05/27(土) 17:22:58 0
アカピ族は戦士「本勝」に離脱され、
さらに砂漠珊瑚を傷つけて民心を失ったうえ、
モナー国の大多数を占める「ネラー」に
熱湯浴(ネットウヨク)のレッテルを張って怒りを買い、
今や息も絶え絶えとのこと
821 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/06/24(土) 19:04:14 0
「だが、心配のしすぎではないか」の等の独特の文体で知られますね。
842 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/10/16(月) 22:43:11 0
衰退したアサピ族は、後に隣国ショギチエス州へ逃亡し、
州牧ヨーネ・宰相トツゲキ・ジュダンの庇護の下、
ネラーの襲撃により弱体化していたティビー族を攻め、
ティビーの主要都市メイジンを攻略して「西アサピ」を建国した。
しかし、ニケイ族に推戴せられてヨーネ・トツゲキを討った
第二代宰相サイキョ・ハーブ・ネグセ(ニケイ王座)は、
「アサピには信義がない」と断じてアサピの支援を打ち切った。
これがために西アサピはわずか数年でティビー族に滅ぼされ、
これを最後としてアサピ族はモナー史から姿を消したという。
余談ながら、ヌクドと争ったクマーはハーブに討たれたトツゲキ・ジュダンと
妻のナヲとの間に生まれた子で、アサピ最後の族長であるという説が有力である。
アサピ族はクマーを推戴してメイジンからさらに西遷し、
ハーブの部下セガーを撃退してドシロウトにたどり着いたが、
ここで里人オサカにクマーが討たれ、アサピは完全に滅んだ。
(クマー・ドシロウトの変)
なお、ハーブの妻・リーエはオニギリ族の庇護者として知られている。
801 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/28(火) 20:34:03 0
ヨンジュ・ナナ師と孫著(ソンチョ)について教えてください
802 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/28(火) 23:52:17 0
ヨンジュ・ナナ師と孫著(ソンチョまたはソンチョル)の戦記が
近年の発掘によって明らかになりつつある。
南カザフ人文科学研究所らの研究によれば
ヨンジュ・ナナ師は猪作権と呼ばれる特権制度に疑問を抱き、
是を破壊する目的で右意荷(ういに)と呼ばれる道具を開発した。
この道具の詳細は未だ不明でありこれからの調査研究の進展が待たれる。
中国の文献では
「右意荷使用容易財物得女人猥褻画幼女熟女全獲得可、
荷徒(注:ニト、荷物のような輩を指す侮蔑語と思われる)
右意荷代表的使用者」
この道具はモナー朝の範囲を超え多くの国で使われ猪作権を揺さぶった。
だがモナー朝の古都巡察団がヨンジュ・ナナ師を逮捕し
それ以降右意荷(ういに)を巡る情勢は流局化する。 続く。
803 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/29(水) 15:24:33 0
右意荷はそうとう便利だったらしいね
でも右意荷を使ってる事が知れると、
「荷厨」って呼ばれて蔑まれるようになったみたい
804 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/30(木) 00:43:14 0
西沢(さいたく)国から送られた偽書が元で失脚したナーガ・タギインについて詳しく
805 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/31(金) 03:12:02 0
つ ttp://uprecus.jp.land.to/wiki/index.php
806 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/32(土) 14:25:11 0
●コ・イズミ・ソーリ
モナー国ジミン州出身。
ジミン州が混乱の極みにあった末期、彗星の如く現れた将軍。
女将軍マキーコの助力を得て大将軍の地位にのぼりつめる。
「コーゾ・カイカク」(古きものは去れ、活力よ甦れ、という意味の古語)
「テイ・コ・セイリョク」(力に頼る物は力によって滅ぶ、という意味の古語)
を旗印に掲げ、破竹の如き勢いで戦いに勝利し、
最後の大会戦「ユウセイ大乱」に置いて大勝利をおさめ、
最終的に296州もの地域を傘下におさめた。
●タ・ケベ
コ・イズミ将軍の妻とも側室ともいわれるが定かではない。
男性であったとの異説もあるが、
「コ・イズミの女房」という記録が残っており、男性というのはあやまりであろう。
側室ともいわれるのは「女房」ではなく「女房役」だという記録もあるためで、
とにかく正妃ではなかろうというのが定説となっている。
コ・イズミは絶倫であったらしく、
家系図でも3人の嫡子と83人もの庶子があったことが確認されている。
そのうち、タ・ケベが産んだ息子と推測されているのが
タイ・ゾとホリエ・モンである。
ワセダ州商工ギルドの会長であったヤースイもタ・ケベの息子とする説もあるが、
歳が近すぎるため、養子ではないかと言われている。
807 名前:世界@名無しさん 投稿日:2006/03/32(土) 14:30:18 0
●ホリエ・モン
タ・ケベの息子たちのうち、謎が多いのがホリエ・モンである。
タ・ケベの息子でありながら、コ・イズミの83人の庶子の中に名を連ねてはいない。
異父兄だったのではという説もあるが、
当時の書物の中にタ・ケベがホリエ・モンを「わたくしの息子であります」と
群集の前でお披露目をする絵姿が多く見られ、
コ・イズミの血を引くものでなければこのような待遇はありえない。
