意外に歴史の古いもの 適当にまとめ その1
引用元スレッド
まぁ、専門家にとっては当たり前なんだろうけれどな
1 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/04(土) 11:18:14 0
歴史が浅いものだと思っていたら、
意外にも古くからある伝統だというものをあげていきましょう。
兄弟スレ「意外と歴史が浅いもの」
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1116848898/l50
4 名前:蟻太郎 ◆J7M7PQyXkE [sage] 投稿日:2006/03/04(土) 11:38:44 0
何気ない一言だったんですが、スレ立て乙です。
とりあえずネタ出し
歴史に詳しくないと意外と新しいと思っちゃうもの
コンクリート建築
6 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 11:52:57 0
コンクリートを意外と古いものだと思っているのは日本人だけでは?
木造家屋からモダン建築へ移行した時期の象徴的建物がコンクリートだったから、
日本人がそう感じているだけで、欧米人にとってはローマ時代から
コンクリートが建築に限らず使われているというのは半ば常識だと思うけど。
5 名前:蟻太郎 ◆J7M7PQyXkE [sage] 投稿日:2006/03/04(土) 11:39:49 0
スコップ…という単語は
江戸時代から日本では使われているある。
7 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 12:04:50 0
コンドームは古い。
8 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 12:15:14 0
うーん。このスレは難しいな。
歴史好きにとっても「意外に新しい」ものは割とあるけど
「意外に古い」というのは、世間一般ではそうでも
ここの住民は知ってるケースが多いでしょうね。
この板だと、古いって言う基準がだいたい2000年くらいだろうからね。
ちょっと苦しいけど、サングラス。
ギリシャ・ローマにはレンズは存在しても老眼鏡は存在しなかったが、
ネロがエメラルドのサングラスというか色メガネを使っていたらしいとか、
古代中国でもサングラスが使われていたとされている。
36 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 15:54:56 0
>>8
サングラスは先史時代にさかのぼる。
遮光器土偶って有るでしょ、あれ。
エスキモーの皆さんは最近までご愛用とのことです。
9 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 12:28:41 0
身の回りの日用品雑貨は意外と古くからあるよな。
10 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 12:34:31 0
>>9
どっちかというと、ナイフやフォークなんかは「意外と新しい」部類ジャマイカ
11 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 12:44:45 0
ナイフは旧石器時代からあるよ。
14 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 12:53:32 0
土人映画では肉を咥えてそれをナイフで切りながら食す場面がよく出てくるが、
西洋人のナイフも基本的には同じ感覚なんだよな。
いまだに武器やその類で肉を切り切り食べている。
それに比べ和食はあらかじめ肉は小さく切り分けて出る。
箸の優雅なこと優雅なことw
16 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 13:02:31 0
先の丸くなった食器のナイフは新しいだろうな。
誰だったかが、客がナイフの先を爪楊枝代わりに使うのを嫌って、
先の丸いナイフを作らせたのが始まりとかいう話を読んだが。
41 名前:Ryuju ◆RlujhF6VrA [sage] 投稿日:2006/03/05(日) 00:13:10 0
>>16
リシュリューね。
・・・しかし古いのか新しいのか悩むな、この年代は。
12 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 12:45:28 0
電池は古代エジプトからあるよ。
有名な話だから以外じゃないか。
13 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 12:49:26 0
え?
15 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 12:55:44 0
>>13
あれ、昔世界史の授業で先生が
「エジプトの遺跡から謎の物体が出て、学者の皆さんは頭を悩ましたが、
アルバイトの学生が『なにこの変な電池?』と、あっという間に謎を解いた」
って話をしてたけど
ネタなの?
