礼儀・敬礼の歴史 適当にまとめ その1

引用元スレッド

スカウトの敬礼は右手で指三本!

1 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/02/16(水) 19:07:39 0
 歴史上身分・地位といったものを表すのに、
 礼儀作法は欠かせないものでありました。
 
 中国の皇帝に対する「三跪九叩」は有名ですし、
 ナチスの行った「ローマ式敬礼」などは、欧州などでは人前ですることを憚られるものとなっています。
 「キス」という挨拶も、キリスト教が広まる以前の古代ローマ人は奇異の目で見ていたそうですね。
 
 形式ばったものに限らず、軽い挨拶程度でもかまいません。
 各地の礼儀や敬礼の歴史について語り合いましょう。
 
 2 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/02/16(水) 19:25:32 0
  <ノ丶`Д´>ノ マンセー
 
3 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/02/16(水) 19:43:14 0
 日本の道路が(車は)左側通行だってのは、
 江戸時代に武士がすれ違う際に、
 互いの刀が触れ合わないようしてたのが発端だって本当?
 それも作法に入るのかな?
 
 欧米ならレディーファーストとかあるね。
 
 4 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/02/16(水) 19:59:32 0
  13世紀・日本
 
  ・武士の敬礼
  左手で右手首を握る。『五常内義抄』(著者は中流貴族)に、
 
  主の前に出る事があれば、主の弓手に出る事。
  馬手に出ると、主を弓手に捉えてしまう為である。
  また、人前で腕を組む際、右手を下にしてはならない。
  太刀を取って、切りかかる様に見える為である。
 
  とあるが、こうした発想から生じた「無抵抗」宣言か。
 
  ・挨拶に差し出すもの
  公家ならシャク、僧侶なら数珠を出して挨拶の印とした。
  後世金打(きんちょう)といい、武家なら刀、僧侶なら数珠や鉦、女子なら鏡を打ち合わせた事の起源か。
 
  17 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/02/18(金) 00:26:43 0
   >>4
   そういう敬礼もあったんだ。
   時代劇なんか見ると、武士は鞘に入った刀を右手で持ってたりするよね?
   あれも敵意はありませんよ、って意味なんかな。
 
5 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/02/16(水) 20:17:21 0
 旧日本陸軍の敬礼が肘を張った形なのは、姿を少しでも大きく見せるため。
 白兵戦などで直接敵に接することが多いので、こういう見栄が大事だった。
 
 対して海軍は元々巨大な艦船に乗ってるわけだし、
 敵から見られることを意識する必要もないため、小さく敬礼した。
 
 8 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/02/16(水) 22:27:22 0
  >>5
  艦内は狭いので肩肘張れないという事情もあったはず。
 
  10 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/02/16(水) 22:34:10 0
   >>5
   > 対して海軍は元々巨大な艦船に乗ってるわけだし、
   > 敵から見られることを意識する必要もないため、
   > 小さく敬礼した。
 
   スペースの都合もあるよ。
   離岸のときに、船べりに並んで敬礼するんだけど、
   そのときに出来るだけたくさん並ぶために右側の人と少し重なる。
   それで、ぶつからないようにするために、ひじを斜め前に出して敬礼する。
 
   陸の場合、ひじは真横。短間隔で並んでると、横の人のひじがぶつかることがあって、痛かったりする。
 
   11 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/02/16(水) 22:53:58 0
    >>8
    >>10
    すんません、私適当言ってしまいました。
    海軍ではスペースの問題というのが本当は正しいはず。
 
    敬礼というと、兜のバイザーみたいのを右手で上げる仕草が由来と聞いた。
    そういえば手のひらを正面に向けるような形のもあるよね?
    あれは国によって違うのかな。
 
    33 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/03/01(火) 00:42:51 0
     >>11
     富野御大将が下っ端アニメーターに説教したそうだ
     「いい、船の中は狭いのよ、だから海軍は敬礼も小さいの!
      そう描かなきゃ駄目でしょ」
     とかなんとか
 
     36 名前:山犬 ◆RDX1.dOCHY [sage] 投稿日:05/03/05(土) 04:43:06 0
      >>33
      北久保がアニメ夜話で楽しそうに喋ってましたね。
 
  13 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/02/17(木) 02:59:55 0
   >>8は江川達也の『日露戦争物語』にかいてあったな。
 
6 名前:自転車小僧 ◆IBmI/K76EY [sage] 投稿日:05/02/16(水) 20:39:23 0
 アルバニア式の敬礼は右手で握りこぶしを作り、頭の高さまで挙げる。
 民族の不屈の精神を表わしているそうな。
 
7 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/02/16(水) 22:20:31 0
 大名行列でひれ伏してなかったら斬られたっていうけど、
 ほかの国でもそういうのあった?
 
 9 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/02/16(水) 22:31:08 0
  平安時代には、公達が乗馬して来た場合、下馬してひれ伏さないといけないという決まりがあり、
  それを悪用して身包みを剥がす賊もいましたね。
  時には武士との闘乱の原因にもなっている。当時の貴族は気が荒い。
 
  なお近世の『貞丈雑記』には、「せむる馬には礼なし」という俚諺が引かれており、
  乗っている者は「せめ候」と言うだけであったと記されています。
 
  大名行列ですが、一般にはそこまで厳しくはありませんでしたよ。
 
  >4絡みで追加。当時扇をシャク代りに立てる事がありました。
 
 12 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/02/17(木) 02:32:30 0
  >>7
  笠などの被り物をとって、膝をつくか腰をかがめて頭を下げてれば良かったそうです。
  斬られた例はあまりないようで、生麦事件以外は記憶にありませんが。
  あれは、乗馬のまま大名行列に紛れ込んで邪魔をしたからで、斬られる方が悪い。
  産婆さんは「ごめん下さいまし。取り上げ婆でございます」と言いながら、
  頭を下げて頼むと行列の間を通してもらえた。
 