一説によると、ホリエ・モンはフンショクという禁忌の錬金術に手を染め、
リバウンドで扉の向こう側に吸いこまれた、
というにわかには信じがたい異説が存在する。
「リバウンド」「扉の向こう側」というのが何を指すのかは不明である。
単に牢獄の中とする解釈もあるが、単純にすぎるとして最近では重視されていない。
何にしろ、ホリエがおぞましい行為に手を染め、それゆえにその存在そのものが
歴史から抹殺されたであろうことが推察される。
808 名前:世界@名無しさん 投稿日:2006/03/32(土) 14:30:58 0
●ナーガ・タギイン
ジミン州と長く勢力を争っていたミンス州の武将。
血気盛んで先走ることもあり、
軍法会議にかけられること5回とも伝えられる問題児である。
武人でありながら魔術をも操るコ・イズミ将軍にてこずったナーガをはじめとする
ミンス州軍は、標的をコ・イズミの周辺に絞った。
その標的となったのがコ・イズミの側室とも言われるタ・ケベである。
タ・ケベは前述のように、禁術によって堕落した息子ホリエ・モンがおり、
本人にもその罪を負わせるべしとする民の声が高まっていた。
これを奇貨としたミンス州の一派がタ・ケベの身辺を調査しはじめた。
おりしも親交深い西沢国より雇い入れた間諜が、
ホリエとタ・ケベとの間で交わしたとされる書簡を手に入れ、
それをナーガ・タギインに託した。
しかし、これは全くの偽書であり、
それも相当腕の悪い贋作師の手によるものだったらしく、
何度も書き損じの跡が見られ、肝心な部分が読み取れない有様だった。
このような偽書をもって、意気揚揚とタ・ケベの罪を問うたナーガに対し、
世の人々は呆れ、逆にミンス全体を非難し、
ナーガはこれによって失脚。ミンス州も大混乱に陥ったという。
当初は世間から非難されていたはずのタ・ケベは、いつの間にか面目を施し、
ジミンと勢力を争っていたはずのミンス州は、戦わずして敗北した。
このあまりに信じがたい手際に、
これもまたコ・イズミ将軍の魔術ではないかという説が根強く、
「武人であり魔術師である」というコ・イズミ像を補填する証左の一つとなっている。
813 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 02:50:54 0
>>806
コ・イズミ・ソーリには4人の皇太子がいて、
ア・ベシンゾー、ローゼ・ンアソー、タニガ・キ・サダカズ、フクダヤ・スーオ
っていうのが覇を争っていたっつーけど、
実際に当時の4人の勢力関係について誰か詳しく
814 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/04/15(土) 13:24:01 0
>>813
詳細は記録の断片が失われて不明。
後見人のモリゼン・ソーリやアオキミ・キオ、
ライバル関係にあったヤマタク・ドヘンタイ、カトーコ・ウイッチ
コ・イズミの腹心、タケーナ・カヘーゾらの政争により焼失したとされる。
810 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/04/06(木) 23:25:19 0
博物館で展示されていたAA式陶器を眺めていて気づいたのですが、
1つの模様が時期を追うごとに省略化・簡略化されていっているみたいですね。
解説員の方から、日本の縄文土器や山手線の車体の塗装でも同じことが起こってると
うかがって、とても面白かったです。
811 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/04/07(金) 23:02:55 0
省略化こそ洗練の証、って感じですかねえ
しかしAA式土器って面白いですね
810さんはこの前神戸であったAA式土器の展覧会見ました?
私現代の自分達とこんなにもものの表し方が違うのかと感動しましたよ
825 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/08/08(火) 08:48:54 0
「ヨウツベ」なるものの記述がある時代から急激に増えるのですが、
この「ヨウツベ」とは何者でしょうか。
827 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/08/25(金) 18:02:16 0
>>825
それは漢語文化圏では「妖壺」と音記されている『西域の魔術』ですな。
私は漢語文献しか参照できないのですが、「瞬」という魔術を用いた
視覚的な教義の解説を多くの人と無償・無対価で共有し、
紹介しあうというものだったらしいです。
これだけでは何を言っているのか、と思われるかもしれませんが
史書の記述も混乱しており、イスラムなどの他宗派の断片的な記述が載せられ、
人気を得る一方視覚的な情報を否定するアッバード朝カリフからの抗議で
それを排除するなどの混乱も実際にあったようです。
もっとも、アッバード朝の没落後は「権利者が不明になった」とかで
「これは公正使用だ」とかいって無秩序に載せられていたようですが。
この顕教的な情報の配布は情報の独占を教義的に否定していたこと、
情報の提供に対価を求めなかったことで一時的に熱狂的な人気を得たようですが、
逆にこのためにこの宗教団体が活動資金を得る方法がなく、ほどなく衰退したようです。
しかし、地下で似たような視覚的な教義解説の無償共有という秘密結社は浸透したようで、
後に西洋に渡りフリーメーソンなどが紋章などの視覚情報を重視した起源であるという説を
唱える人もいるようです。
828 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/08/25(金) 18:48:40 0
>>825
ようつべはモナー朝の紙芝居フラーシュに似ている物では?