17 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 13:02:46 0
江戸時代の日本でも電気メッキを商売にしていた人がいたらしい。
鎧兜の装飾品に金をめっきしていたそうな。
18 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 13:09:09 0
>>17
ダウト。
鍍金は古い技術(奈良の大仏も鍍金だった)が、
電気鍍金が江戸時代に実施されていたといっても、
幕末の西欧技術導入政策の中で薩摩藩などごく一部で行われていたのであって、
一般的な商売としての鍍金技術に電気鍍金が使われていたわけじゃない。
19 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 13:21:22 0
>>18
>http://www.fm-007.com/minimini.htm
>焼着法による金,銀メッキは明治時代に終わり近くまで、
>鍍金師や飾り職人の手で刀剣・仏具・装飾品に施されました。
>しかし江戸時代の末期には、日本橋で電気メッキを商売にしていた人が
>いたといわれています。
>そもそも現在のメッキの主流をなす電気メッキは
>1805年にドイツのブルグナーテリという人が、ボルタ電池を使って、
>銀のメダルに金の電気メッキをしたと記録されているのが、最初です。
>日本ではブルグナーテリに50年遅れ,ヨロイ金具に電気メッキを施したのが
>最初とされています。
ここの記述を参考にした。
もちろん日本独自ではなく西洋からの技術導入だろうけど、
江戸時代の末期の日本橋に電気めっきを商売にしていた人がいたなんて、
面白かろうと思って紹介した。
20 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 13:24:31 0
電源はどうしていたのか気になる。
硫酸などは江戸時代の日本で容易く手に入ったのだろうか。
22 名前:17、19[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 13:33:31 0
電池自体は簡単に作れるはず。二種類の金属と何らかの酸があればよい。
この酸はクエン酸(いわゆるレモンの絞り汁とかでもよいらしい。)
めっきで検索してみるといろいろ面白い。
紀元前のバグダッドで果実の絞り汁と亜鉛と銅で出来た電池を使って
めっきをしていたそうだ。
>http://www32.ocn.ne.jp/~dento/mekki201.html
>バグダット電池と呼ばれるものが、イラクのバグダッド東方で、
>1932年にドイツの考古学者によって発見されました。
>それは約二千年前のバルチアン時代のパルチィア人のものと言われ、
>電池の構造は、土器の中に銅の円筒を置き、その中に鉄棒を固定して
>電解液を満たし開口部をアスファルトで封をしあり、電圧は0.8V程度
>であったと推測されています。その電池の使用目的は、装飾細工職人
>が指輪や首飾りなどに金・銀めっきを施す為に使ったのではないかと
>考えられています
江戸時代どころの話じゃなかったんだな。
24 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 13:38:02 0
古代の電池と電気鍍金技術については、現在は否定的な見解が多数派。
23 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 13:36:35 0
幕末については、すでに西欧の技術が流入しているから電気鍍金は可能。
実際に電気鍍金された現物も残っている。
電源は恐らくボルタ型電池と思われ。
いずれにせよ、開港後の幕末を漠然と江戸時代とするのは
わざとミスリードしようとしていると言われてもしょうがないな。
25 名前:17,19,22[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 13:41:35 0
>>23
>いずれにせよ、開港後の幕末を漠然と江戸時代とするのはわざとミス
>リードしようとしていると言われてもしょうがないな。
そう言われると返す言葉もない。確かに軽率だった。
28 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/04(土) 15:10:54 0
舎密開宗(せいみかいそう)を翻訳した宇田川榕菴は
水の電気分解実験を行っている。 1840年ごろ。
江戸時代末期には電池くらいならどうにかなったろう。
27 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/04(土) 15:02:21 0
「近代」って言葉。
俺は何かの訳語かと思ってた。
29 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/04(土) 15:14:52 0
cabinetの訳語の「内閣」。
責任内閣制度は、18世紀のイギリスで生まれたものだが、
「内閣」という言葉自体は、15世紀の明代に生まれている。
30 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 15:18:55 0
共和国とかの"共和"。もとは周の時代の召公と周公が
共に和して政治を行ったことからとられている。言葉自体は古い。
31 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 15:22:35 0
共伯和が政治を行なったからという説も。
33 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/04(土) 15:29:31 0