  14 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/02/17(木) 19:01:19 0
   >>12
   シュリーマンが目撃した話があります。
   大名行列の前を横切った百姓が切られたので、
   切った侍に傍にいた若い侍が抗議したところ、これも切られた。
   それを知った上司の侍が、「気が狂っている」と判断して、その侍を切り捨てた。
   行列は、三体の遺体を残して粛々と進んだと。
 
   16 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/02/17(木) 21:00:47 0
    >>14
    その話は「古代への情熱」ですか?
    たしか、商売たたんで発掘に行く前に世界旅行してたはず。
    大名行列を妨げたからと無礼討ちにするのは、やはり常識の範囲外ですか。
 
    36 名前:山犬 ◆RDX1.dOCHY [sage] 投稿日:05/03/05(土) 04:43:06 0
     >>16さん
     出典は「シュリーマン旅行記 清国・日本」
     (原題"La Chine et le Japon au temps present")ですね。
     講談社学術文庫から出ています。シュリーマンの日本滞在は1865年の6月1日から7月4日までで、
     ちなみに、この旅行記はシュリーマンの処女作でもあります。面白い本ですよ。
 
     以下、当該部分を抜書きしておきます
     「翌朝、東海道を散歩した私は、われわれが行列を見たあたりの道の真ん中に三つの死体を見つけた。
      死体はひどく切り刻まれていて、着ている物を見ても、どの階級の人間かわからないほどだった。
 
      横浜で聞いたところによると、百姓が一人、おそらく大君のお通りを知らなかったらしく、
      行列の先頭のほんの数歩手前で横断しようとしたそうである。
 
      怒った下士官が、彼を斬り捨てるよう、部下の一人に命じた。
      ところが、部下は命令に従うのをためらい、激怒した下士官は部下の脳天を割り、次に百姓を殺した。
 
      まさにそのとき、さらに高位の上級仕官が現れたが、彼は事の次第を確かめるや、
      先の下士官が気が狂っているときめつけ、銃剣で一突きするよう命じた。
      この命令はすぐさま実行に移された。
 
      三つの死体は街道に打ち捨てられ、千七百人ほどの行列は気にもとめず、
      その上を通過していったのである。」
 
27 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/02/26(土) 19:02:53 0
 無礼な町人とかを手討ちにしても許されたのって日本だけ?
 
 28 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/02/26(土) 22:02:11 0
  どうせ釣りだと思いますが、しつこく理由を詰問された上、
  正当性を認められなかった場合には、その身は切腹お家は断絶。
  刀を抜いて逃げられた場合にはその身の破滅は確定で、一生まず抜く機会は無かった筈では。
 
  29 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/02/26(土) 23:07:06 0
   >>28
   (´・∀・`)ヘー
   世間で思われてるイメージとかなり違うんだね。
   勉強になったわ。ありが㌧。
 
   37 名前:山犬 ◆RDX1.dOCHY [sage] 投稿日:05/03/05(土) 04:56:04 0
    >>27-29
    「幕末百話」には武士が難癖をつけて町人を斬り殺そうとする話がありますね。
 
    石をコツン
 
    ある晩の事、四谷(今は金杉に住みますがその頃牛込です)の親戚へ呼ばれまして御馳走になり、
    ホロ酔い機嫌で、四谷大通りを夜のかれこれ十二時近く、帰ってまいると、
    アトから石をコツンと蹴ってよこす者がある。
    振返って見ると、お侍が三人大小が六本だ。
    五体がゾッとして肉が硬固(しゃちこ)ばって、足が進まなくなりました。
 
    無礼な奴だ
 
    三人の侍はバラバラと私を取巻いて「無礼な奴だ。石を後蹴に致したな」と言うんです。
    「ど、どう致しまして、左様な無礼を町人の分際で致してよいものでございましょう」と詫入れば、
    「黙れ、この方の臑にあたったぞ」(嘘ばっかりいうんです)。
    ヤッ試斬りだなと思った時のヒヤッとした心持、
    胸はドキドキッと動悸の早鐘、蒼くなって震慄(ふるえあが)っちゃったんです。
 
    手が邪魔だ
 
    気も遠くなりまさア。
    耳の辺で何かガヤガヤいうから、ハッと思うと、
    「君、危ない危ない手を徐(ど)けたまえ、手を・・・・・手が邪魔だ」。
    この早口の言葉、未だに耳の奥に残ってるような気がしますよ。
    つまり一人の侍がスバリ斬(やろ)うとするんだが、
    襟首を押えている侍の手が邪魔になるという一刹那、
    私はコレに気づいて愕(おどろ)くまい事か、モウ無我夢中、
    体にあるだけの力を出して、斬ろうとする侍に衝突(つきあた)り、
    矢庭に抜懸けた刀を引掠(ひきちぎ)って、担ぐが逸(はや)いか、
    何がなんだか一切夢中で駆出す、遂駆ける。
    町人の悲しさ旨く相手の刀を奪いながら、刃向うどころか、担いで逃出し、
    御堀端を高力松の下から市ヶ谷八幡の所まで逃了(にげおお)せたが、
    呼吸が切れて死にそうで、あの八幡下の泥溝(どぶ)(今でもありましょう)
    ・・・・・彼溝(あそこ)の下へ潜込んでしまったんです。
    ・・・・・実に命カラガラとはああいう時の事なんでしょう。
 
   38 名前:山犬 ◆RDX1.dOCHY [sage] 投稿日:05/03/05(土) 05:01:46 0
    あと、「幕末百話」の第一話には81人斬ったという、岡部菊外という佐竹藩士の話があります。
    これらの話がどこまで真実なのかはよくわかりませんが、とりあえず難癖をつけて町人を斬ろうとする、
    性質の悪い武士もいたというのは確かなようですね。
 
    まぁ、例外的な存在だったでしょうが。
 
15 名前:sporran 投稿日:05/02/17(木) 20:13:29 0
 椅子に座るときは椅子の左側からこしかける。右側からだと腰に下げた剣がぶつかる。
 貴人にたいして、お辞儀をするのは西洋も同じ。
 しかし、男子は腰から深く曲げず、尻を後ろに突きだし前足のストレッチをするようなポーズを取った。
 
 今の男性バレリーナがこれと同じお辞儀をする。
 これは腰から曲げると剣の先が後ろにいる人にぶつかるから。
 
18 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/02/18(金) 23:16:19 0
 以前見た「阿片戦争」という映画で、
 清国の役人が身分の高い人(林則徐か皇帝だったかと思います)に妙な礼をしていたんです。
 体の前で腕を素早く動かして服の両袖をバタバタさせ、
 その後に両腕を揃えて頭を下げて跪く形です。
 あれがどういうものか、分かる方いませんか?
 