葉っぱと鍵を崇める宗教が存在したという話ですが、
その宗教の年齢制限とは一体・・・
829 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/08/28(月) 22:57:46 0
最近の研究によると
モナー朝末期に出現したミキシ国の興隆が
モナー朝の衰退と深いかかわりを持っているらしい。
845 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/10/25(水) 16:41:18 0
>>829
でもミキシ帝国は直ぐに猛将ケ・ツゲバ・ガー女公の
愛人の失態をモナー朝に付け込まれ、
一挙に零落したじゃないか。
847 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/11/12(日) 18:59:03 0
ミキシ帝国は原則として血縁主義で、鎖国をしており、
外国人の侵入を拒んでいました。
ただし通行手形(それはミキシ帝国民からの紹介状である必要がある)は
一般民でも容易く入手出来る物で、鎖国は形骸的でありました。
ですが、ヒキー族のような外部との交流の少ない民族にとっては、
帝国の通行手形は手に入れる手段がありません。
ミキシ帝国に密入国しようと、通行手形を偽造した密入国者は
片っ端から処刑されたので、ミキシ帝国を恨む者も少なく無かったわけですが。
852 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/11/29(水) 21:53:08 O
近年発掘が進んできた、ミキ・シ帝国の興亡についてのご意見をお聞かせ願いたい
初期の集団から、爆発的とも表現される勢力の拡大、モナーとの確執、衰退期、と
研究テーマにはことかきませんが、衰退の兆しとなる時期に
「ケ・ツーゲ・バガー(異説有り)」なる人物?祭司?祭事?が見られ、
どう解釈すべきか、わかりません
モナー研究の方から、なにか資料はないでしょうか?
853 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/12/01(金) 17:29:40 0
>>852
>>845氏の言葉は参考になるかと。
この一件でミキ・シ帝国は信用を失墜し、
外貨獲得手段である「カー・ブーシ・キ」もまた信用を失い、
これによってミキ・シ帝国の国威が斜陽化し始まったようですね。
854 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/12/01(金) 18:05:26 0
有名な壁画で、現代のハンバーガーの様な文様ですが、詳細は分かっておりません。
研究者の多くは、あれは祭司であり、巫女であると考えています。
ギリシアにおける神殿売春と同様、
ミキ・シ帝国の宗教も性行為と深い関係に有ったのです。
モナー朝と言っても州(イタ)によって習俗が違うのは皆さんご存じの通りですが
モナー朝の大司徒が国勢調査の際に「童貞があまりにも多い地域」と嘆き
特筆した地域で反ミキ・シ帝国の狼煙が上がったのは、偶然とは言えないようです。
855 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/12/01(金) 21:42:09 0
ミキ・シ帝国は当時広まりつつあったエスエ・ヌエス主義国のひとつですね
厳しい入国制限を行い、戸籍ですべての住民を管理し、
治安を維持しようというものです。
ただミキ・シ国のそれはかなりいい加減なもので、
同じ住民がいくつも戸籍を持っていたりしたようです。
858 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/12/10(日) 20:55:32 0
ゲバガ女公はミクシ帝国を攻撃せんとするネラーの一勢力に利用されたという説も。
837 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/09/20(水) 01:01:04 0
アサピ族の親戚の「おおにーし」について教えて下さい。
アサピ族と「おおにーし」はモナー人と敵対していたのですか。
・「お花畑」・「脳内妄想」・「左巻き」についても教えて下さい。
「しゃー・みん・とう」と「おかーら」の名言中国様の許しを得たのですかの真意は?
「そう・か・学会」と「こーめ・いとう」についても。
843 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/10/21(土) 14:30:52 0
>「しゃー・みん・とう」と「おかーら」の名言中国様の許しを得たのですかの真意は?