中国の年代記も共和から残っている。
32 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/04(土) 15:28:17 0
蒸気機関
紀元前400年ごろにアルキタスArchytasが行っていた。
推進力は蒸気を用いていた。空中に吊り下げられていて、
蒸気を噴出して動く見世物のような感じか。
55 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/05(日) 10:50:16 0
蒸気タービン
ギリシャ時代に遡る。但し、動力源というよりオブジェ的なもの。
また、羽根に蒸気を吹き付けるタイプではなく、羽根の先から
蒸気を吐き出して回転するタイプ。
51 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 03:29:04 0
自動車
結構古く、1769年にワゴンがフランスで作られている。
時速3.2kmで蒸気を動力として動く車。燃料は石炭。
数分毎に水を交換しなきゃならないが、自動車であることに違いはない。
アイデアだけならもっと古く、ダビンチのスケッチなどにも見られる。
ちなみに蒸気機関車(1804年)よりも古い
燃料を使わないならば、オランダのシモン・ステビンが風力で動く車を
16世紀に作っている。時速20km。ちなみにこの人は小数の概念も考えてる。
さらに遡ると風力で車を動かそうと言う発想は、古代エジプト時代にまで行き着く。
砂漠で遊んでたらしい。
34 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 15:34:31 0
軌道エレベーター
1895年にロシア人ツィオルコフスキーが提唱した。
日露戦争のころにこんなこと考え付くのはすごい。
まだライト兄弟も飛んでないのに。
35 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 15:50:02 0
ロケットの父が、エレベーターは思いついたが、静止衛星に気が付かなかった。
というのが、なんとも。
37 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/04(土) 16:07:59 O
墨壷。
法隆寺の部材に、墨壷で引かれたと思われる線が残っている。
墨壷そのものも正倉院に収蔵されている。
現在の建設現場でもコンクリートに線を引くのに大活躍。
40 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2006/03/05(日) 00:00:03 0
大河ドラマに出て来た「猿は天才じゃ」に対して
「天才」という言葉が猿(秀吉)の時代にあったのかと突っ込まれていましたが、
漢籍にも出て来た筈。11世紀の『本朝文粋』に出て来たのは間違いありません。
古いといえば、ライターやファックスも割と古い。
ついでに、少なくとも室町時代には禅僧が持ち込んだ○○羹や××饅頭といった
一連の料理を指して「点心」と呼んでいました。
42 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 00:22:03 0
>>40
> 古いといえば、ライターやファックスも割と古い。
うーん、年代を指定していただかないと。
ファックスは伝送写真として昭和初期からありましたね。
新聞社が写真を送るのに使ってました。
これは確かに意外感があるかもしれません。
ライターのほうは、記憶では第一次大戦後ということで、
喫煙の歴史や使われている技術から考えると、
あまり世間の常識に反して古いというほどのこともないのではと思いますが。
44 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2006/03/05(日) 00:30:25 0
>>42
>年代の指定
この板ならまあ常識の範囲内だろうと思い、わざと記しませんでした。
ファックスはアメリカで1925年。日本では「写真電送」と呼ばれた。
ライターは20世紀ですか。もっと古い気がしていたのですが。
45 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 00:41:09 0
>>44
> ライターは20世紀ですか。もっと古い気がしていたのですが。
少なくとも、今日のオイル・ライターの原型は第一次大戦中です。
というか、これは工学デザインの分野ではかなり有名な話ですよ。
つまり、大量の負傷者が出た第一次大戦で、
片手の人でも煙草に着火できる機器として開発されています。
それが、健常者にとっても使いやすいということで
一般に普及したという経緯ですが。
56 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2006/03/05(日) 11:57:58 0
>45
記憶にあったのは、もう少し単純な発火器具を指して
ライターと呼んだ例だった様です。お騒がせ致しました。
59 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/05(日) 14:18:24 0
>>42
メモ・1865年、電話より11年早い。
60 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 14:37:40 0
>>59
原理やプロトタイプならもうちょっと古い。
1925年頃は現在のファクシミリの原型。
ファクシミリの原理は1843(天保14)年アレキサンダー・ベイン(英人)が