 19 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/02/18(金) 23:41:33 0
  3回跪いて、そのたびに3回ずつ頭を床につけるのなら「三跪九叩頭」です。
  イギリスの外交官が嫌がって国際問題になりましたが。
 
  21 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/02/20(日) 00:03:51 0
   >>18
   目上の人の前でまくった長袖を下ろす動作かと。
   カンフー映画ではよく登場するもんでおのずと覚えました(笑)
   目上の人の前では手や腕が露出すると失礼なのですが、
   普段の仕事などでは手より長い袖は邪魔なのでまくり上げているんですよね。
 
   23 名前:18 投稿日:05/02/21(月) 22:48:16 0
    >>19
    繰り返し礼をするやつですよね?
    もうちょっと短い時間でやってたので、
    違うかも知れません。
 
    >>21
    たぶんその動作です。
    生身の手や腕を見せるのが失礼だってのは初めて知りました。
    勉強になります。
 
    お二人ともレス、ありがとうございました。
 
    25 名前:自転車小僧 ◆IBmI/K76EY [sage] 投稿日:05/02/21(月) 23:38:46 0
     三跪九叩頭は皇帝に対する最高礼にあたり、
     挨拶する相手の身分により回数やひざまづき方が細かく異なります。
     万歳も皇帝専用の長寿を願う賛美の言葉で、一般の大臣には「千歳」と言うのが通例です。
 
     31 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/02/27(日) 02:05:04 0
      >>25
      千歳空港かよw
 
     32 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/02/27(日) 08:26:12 0
      千歳飴
 
     57 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/03/07(月) 15:53:08 0
      >>25
      あれって長寿を願う挨拶だったわけか。
      大臣の場合の千歳は少しワロタ。
 
      58 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/03/07(月) 20:13:30 0
       九千歳な宦官もいたような記憶が・・・
 
       60 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/03/08(火) 18:56:39 0
        >58
        明代の魏忠賢ですか。
 
        61 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:05/03/09(水) 19:04:16 0
         魏忠賢が九千歳と呼ばれていたことは「明史」の「宦官傳」を始め、
         耿如・倪元璐・李蕃・閻鳴泰などの各傳に出ています。
         特に「閻鳴泰傳」にはお歴々の方が争って魏璫の生祠を建て、
         まるで孔子様なみの崇め方をしていた有様を詳記しています。
 
30 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/02/27(日) 00:41:18 0
 中国人が今もよく行なう身振りで「掌と拳を顔の前で合わせる」というのを見かけますが、
 あの意味は一体何なのでしょうか?
 映画のせいか、武術家だけの挨拶と思っていましたが(笑)
 以前、台湾の選挙戦で候補者が観衆に向けてこの仕草をやってみせていたのが印象に残っているので
 もっと幅広い場面で使われるものかと思うのですが・・・
 
 34 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/03/04(金) 21:10:03 0
  >>30
  抱拳儀礼。確か↓このどっちかだったような希ガス
 
  1.左手(掌)が「月」、右手(拳)が「日」を表してて、
    「明」の意味。反清復明の姿勢。
  2.拳を左手で包みこんで、敵意が無いことを訴える。
 
  35 名前:34
投稿日:05/03/04(金) 21:11:23 0
   スマソ。>>34はどっちも間違いの模様。
 
  76 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/03/18(金) 20:11:19 0
   あやめさんでも>>30>>43の挨拶は知らないのかな?
 
   83 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:2005/03/27(日) 17:59:55 0
    >>76
    それは拱手のやや変態したものだと思いますが、なお調べときます。
 
    86 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/03/27(日) 18:17:55 0
     >>83
     お願いします。昔から気になってたけどわからなかったので。
 
     87 名前:世界@名無史さん
投稿日:2005/03/27(日) 18:27:16 0
      >>86
      何をしつこく引っ張っているのかと疑問に思ったら、
      正解を書いているのに、なぜか解答者が自分で否定しているのね。
 
     88 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/03/27(日) 18:35:38 0
      >>86
      >>34が言ってる内容で正しいですよ。
      もともと、武侠界や秘密結社間で使われた「抱拳礼」とか「抱拳拱手」と呼ばれた挨拶の形で、
      今日でも、中国武術では儀礼として使われています(例:太極拳など)
 
      意義付けとして、掌を月の字に、拳を日の字に見立て、
      相手側から見ると「明」の字となり、「反清復明」の意思を表すなどとされていますが、
      武術家や侠客などの間で、敵意のないことを示す儀礼から始まったと考えるのが適当でしょう。
      台湾の選挙で候補者が抱拳をしていれば、武術家なのか、
      あるいは、いわゆる黒金候補なんでしょうね。
 
      89 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:2005/03/27(日) 18:38:47 0
       果たして正解なのかしら?
       「反清復明の姿勢」とあるところで何だかなあと思ってしまいます。
 
       90 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/03/27(日) 18:45:39 0
        >>89
        「反清復明」は後付けの粉飾だろうと思いますよ。
 