「おかーら」というのはアサピ族の人於加羅(オカラ)のことですね。
アサピ族衰退期の宰相で、支那宋朝に於いて中華思想を大成した
司馬光の弟子の一人です。一説には日本伊勢北畠家の一族、北畠岡田勝也が
支那へ帰化した人物であるともいいます。
アサピのクーメに招かれて宰相になりました。
於加羅は衰退したアサピ族を支えるべく支那へ朝貢を繰り返し、
南宋の援護を得て形勢を挽回せんと奮闘しましたが、
手腕に乏しく、事あるごとに宗主国宋にお伺いを立てることばかりしていた
ので、後に部下のマエバリに討たれたといいます。
「中国様に許しを得たのか」は、彼が常に逝っていたことで、
バカの一つ覚えのようにこればかり繰り返したようですね。
844 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/10/21(土) 17:00:32 0
<モナー朝史年表>
※前期
前期ワクテカ文明
後期ワクテカ文明
4-5c モナー国建国(諸説あり)
|
? ネオム・ギチャの乱
513 第一次トナメ
|
ググレカス運動、フュージャネイザンの屈辱、ツーホー=シマスタの乱
|
726 モナ五世即位
モナー朝黄金期=前期モナー文化
イスラム、唐との貿易(AA陶器、スレ)
モゥ=コネーヨ「2ゲット」などの文学作品
755 五世崩御、モナ六世即位
三頭政治、デーン=シャーの教団の繁栄、長編詩「デ・ンシャ」
813 第2次トナメの大乱
モララー二世(ストップマン、?〜814)とモナナ
(武宗、784〜861)が互いに北帝・南帝を称。
バイク族滅亡・ダウソ党崩壊
三賢帝(カワイソス3世・テラワロス・クォリティ一世)の活躍
821 北モナー朝のスピソドリル戦死、北モナー滅亡
モナナの王統が正統となる
|
950 モナ十三世即位
「次スレの令」:国内スレ産業を保護
「テン・プレ(国内図)作成」:国内情報伝達体系の確立
848 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/11/13(月) 22:27:17 0
モナー朝に於いてはほとんどの世界宗教はジンジャブッカク州
を除いては受け入れられなかったが、例外的にキリスト教のみは布教を
認定されていた。
ショギチエス州の長編叙事詩「ゲツカキシ」によれば、
第二次トナメの大乱の時、モナナ軍で活躍したショギチエス族長ヒフミンが
キリスト教徒であり、ヒフミンの懇願によってヒフミンの一族のみは
キリスト教の布教を許可されたという。
なお、ヒフミンは常に長い帯を結び、棒状の銀が好きで、
「アト、ナンプン!?」(モナー語でアーメンの意)
の声とともに奇跡を起こしたとされ、後にローマキャソリック教会より
聖人に列せられた。
彼の奇跡には、貧しいヤマザキ・チンマルが恋人のヤウタンと
結婚式を挙げたときに、ヒフミンがチンマルを祝福して「ウナジュ」
という高価な食べ物を空中から現出させた、滝を一喝して止めた、
センチャンを浮いたり沈んだりさせたなどの事跡が有名である。
ヒフミン伝承は「ゲツカキシ」を離れ、バウ文書によって
モナー朝津々浦々に広まったという。
849 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/11/23(木) 12:11:35 0
>>848
ヒフミンに祝福されたヤマザキ・チンマルに関しては、
セカイシ州宰相だったヤマ・ノノ・ブスマの一族ではないかという
説がありますね。
850 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/11/26(日) 11:51:50 0
>>849
ヤマ・ノノ・ブスマは、サンヤ・ノノ・ブスマとも呼ばれていたようですが、
果たして同一人物だったんでしょうかね?
856 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/12/02(土) 13:43:00 0
>>850
サンヤ・ノノ・ブスマはヤマ・ノノ・ブスマと同一人物で、
武宗皇帝モナナの時の三賢に次ぐ「七俊」のうちの一人ですね。
念のため「七俊」を宋清の記録により
挙げておきます。サンヤ・ノノ・ブスマは成西文公・右宰相ですから
かなりの高官です。
東世界史・武南穆王・玖和亜手(クワアテ)、
西世界史・文北桓王・手黙(テモック)、
世界史成西文公・右宰相・参耶野野普須摩(サンヤノノブスマ)
群地(グンチ)公地覇譚版邪惟(チハタンバンジャイ)、
範版(ハンバン)公仁泰(ニダイ)、
普魯野玖(プロヤク)公大珍耶(ダイチャン)
惟後将儀(イゴシヨギ)公費普民(ヒフミン)
857 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/12/05(火) 01:33:15 0
>856
ああ、やっぱりそうでしたか、ありがとうございます。
それにしても右宰相とは。正直言って驚きましたよ。
862 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/12/16(土) 22:40:20 0
それにしても、工房だった1も今じゃもう成人してるんだな……
863 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/12/17(日) 13:05:15 0
>>862
そうか、このスレももう4年ものなのか……。
趣味一般の6年ものは知ってるが、あっちこっち探したら
古いのが結構ありそうだな。