発明していますから、電気通信による情報交換の手段としては
電信に次いで古い歴史があります。
1848(嘉永元)年ベークウェルが円筒式写真電送方式を考案、
この両者の原理を使用したファクシミリの機器で
カセリ(伊)がパリ・リオン間で実用通信をしたという記録があります。
1925(大正14)年AT&Tファクシミリが米国で開発され、
翌年米国大陸で有線写真業務が始まりました。
61 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 15:32:58 0
通信ネットワーク
>>http://www.pcatwork.com/doc2/udegi/udegi03.html
腕木信号で実施。フランスでは1794年にスタート。
それから半世紀で総延長5800kmに及ぶ通信網が完成。
パリから発信された情報が550km離れたブレストに8分で届いたとのこと。
誤り訂正の符号などもついていたそうな。
>>http://www5f.biglobe.ne.jp/~tsuushin/sub3.html
日本では江戸時代に手旗信号と望遠鏡で行っていた。
相場の情報などを伝えていたとか。
>宝永3年(1706)7月の『熊谷女編笠』一の二、「商いは千里を見透かした遠目鏡」には、
>角屋与三次が人夫を雇い、暗峠の目印の松に立ちそい、左右の手を動かして合図させて、
>郡山の問屋の二階から遠眼鏡で見て、相場の上下をいち早く知り、利益を上げて、見通し
>与三次と呼ばれたという(「旗振り通信の初まり」、1929年。南方熊楠全集第四巻)。
>この人夫は赤頭巾をかぶり、赤布の小手を差しており、挙手信号であった。ある日、
>人夫が酒を飲まされ、でたらめの信号をしたため、与三次は大損をしたという。
62 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/05(日) 16:54:23 0
>>61
物理層を問わなければ、
古代中国で烽火台による通信が行われていたことをお忘れなく。
43 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2006/03/05(日) 00:25:12 0
特定の地域(この場合日本)でという事になりますが。
・磁石→9世紀初期には存在していました。
12世紀には磁石は鉄を吸い取り、
(擦った)琥珀は塵を吸い取ると並び称されています。
以前、江戸中期を扱った漫画で当時の日本人が
磁石を知らなかったとされていましたが、あれはおかしい。
海上でも17世紀には利用されています。
18世紀後半まで陸地が見えない場所を航行する事がまず無かったので、
ほとんどの場合漂流時に持ち出されたものでしたが。
・胡椒→鑑真が伝えた目録の中にあり、室町時代には薬種として挙げられています。
少なくとも後者は現在の胡椒と同じものらしく、
朝鮮半島に持ち込んでも珍重されたという。
江戸時代も下ると蕎麦に入れていた筈。
46 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 00:49:24 0
磁石なんて紀元前からわかってるだろう。プリニウスにも出てくるし。
47 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/05(日) 00:51:53 0
>>http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/timeline.htm
日本では「続日本紀」の和銅6年(713年)に
「近江より慈石を献ず」とあるのが最初である
49 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 01:17:45 0
つーか、鉄を引き付ける磁石の存在と、
方位磁石、特に荒天時も方位確認に使用できる羅針盤の存在は別だと思うが。
磁石の存在が知られているからといって、
方位磁石が使用されていたとはかぎらない。
50 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 02:43:10 0
リール
弩から放たれた矢の回収のため、春秋時代にすでに実用化。
矢が敵兵に刺さって死んでいれば死体が釣れたとか。
アスファルト
旧約聖書でノアが箱舟作る際に防水対策としてアスファルトを使用した
との記述があるとおり、中東では3000年以上前から使われていた。
54 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 07:46:00 0
アスファルトは石器時代から、接着剤として利用。
56 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2006/03/05(日) 11:57:58 0
>>50
>リール
釣り用のものとしては、唐代に「釣車子」というのが使用されていたそうですが、
春秋時代のものはどう呼ばれていたのでしょうか。
ブランコ(鞦韆)
南北朝時代以前に遡る。10世紀までには日本にも伝来。
その時は定着しなかったらしく、江戸時代に鹿児島で端午の節句に遊ばれていた
ブランコ遊びがどこに由来したものなのかは不明。
57 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2006/03/05(日) 12:07:06 0
原勝郎の「鞦韆考」の中に、古代ギリシャの例、近世上総の例がありました。
ディオニュソスの祭に出て来たそうですが、どなたかご存知ですか。
58 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 13:47:18 0