        ですから、説明としてはそういう説明がされているけど、
        実際には攻撃しませんという意思表示の形が元だろうということで。
 
   91 名前:自転車小僧 ◆IBmI/K76EY [sage] 投稿日:2005/03/27(日) 20:48:32 0
    >76
    もともとは皇帝の前で両袖、すそをはたいて武器を隠し持っていないことを示し、
    右手の拳を左手で包んだうえひざまずいて
    敵意や攻撃の意思の無いことを示したものが起源だと思いますが。
    勿論「万歳」もその姿勢で唱えています。
    両手を挙げて「万歳」するのは日本だけで、
    それも明治憲法発布の時に見栄えが良いと言う理由で決まったものです。
 
        94 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/03/29(火) 00:02:05 0
         で、抱拳礼だけど、反清復明なら清代初期だろうし
         武術由来にしても体系化されたのはそう古くなさそうな気がするけど
         いつ頃から行われてたん?
         現代の映像等見る限りじゃ漢楚やら三国志でも普通に抱拳してるんだけど
 
         95 名前:世界@名無史さん
投稿日:エジプト暦2329年,2005/04/03(日) 14:33:56 0
          映画などを見ていると、少林寺など仏教系の拳法では合掌で挨拶しているが、
          太極拳など道教系の拳法で抱拳礼をしばしば見かけるようにも。
          やはり陰陽合一の表現なのか?
 
20 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/02/19(土) 18:21:58 0
 ディオクレティアヌスは中東風の皇帝礼拝を取り入れて
 臣下に強制した為、反発食らったんじゃなかったっけ。
 
 跪いて皇帝の着てるローブの裾に口づけて敬意を表すってやり方。
 あまりにも屈辱的って事で。
 
22 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:05/02/20(日) 01:57:06 0
 軍の礼式・服制は明文化するのが普通なので調べ易そうですが、
 ある時点より前がいきなり解らなくなる事が良くあります。
 単なる習慣・習俗が規則化するので起源が不明なのでしょう。
 
 ベレー帽の被り方の起源が良い例です。
 フランス海兵隊やソ連空挺隊がなぜ特異な被り方をするかまでは説明できても、
 なぜイギリス式とフランス式が違うのかは誰も知りません。
 
 一般に「敬礼」と呼ばれる「挙手の敬礼(Hand Salute)」も、
 通説とされる、兜の面頬を上げて素性を示す仕草以外に、
 トゥルヌワ(集団模擬試合)の際、象徴的な役割で観客席に着く貴婦人に対し賛美の意を示す仕草、
 とする説もあります。「お美し過ぎて眩しい!」というわけです。
 敬意を示すために被り物を取る仕草、とする説もあります。
 
 なぜ右手で行うのか、については既出ですが、
 右に武器を帯びている際には左手を挙げる例もありました。
 
 英・仏の掌を前に向けた敬礼は有名ですが、ポーランドでは二本指の敬礼が伝統です。
 
 40 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/03/05(土) 21:16:11 0
  >>22
  漫画のナポレオンのあとがきに
  手を頭に持ってくる敬礼はナポレオンの頃はなかったとあったのですが、
  いつからあるのでしょうか?
 
  41 名前:22
投稿日:05/03/06(日) 06:47:37 0
   >>40
   すいません。私も知りません。
   「起源は不明」とする資料以外見た事がありません。
   そもそも実用面重視の軍事研究の中で、挙手の敬礼の起源を専門的に解明する努力自体が
   あまりなされていないんじゃないでしょうか。
 
   明文化された規定としては1882年のイギリスに於ける法令や
   1778年アメリカ独立戦争中の規定がありますが、
   これ自体既に一般化していた挙手の敬礼に対し、
   追認する形で法的・制度的根拠を付与した物に過ぎません。
   1745年の時点でイギリス海軍内では挙手の敬礼が行われ、
   脱帽の敬礼に代わる略式敬礼として扱われていたからです。
 
   18世紀には挙手の敬礼が行われていたとなれば、
   前世紀に遡ればそこはまだ鎧を纏った重騎兵の活躍する、
   現代軍制以前の時代です。礼式は法制でなく慣習の時代です。
   起源の遡上はここで途絶えるでしょう。
 
   42 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/03/06(日) 12:46:20 0
    公文書には限界ありかあ。
    さらに前の時代には、彫刻や絵画、あるいは小説などに登場していないものだろうか。
 
24 名前:とてた ◆0Ot7ihccMU [sage] 投稿日:05/02/21(月) 22:57:04 0
 マヤでは腕組みが「服従」の証とされ、
 アハウ(都市王)の前で廷臣が腕組み・胡坐で並んでいる壁画が残っています。
 
26 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/02/24(木) 23:42:09 0
 日本の場合天皇は簾の向こうにいるわけだけど、
 そういう人を身分の低い者は見ることすら許されてなかったんですかね?
 神道のやり方で「右手で頭の高さ以上に持つ」とかあったような…。
 そういう延長で高貴な人も特別に見られてたのかなと愚考しました。
 
39 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:05/03/05(土) 17:27:41 0
 江戸の小説や浄瑠璃に「仇討ちとさへ言へば陣の小口も通す習い」と言った文句を
 よく見かけますが、実際にそんな慣習や事例が存在したんでしょうか?
 
 47 名前:山犬 ◆RDX1.dOCHY [sage] 投稿日:05/03/07(月) 05:53:43 0
  >>39
  ひょっとして僕に対するレスですか?
  あやめ先生にレス頂けるとは光栄です。
 
  「仇討ちとさへ言へば陣の小口も通す習い」というのが
  具体的にどんな事を指すのかちょっと解りませんが、
  仇討ちされる側が仇討ちする側に塩を送った例と言うのは、寡聞にして知りません。
  まぁ、私自身は幕末の仇討ちに関して少し興味があって調べてみたことがあるくらいなので、
  知識は薄いのですが。
 
  とりあえず、仇討ちされた側の遺族は、
  仇討を仕返して名誉回復することが許されていませんし、
  助太刀を頼んだり、待ち伏せをしたりと、可能な限り有利な状況を作り出そうとします。
  そういう状況の中で、あえて相手に塩を送るようなことをする人は相当酔狂な人でしょうね。
 
  まぁ、いくら工夫を凝らしても、仇討ちの成功確率というのは相当に低いのですがね。
 
  48 名前:山犬 ◆RDX1.dOCHY [sage] 投稿日:05/03/07(月) 05:57:57 0
   間違った。
   >とりあえず、仇討ちされた側の遺族は、仇討を仕返して名誉回復することが許されて
   >いませんし、仇討ちをする側は助太刀を頼んだり、待ち伏せをしたりと、可能な限り有利な
   >状況を作り出そうとします。
 
   まぁ、間違いついでにいろいろと書き込むとするか。
 
  49 名前:山犬 ◆RDX1.dOCHY [sage] 投稿日:05/03/07(月) 06:01:33 0
   上に挙げた、同じく「幕末百話」からのお話。
   書き込むのが面倒だったんですが、酔うとそんなことも気になりませんね。
 
   銀座の街
 
   頃は安政で、ただ今の銀座の松田(料理店)で
   二人斬のあった昔の新聞雑報というのを持出してみましょう。
 
   安政の頃の銀座は今の三分の一くらいの道路(とおり)で、
   その時分の家で、私の覚えていますのは、
   丸八の松沢、足袋やのゑびや、二丁目の酒屋山田屋、一丁目の葉茶屋河井ぐらいでアトは覚えません。
 
   で松田といっても先代の松田で瓦葺の粗末な二階家。
   料理も一朱と二百か二朱もあれば登(あが)って喰べられましたが、場所柄とて、お客はありましてす。
   その後の松田は大根河岸の左官の兼さんというのが引受けましたので、
   ソレは二人斬があってから一時寂れたゆえ、兼さんが買って妾を置き、商売をさせたが、
   御一新後ああして繁昌するから、家も立派になりましたので、
   彼家(あすこ)の前にある鉄(かね)の天水桶は、
   安政の交(ころ)、左官の兼さんの許(とこ)にあったものです(今はなくなりました)。
 
   七ツ時分
 
   ちょうど秋の頃で、時刻は七ツ時分(今の四時頃)松田の二階で大騒ぎ。
   私が何だろうと駆付けて見ますと、
   「今二人の士(さむらい)を斬った仁(ひと)がある」というので、ワアワアという人立。
   女子供を連れた松田のお客は逃げ惑い、泣き喚く。
   私が横町の所へ往った時に、同家の家根から番太の家根へ、
   飛下りて逃げ出した武士のお客などもありました。
   コレは関係(かかわり)を恐れたのでしょう・・・・・騒ぎは大変だが、事の真相は分りません。
 
   ところで段々話を聞きますてえと、全くのところ八丁堀の剣術指南桃井の門弟で、
   先代の代稽古をするほどの達人、小天狗と綽名(あだな)される上田馬之助という仁が、
   丸之内天童の織田の家来を二人斬ったという顛末なのです。
 
  50 名前:山犬 ◆RDX1.dOCHY [sage] 投稿日:05/03/07(月) 06:02:06 0
   中川俊造
 
   この日松田へ朝から登って酒を飲んで居ったのが、
   今申した織田の師範役中川俊造で(この人はよく銀座へ見えますので界隈の人も私も知っています)
   この中川が国許から来た士(さむらい)を連れて、一杯傾けていたのです。
 
   午後(ひるご)に及んでは酔(えい)も廻っていたが、ソンなことは夢にも知らぬ上田馬之助さん。
   剣術の帰り途(みち)松田へ寄って、中川の飲んでいる傍(わき)へ座を取った。
   狭いから衝立ぐらいが仕切なんで、が、酔った連中がいるから、奥の座敷へ座を換えられたのが、
   酔っている連中には癪に障ったものか、「武士の癖に恐いと見える」とかなんとか
   酔人(よっぱらい)の例(つね)で、喧嘩を買う容子ゆえ、上田馬之助は面倒臭いと、
   ツト起って刀を手に提げ、階子段を二、三段下り懸ると、
   「挨拶なしに立去るとは失敬だ」というより、早く階子段の上から斬って懸ったが、
   腕に覚えの桃井の小天狗だから、反対に中川俊造は逆袈裟に薙倒される。
   ソレと見た国武士(くにざむらい)「己れ中川の敵」と斬って懸ったのは、階子段の下の出口でしたが、
   これまた一刀の下に切倒される。階子段の上下に斬殺されていたから、
   お客の脅えたのも無理はない、裏はしごもなかったんです。
 
   奉行の言葉
 
   上田馬之助は二人まで斬ったので、そのままにもされず、
   筋向うの自身番(今の交番のところ)へ出向き、上へ登ってこうこうしかじかと述べたから、
   町役人がそれぞれ検視取調べをする。織田へ急報する。
   織田では二人まで斬られたので、終に表沙汰にしましたが、
   御裁判(おさばき)の末、上田は斬徳となったそうです。(上田馬之助は後警視庁に奉職せりと)。
   けれどもただその時の奉行が上田に向って、
   「そのほうは桃井で小天狗とも言わるる身でありながら、
    酔って居るものを斬らずとも宜ったろうに」と言われたので、
   上田は赤面したとの風聞でした。その時の銀座は黒山のような人でした。(終わり)
 
  51 名前:山犬 ◆RDX1.dOCHY [sage] 投稿日:05/03/07(月) 06:05:31 0
   まぁ、江戸時代の武士の雰囲気を感じ取って頂ければ、このスレの趣旨にも合うかな、と。
   スレ汚しになったとしたら、すいません。
 