>http://enkan.fc2web.com/greece/sinwa4.html
のキャッシュから引用
ディオニュソス祭りの様子
>また、枝にブランコを作り、乙女がそれを揺らす儀式もあった。
>それは性的動作の模倣でもあったろうが、一種のトランス状態を作り出す
>ものでもあったのではないか。日本では古く霊力を発揮する業(わざ)に
>「魂振り(たまふり)」があった(31)。揺らすという動作には霊力を高める力
>があると考えられていたらしいのである。
ブランコで揺れるのがずっこんばっこんを模したものだったとは。
ほんとかよ。
65 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/06(月) 00:35:39 0
>>58
フラゴナールの「ぶらんこ」の絵も性的暗喩があるということです。
52 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 03:37:25 0
ブラックホール(の概念)
意外と古く1799年にフランスの数学者ラプラスが論文で、
重力が大きくなればやがて光が脱出できなくなり、
まったくの暗黒となるだろうと述べている。
そのような天体が宇宙には存在するとも言っている。
このスレはなかなか難しい。
風習というよりは発明とか科学的発見とかに偏る。
59 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/05(日) 14:18:24 0
>>52
ラプラースよりもイギリスのジョン=ミシェルという人の方が
30年ほど早かったとの記述を見た気がしますが。
うろ覚えですいません。
53 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/05(日) 04:48:06 0
自動販売機
コインを入れると重さで聖水がでてくる。
66 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/07(火) 02:23:13 0
ローラーベアリングはローマ時代にケルト人によって発明されたと言う。
なかなかに古い。また、車輪にたいする鉄の焼嵌めも行ったと言う。
ttp://www21.ocn.ne.jp/~smart/kuruma0511.html
ttp://www.bridgestone.co.jp/hgt/hajimari/hajimari1b.html
ttp://shopping.autobytel-japan.com/wheel/trivia/tire2.html
67 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/08(水) 18:28:53 0
縄文式土器。
68 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/10(金) 13:51:34 0
>>67
意外に古いというか、一応は世界最古とされているからね。
ただ、世間で勘違いがあるのは、
土器というものの定義で煮炊きのできるという要件が入っていること。
単に保存用として使われた土製容器というだけの厚手のものならば、
もう少し古いものもあるが、
火にかけて使える薄手の土器としては確実に最古という罠。
69 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/10(金) 14:29:35 0
>>68
バルクとかイスラエル掘ったら出てきそうだけどな…それより古い土器って。
72 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/10(金) 23:01:46 0
>>69
一応、縄文式土器で年代測定が確実とされているもっとも古いのが12000年前、
不確実なもので16000年前なんだが、
そのころのイスラエルの遺跡なんて発掘されているのかね。
古代文明が栄えた土地では、逆にそれより古い遺跡は残らないのが通例だが。
70 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/10(金) 18:38:48 0
計算機
機械仕掛けの計算機は かなり前からあったらしい
71 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/10(金) 20:09:30 0
BC兵器
ギリシア時代の戦争では風上から硫黄を燃やす戦術があった。
また、チンギス・ハーンがカタパルトで疫病死者を城壁内に投げ込み
疫病を蔓延させ戦意を奪う作戦を用いた。
73 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/10(金) 23:05:48 0
日本の原爆研究。戦前から開始されていた。
74 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/10(金) 23:16:14 0
戦後に研究できるわけねーだろ
75 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/10(金) 23:18:50 0
>>73
実際には、原爆開発の予算は軍から貰ったが、基礎的な研究しかやっていない。
>>74
そりゃそうだ。
76 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/10(金) 23:37:35 0
戦時中に対して言ってるのかと
78 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/10(金) 23:48:24 0
>>76