   52 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg
投稿日:05/03/07(月) 12:09:28 0
    この桃井というのは桃井春蔵の鏡新明智流道場「士学館」で、
    あさり河岸という所にあったそうで今の銀座の入り口の近所らしいです。
    当時の江戸では三道場というのが並び称されていて、
    あと二つは千葉周作のお玉が池の北辰一刀流道場「玄武館」と
    齋藤弥九郎の神道無念流道場「練兵館」です。
    桃井の流風は剣技の品格を重んじて「位の桃井」と評されていたと伝えられています。
 
   53 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/03/07(月) 12:30:05 0
    それは武士同士の単なる喧嘩の上での斬り合いの話で
    仇討ちとも無礼打ちとも全然関係がないと思うが。
 
   54 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg
投稿日:05/03/07(月) 12:50:04 0
    >>47
    特に山犬さんにということでもないんですが、でも山犬さんのカキコはいつも注目してますよ。
    「陣の小口」は「陣の虎口」とも書くようです。対戦する陣営の出入り口という意味らしいです。
    当然そういう場所に部外者の立ち入りは絶対禁止です。
    しかし仇討ちのため回国している者が偶然にもそういう場所で敵を発見した場合、
    切迫した事情がある緊急避難的特例として立入りや通過が黙認される、
    これが「仇討ちとさへ言へば陣の小口も通す習い」ということのようです。
 
   55 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:05/03/07(月) 13:10:12 0
    桃井春蔵は武道一遍の人物ではなくなかなかの教養人であったそうです。
    ある大名に招かれた酒宴で席書きを所望され、軸物の用紙に向かって一心に揮毫している背後から、
    殿様の命令で家中の腕利きの侍が忍び寄って竹刀を打ち下ろした途端、
    桃井は電光石火の早業でかわし竹刀を奪い捨て、何事も無かったかのように徐ろに揮毫を続けたそうです。
 
   56 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg
投稿日:05/03/07(月) 14:17:57 0
    序でながら千葉道場の隣には折衷学派の儒者として高名だった東條一堂の「瑤池塾」があり、
    こっちも門弟3000人とかで繁盛していて、両塾ともメリットを共有していたようです。
 
62 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/03/10(木) 13:41:13 0
 ちょっとスレ違いですが・・ 他板でレスが無かったので教えていただきたいです。
 
 私は人の顔をキチンと見るのが苦手です。
 小学校の時、先生に「相手の顔を直視するのは失礼」と教わったからです。
 で、卒業式の練習で卒業証書授与の時に校長が「私の顔をしっかり見て」と言ったので、
 初めてびっくりしました。
 
 もう、20年以上前の話ですが・・・
 小学校の同級生は「え〜?そんなこと習った?話すとき顔は見るでしょ・・」で、
 両親も兄も相手の目お見て話すと昔から教わったと言ってます。
 ただし、別の兄は、学校で顔を直視してはいけないと習ったと言っていますので、
 そう教えた教師が居るとは思いますが。
 
 日本のマナーでは
 相手の顔を見てはいけないってあったんでしょうか?
 武士では、お殿様の顔から下を見てはいけないってあった気がします。
 農民とかが大名行列の時は顔上げないし、
 西洋でも、召使は主人の顔を直視してはいけなかったような・・・?
 長年気になってるので、詳しい方教えていただけたらと思います。
 
 63 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/03/11(金) 00:08:34 0
  「日本人らしい」習慣として、目を直視しないという事は、
  よく言われている様に思っていたのですが、時代が変わったという事でしょうか。
  肉体的にもあまりべたべたしないせいで、16世紀以降来日したヨーロッパ人たちは、
  「親類同士でも、まるで他人の様だ」と評しています。
 
 64 名前:世界@名無史さん
投稿日:05/03/11(金) 00:44:31 0
  そういえば、平安時代とか源氏の時代は高貴な人は顔をみせないきまりがあったな。
  女性は本名もあかさないし、男に顔みせない。
  神秘的だなー。
 
  こう考えると、相手の目を見て話すというのはいつからなんだ?
  欧米化の影響?
 
  65 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/03/11(金) 00:55:20 0
   >女性は本名もあかさないし、男に顔みせない。
   絶対に見せないという訳でもありませんでしたし、
   美男子目当てに御簾の際まで女房達が近づいた例もありますが、
   無理に顔や袖口を見ようとするのは、現代でいうところのセクハラでしたね(笑)。
 
   当時の女性名は、童名と公的な(○子といった)名があり、
   出仕など公的な立場を必要とした場合には、諾子とか賢子とか名乗っていましたが、
   中には一生童名で通した女性も存在していました。
   「北条政子」というのも、夫頼朝の死後朝廷から位を授かるのに便宜上用いられたもので、
   頼朝に「政子」と言っても知らなかった筈です。
   史書でも通常「二品(にぼん)」と呼ばれています。
 
   童名は万寿などいくつか説がありますが、多分後世の創作ですね。
   出仕する場合でも、通称は父や夫の官職に従って呼ばれましたから、
   まず○子系の名前が他人に知られる事は無い。
 
   なお、頼朝や政子も御簾を使用した様ですが、普及や時期については不詳。
 
   目を見て話す事については、また調べておくという事で。
 
   66 名前:62 投稿日:05/03/11(金) 21:12:27 0
    >>63>>64>>65
    ありがとうございます!皆様、詳しいですね。
    昔は目を見なかったんですねえ。長年の疑問が解けてよかったです。
    65さん。また教えて下さるのを、ずうずうしくお待ち致しております。
 
   67 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg
投稿日:05/03/14(月) 17:35:03 0
    >>65
    「台記」なんかに「名は某、字は何々」というような記述がありますが、
    この「字(あざな)」は童名や通称と見てよいんでしょうか。
    「源氏物語」で夕霧が元服して字を作り大学に入っていますが、
    この字は具体的には「源三」とか「清六」とかのように修姓1字+輩行という形式になる
    という解説を読んだことがあります。
    これは学生に限った慣習なんでしょうか。
 
    68 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:05/03/14(月) 17:57:50 0
     大河ドラマで「徳子」を「とくこ」なんて呼んでるのはあんまりだと思います。
     おもそも高位の女性を親でもない人が直に名指しするなんて?
     いや親だって多分実名を口にすることは無かったんじゃないでしょうか。
     現代だって部下が上司に「真紀子さん決済お願いします」なんて言うわけない、
     「課長」とか「田中課長」が普通でしょう。
     前に清少納言が出てくるドラマで「ていし(定子)さま」だなんて言ってたのには魂消ました。
     「武田信玄」の大河ドラマでは北の方を腰元たちが「三條さま」なんて呼んでました。
 
     というところで質問ですが「あきらけいこ」なんて長たらしい言い方は実用されていたんでしょうか?
 