戦前に原爆開発の研究なんてやってないよ。
79 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/10(金) 23:53:18 0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E7%A7%91%E8%8A%B3%E9%9B%84
1938年(昭和13年)にオットー・ハーンとリーゼ・マイトナーらが原子核
分裂を発見し、膨大なエネルギーを得られることが判明。1940年(昭和15年)、
仁科は陸軍の安田武雄陸軍航空技術研究所長からウランを用いた
新型爆弾の開発研究を要請され、理論的可能性の検討に入った。
80 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/10(金) 23:58:16 0
>>79
それは単なる理論の検討だけで、開発研究じゃない。
開発研究は1943年以降のこと。
現在の東京都文京区にあった理研は、陸軍航空本部の委託を受け、
四十三年から本格的に原爆開発に乗り出した。
国内外でウラン鉱石を探す一方、
天然ウランの中に約0.7%含まれる核分裂性のウラン235を
濃縮する実験などが行われたが、
45年の終戦で、計画は中止になり、公的資料は焼却された。
81 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/10(金) 23:59:15 0
実際の研究内容は爆弾の研究じゃなく、原子炉的な核分裂の研究。
83 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 00:06:56 0
>>80
おいおい、「開発研究を要請され」着手したのを
「単なる理論の検討」って詭弁もいいところだな。
84 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/11(土) 00:10:47 0
それは単なる理論の検討だけで、開発研究じゃない。
それは単なる開発研究だけで、実用化していない。
それは単なる実用化だけで、実際に使用していない。
85 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 00:16:35 0
まあ、「開発研究」と「理論の検討」が分離できる世界にお帰りください
86 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 00:21:52 0
>>85
それじゃあ研究所を辞めなきゃいけないな。
理論上の検討を開発研究の一部としてるからな。
87 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 00:29:32 0
>>86
なるほど、やっとわかった
「研究開発」(research and developmentの訳語)と
こいつ間違えてるんだ。
88 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 00:35:28 0
開発研究なら、予算や人員、資材が必要。
理論的検討だけなら、紙と鉛筆で済むし、頭の中だけでもいい。
例えばイランで理論的検討が行われていたからといって、
核兵器の開発に入ったと因縁をつけるのは、
いくらアメリカでも難しいだろね。
区別がつかないと思うのは、よほど研究開発に疎い連中だな。
90 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 00:50:50 0
要請を受けて理論的な可能性を検討ってのは、
打診を受けてプロポーザルを作成程度の話だな。これが開戦の前。
実際に研究委託費を貰って、
ごちゃごちゃ開始したのは1943年になってからってこったろ。
つか、マンハッタン計画の元々のアイデア提出が1941年、
プロジェクトの開始決定が1942年6月、
責任者の着任が1942年9月なのに、
日本での開発研究が1940年に開始されてたと
主張するほうがどうかしてるが。
95 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 01:11:30 0
そもそも>>73 も>>78 も「研究」したかどうかを問題にして、
「開発」などと言っていないわけだが。
あきらかに戦前から研究しているよな。
96 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 01:21:52 0
>>95
だから、1940年の段階では核分裂を利用して爆弾が作れるかどうかの理論的検討。
その後、理論的に可能だとなれば原子爆弾の研究に入ることになる。
んで、このいけそうだって話がアメリカだと1941年、
日本の場合はどの段階で爆弾が可能と考えたのか正直わからない。
仁科博士は本来の原爆のメカニズムに気が付かないまま、
米独が開発研究に入ったらしいという情報の後追いで
軍から予算貰って研究を始めてる。
仁科博士が考えていた内容は原爆じゃなくて
中性子を減速した原発的なものだったから、
実際には最後まで原子爆弾が作れるという見込みなしで
研究していた可能性も高い。
この程度で戦前から、
要するにアメリカより早くから原爆を研究していたというのは単なる言葉の遊び。
99 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 01:51:33 0
>>96
前からウランを用いた新型爆弾の開発研究を要請され、
理論的可能性の検討をしてたって話なら、
言葉の遊びで十分じゃない?別に今、造ろうとしてるわけじゃなし。
アメリカより早くってのは何処から出てきたの?