    69 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg
投稿日:05/03/14(月) 18:13:26 0
     「河海抄」に藤原定方の娘の仁善子とか藤原定国の娘の和香子とか
     2字+子の形式の女性名が出てきますが、
     これはやはり「にぜこ」や「わかこ」といった字音で呼んでたんでしょうか?
     藤三娘の「光明子」なんか読み方の想像すら思いつきません。
 
     現代では「美智子」さまなんかが同例ですが、「きこ」だの「まこ」だのと
     2音の姫皇子には違和感を拭いきれません。
     「まこ」なんて「緑魔子」を連想してしまいます(連想するのは年配者だけ?)
 
     70 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/03/14(月) 19:21:18 0
      >67
      >童名や通称と見てよいんでしょうか。
      いいですよ。
 
      >学生に限った慣習なんでしょうか。
      学生限定の字の例は、『二中歴』や『江談抄』に列挙されています。
      高(一時高階)美倫=藤原通憲、茂能=賀茂保胤、藤賢=藤原有国らが有名。
      字はずいぶん見ましたが、名前自体に注目した事はありませんでしたね。
      ぶっちゃけた話、本名を覆った障害(!)の様な感覚で・・・。
      姓の一字+実名を唐風に発音したものが多いですが、理解し難いものもある。
 
      >68
      それは、私が毎年大河ドラマを見ながらこぼしている愚痴です(笑)。
      徳子の発音には、「のりこ」説もあった筈。
      「あきらけいこ」は、中世の書に出て来たものだったと思いますが。
 
      >69
      直接発音するのではなく、意味を取って発音する事も多かった様です。
      多子も、多分「おおこ」では無く、「まさるこ」と読んだものでしょう。
      とはいえ、現時点では「和香子」の「適切な」読みは想定出来ませんが。
 
      輩行名は『日本霊異記』に「上田三郎」というのが出て来ますが、
      中世までなかなか出て来なかったと思います。
      今は名前関連の論文を閲覧している暇が無いので、後日改めて。
 
      71 名前:世界@名無史さん 投稿日:05/03/14(月) 21:38:51 0
       今の義経でも家来達が「義経様」だの「清盛様」だのと・・・
 
     72 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/03/15(火) 16:54:08 0
      いけない、いけない。
      高美倫は、唐名であって学生用の字ではない。
      紀発昭(紀長谷雄)、江満昌(大江匡房)の様に、似通った発音の字があてられており、
      美倫は唐風の発音という訳では無く、「みちのり」のもじり。
      学生の字は「善秀才宅詩合」などに出ているものです。
 
      73 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg
投稿日:05/03/17(木) 20:22:34 0
       藻壁で佐伯を殷嘉で犬養を表記したようなやり方ですね。
       美倫の方は慶滋で賀茂に代えるようなものかも。
 
     74 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:05/03/17(木) 20:48:44 0
      歴史ドラマの制作スタッフが無知識なのはしかたないとして、
      さっき朝日新聞の夕刊を読んでたら目黒区美術館の川村清雄展の紹介記事がありました。
 
      「村上義光錦旗奪還図」という絵について
      「学芸員の調査から太平記の中の護良親王の忠臣を主人公にしているらしいことはわかっってきた。
       だが投げ飛ばされて者の顔を含めて謎だらけだ」とか書いてありました。
      この程度のことが学芸員の「調査」でないと判明しないんでしょうか。
      投げられている者は芋瀬庄司という者だと記憶します。
      戦前だと村上彦四郎とか足助次郎とか大森彦七とか
      「太平記」の人物なんかはよく教科書に出てきてお馴染みだったようです。
      「太平記」は現在では「平家物語」に比べ読者が著しく少ないようです。
 
      美術展で思い出しましたが前に見た展覧会の図録の解説に
      「この絵は日野俊基ということだが何で犬を引張っているのか不明」とあって、
      これを執筆した研究者も俊基が高僧を敬っている人に「年のよりたるにて候」と評し、
      後日に痩せ犬を曳いてきて「この気色尊く候」と言って皆を皮肉った故事を知らなかったんですね。
 
     75 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg
投稿日:05/03/17(木) 20:57:05 0
      序でだから言うと慶滋保胤を「よししげのやすたね」と読む者が多くて情けないと
      幸田露伴は「連環記」で嘆いてました。芥川の「六の宮の姫君」なんかはその適例です。
 
      77 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:05/03/18(金) 20:42:45 0
       『連環記』は、流石に教養が感じられ、なおかつ微笑む事の出来る文章でしたね。
       出典が明記されていなかったものを挙げておくと、『今鏡』も『今昔物語集』も含め、
       説話も歴史物語も糞ミソに扱われているのが気になりましたが。
       「出典をよく思い出せない」ものを活字化出来るというのには、
       幸せな時代だという気もしました。蛇足ですが。
 
       ただ、読みについて言えば、今は大抵「よししげのやすたね」ではないかと。
       陰陽道を家業(といっても賀茂氏の陰陽道は三代前からしか確認出来ず、丁度
       この時代に家ごとの業が伝えられ、独占される様になっていった様ですが)とする賀茂に対し、
       文章で一家を立てるつもりで慶滋を称した可能性も。
 