101 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 02:00:22 0
>>99
1940年から原爆製造を目的に研究していたのなら、
確実にアメリカよりも早い。
ただ、アメリカが1941年から原爆の研究に入ったのは、
その時点でウラン濃縮の見込みがついたから。
日本の場合も1943年にウラン濃縮法の見込みがついて、
具体的な原爆製造研究に入っている。
研究着手の起点が違いすぎるというか、
単に核分裂による大エネルギーの放出という話なら、
1939年に公表された研究報告だから、漠然と兵器にならないか
と考える程度ならどの国でも考えていたはず。
102 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/11(土) 02:06:22 0
>>101
だから、日本の開発研究で実際に考えられた内容では
原爆は出来ないんだって。一応は爆発するけど、本来の威力じゃない。
103 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 02:09:22 0
>>101
原爆計画放棄して
風船爆弾に放射能物質を付けただけのダーティーボムを大量に作れば…
82 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/11(土) 00:00:21 0
助手「先生、これだと爆発しませんけど?」
仁科「いいんだよ、どうせ間に合わないんだから」
104 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/11(土) 02:11:26 0
つか、軽く否定されているが、
戦後も核兵器の研究はされていると思うんだがなぁ。
106 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 02:29:39 0
もともと「研究されてた」ってだけのトリビアなのに
研究開発じゃない、とか
本来の威力じゃない、とか
そんなに無理して否定するほどの事じゃないと思う。
107 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 09:16:23 0
>>106
その通り。日本の原爆開発を過小評価するってのは日本人の病気だ。
戦後の反核教育が招いた歪みなんだろう。
110 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 11:10:27 0
紙の上や頭の中だけで検討するのも研究、
他国の核兵器の状況を新聞記事から情報収集するのも研究と呼ぶなら、
戦後の日本でも核兵器の研究が行われていたで正しいだろ。
基礎的な核分裂の研究だって、間接的には原爆の研究と強弁できないこともない。
普通は「原爆の研究」と言えば「原子爆弾開発製造」に向けた研究のことだが、
言葉を辞書的に定義してすりかえれば何でもいえる。
111 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 11:34:05 0
>>110
君もしつこいな。
元いわき明星大学長の鈴木辰三郎さん(八五)は、
戦時中、陸軍中佐として陸軍航空本部で原爆製造計画を進めた。
鈴木さんによれば、最初に原爆研究を命じたのは
陸軍航空技術研究所長の安田武雄中将で、昭和十五年五月ごろだった。
鈴木さんは陸軍士官学校を卒業、
委託学生として東大理学部で原子核物理学を学んでいた。
二カ月後、鈴木さんは安田中将に報告書を提出。
その中で「一キログラムのウラン235が核分裂を起こすと、
黄色火薬一万八千トン分の爆発エネルギーを出す。
原子爆弾が出現する可能性は大である」と書いた。
開戦前で原爆研究はオープンな形で進められ、
報告書は陸海軍のほか、大学や民間会社にも配られた。
米国からは「フィジカルレビュー」などの雑誌も届いていた。
しかし、開戦直前になると、物理学の論文が姿を消し
「米国も原爆研究をやっていることが推察できた」という。
十六年四月ごろ、安田中将は理化学研究所長の大河内正敏博士に
正式に原爆研究を依頼し、これを受け理研で研究を担当したのは
仁科芳雄博士(戦後文化勲章受章)だった。
112 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 12:25:22 0
>>111
いいかげんにしろや。
どっちみち「意外と古い」事例には全く該当しないことは明白だろ。
113 名前:世界@名無史さん 投稿日:2006/03/11(土) 12:33:36 O
78は知らなかったようだが?
114 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2006/03/11(土) 12:50:14 0
>>113
1938年の論文を受けて、
核分裂の原理が兵器に応用できるかの検討がされたのは先進国共通。
というか、専門家なら原理的には応用可能なのはすぐに判断できるし
原理は単純。
問題なのは、次のステップで爆弾を作るためのウラン濃縮法か
原子炉によるプルトニウム生産法をクリアできるかどうか。
これがアメリカやイギリスでは1941年、日本では1943年のこと。
ドイツは不明。
いずれにせよ、日本の原爆研究が「意外に古い」なんてことはない。
100 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/11(土) 01:51:58 0
キノコといえば、しいたけの栽培は江戸時代から。