       善滋為政云々は『今昔物語集』から来たものでしょうが、
       『尊卑分脈』ではその父で保胤の弟の保章と共に文章博士とされており
       (但し同時代史料では為政のみが文章博士と確認出来る)、
       いずれも『栄花物語』などへの傍注では「慶滋」と表記されていますが、
       読みも変化させた可能性があります。
       『外記補任』によれば、保章は大外記に就任した後に慶滋と改めたらしい。
       大江匡衡は『本朝文粋』の中で「賀茂保胤」と述べていますが、
       紀斉名や大江以言も、同文の中で旧姓で記していますからね。
       区別をつけるという事に、慣例を考えても、「よししげ」でいいでしょう。
 
       序でに申し上げておくと、『六の宮の姫君』には空也の弟子とありますが、
       これは『今昔物語集』にある説で、『日本往生極楽記』にはありません。
       保胤の念仏信仰が激化した四十歳頃が、空也の没年と一致してはいますが。
       『小右記』には、空也の入室の弟子義観阿闍梨から錫杖と金鼓をもらいうけたとあるものの、
       これもどんな人物だったのかはよく分らない。
 
       78 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:2005/03/22(火) 21:05:00 0
        どうも有難うございました。賀=慶 茂=滋 という意味の変換から、
       「慶滋」と書いて「かも」と読ませてるんだという説明を一応は受容れていたんですが、
       少し強引な読み方ではないかとは感じてたんです。
       しかし「よししげ」も何だかベタな訓読方式で知恵がないような・・・。
       賀茂を「かも」と音読してるのだから、慶滋は「けし」とか呼んでたんじゃないかと
       独り密かに考えてたんですが、直接の証拠がないのが弱いところ。
       でも「よししげ」説にも直接的な証拠はないのではないんでしょうか。それとも有るのかしら?
 
       79 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA
投稿日:2005/03/23(水) 16:15:46 0
        陰陽道で活躍していた筈の弟保遠も、『小右記』によれば「慶滋」と名乗っていた様ですが、
        理由は不明です。
 
        ・・・さて。
        『栄花物語』巻23に、
        「式部の少輔文章博士内蔵権頭よししげためまさ」が
        仮名序を作ったという話が見えています。
        私が参照したのは梅沢本で、鎌倉中期までには成立していた様です。
        諸本でどうなっているのかは、また確認する必要がありますが。
 
      80 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:2005/03/23(水) 16:20:15 0
       よく見たら、慶滋為政(よししげのためまさ)ではなく、
       「よししげためまさ」になっていますね。
       気にかかるのはその点か。
 
       82 名前:あやめ ◆C0.O2CxIMg 投稿日:2005/03/27(日) 17:57:16 0
        >>79
        「榮花物語」の現存最古の写本は国立博物館所蔵の三條西家本で、鎌倉初-中期の成立とか。
        とすると梅沢本もかなり早い成立ですね。そこに「よししげためまさ」とあるとしたらば、
        平安末くらいの読み方は訓読式だったのかもしれませんね。
 
        84 名前:山野野衾 ◆a/lHDs2vKA [sage] 投稿日:2005/03/27(日) 18:06:13 0
         >82
         某スレでわざわざ催促して申し訳ない。読んでいただけてよかった。
         それと、三條西家本=梅沢本です。
 
92 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/03/27(日) 21:53:26 0
 韓国じゃ挨拶には握手が一般的なんだよな。米国の影響か?
 手を握る際に左手を添えるところが東洋的ではあるが
 
 93 名前:世界@名無史さん
投稿日:2005/03/28(月) 22:30:01 0
  >>92
  握手は韓国が発祥ニダ
 
96 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/04/07(木) 20:32:26 0
 日本の場合、旧軍も今の警察も自衛隊も挙手の敬礼は着帽の時だけです。
 
 これは基本中の基本です。
 それにも関わらず何の帽子も被っていない者が挙手の敬礼をしているインチキなドラマを見かけます。
 
 104 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/05/16(月) 02:10:04 0
  >96
  そーいえば、ジェンキンズ氏が米軍基地をおとずれた映像では無帽で挙手の敬礼をしていた。
  米軍はちがうのかな。
 
97 名前:世界@名無史さん
投稿日:2005/04/09(土) 15:11:23 0
 胸の前に片手の掌をかざして一礼するのはムスリムの挨拶法?
 
 98 名前:世界@名無史さん 投稿日:2005/04/16(土) 14:41:52 0
  >97
  サラームね。
 
  99 名前:世界@名無史さん
投稿日:2005/04/29(金) 04:01:28 0
   サラームって何?
 
   100 名前:朱由檢[] 投稿日:2005/04/29(金) 14:07:39 0
    اَلسَّلام
    アラビア語で平安(サラーム)を意味する言葉で、挨拶に使われます。
    (ソースは、NHK教育「アラビア語講座」)
 
   102 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2005/04/29(金) 15:22:30 0
    >>99
    ヘブライ語やアラム語で言う「シャロームorシュラーム」、
    文字通りには>100氏の説明の通り「平安」「安全」「救い」などを意味する言葉で、
    相手の平安や安息を祈願する中東では昔から一般的な挨拶。
 
    他にもGood morningみたいな「良い朝を」のような言い回しの文句もあって
    状況に応じた挨拶の仕方も普通に行われ色々あるらしいが、
    「サラーム」や「アッサラーム・アライクム」などがだいたいポピュラーに使われている模様。
    コーランやハディースでは信徒同士などで挨拶を交わし合い、「サラーム」を呼び掛け合うことを奨励している。
    (ブハーリー選のハディース集などでは挨拶や日常の作法についての章まである)
 
    あいさつの際、右手を胸の高さまで上げ、相手に手のひらを向ける動作をともなう場合が多いようで、
    親しい間柄だったら握手したり互いに抱擁したりすることもある。