劉禅は名君か暗君か? 適当にまとめ その3

引用元スレッド

時代に恵まれなかったというべきか、部下に恵まれていたというべきか

277 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 11:14:29
 だいたい劉備って、
 劉禅のことを後継者として大切に育成しようという気があったかどうか。
 
 長坂でのことといい……。
 
278 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 11:27:06
 >>264あたりもそうだけど、
 なんで劉禅ひとりに責任を着せようとする人がいるのか
 わからないんだけど
 
 279 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 11:41:52
  一番槍玉に挙げやすいからでしょ
  魏の侵攻については姜維による漢中の防衛システムの破綻も大きな原因なのにね
  そもそも「国」のことを論じるのに責任の所在を
  個人に帰結させること自体無理がある
  まあそれが一番簡単なのは確かなんだけどね
 
291 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 14:14:14
 諸葛亮劉備
 「もし私が氏んだらお前が蜀の(ry」
 っていわれてたんだよね。それほどの権力者であり実力者だから
 各閥も存命中は手が出せなかったんだろうな。
 
 その諸葛亮が手を尽くして獲得した魏の姜維
 各閥は目の上のたんこぶであった諸葛亮が氏んで意見が言える様になったけど、
 劉禅はその経緯を知ってるから物を言わなかったんだろうな。
 諸葛亮の敵討ち=親父の敵討ちというのもあるしね。
 
 極めて儒教的な考えだから、それを暗君と見下げる根拠にはならないよね。
 
 292 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 14:17:00
  >>291
  なんだよ、手を尽くして獲得した姜維って……
 
  293 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 14:22:26
   もともと姜維は魏の人間だしなぁ。それすらご存じない?
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%9C%E7%B6%AD
 
   294 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 14:23:46
    >>293
    はあ?
    二進も三進も行かなくなって降っただけだろ?姜維は。
    諸葛亮姜維を手に入れるために色々と手を尽くしたとでも言うのか?
 
    296 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 14:25:39
     >>294
     それだと何か不満なのかな?それを仕向けたのは諸葛亮
 
     298 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 14:29:50
      >>296
      別に姜維を獲得する為に手を尽くしたわけじゃないってことは
      理解してくれたかな?
 
     299 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 14:31:39
      >>296
      初めから勘違いしているかもしれないけど、
      姜維の投降にあたって諸葛亮
      姜維個人を帰順させるための手は打ってはいない。
 
 295 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 14:24:50
  >>291
  姜維は行き詰って蜀に投降しただけだよ。
 
300 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 15:01:37
 姜維諸葛亮以来の防衛のための外征を繰り返していただけで、惰性といえば惰性。
 経済が壊滅的な状態に陥っているのでもなければ
 強いて止めることは出来なかったんじゃないの?
 
 301 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 15:07:47
  >>300
  姜維の攻勢は防衛の為じゃなく、涼州切り取りが目的。
  だからムリした。
  と前段には賛成できないが、後段には同意。
  国力の消耗はあってもそれが原因で領土を取られるということもなかった。
  だから国民から不満の声が上がっても建国以来の国是もあり
  そんなに強く出れなかったと考えることが出来ると思う。
 
  303 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 15:37:18
   >>301
   あら、姜維ってちょっと本気だったのね。知らんかった。
 
   304 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 17:01:44
    地元意識もあったしね
 
 305 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 18:37:11
  無理やり姜維を諸葛亮が投降させるっていうのは無双とか(あるのか知らんが)
  演義ぐらいだろ。
  いまさらながら、ここで議論するときのソースは
  統一しておいたほうがいいと思うんだが。
  てか、自分はずっと正史ベースにはなしてたんだけど・・・。
 
  306 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 18:51:02
   演義で話すなら劉禅は暗君で決定
   このスレで考察するまでもないだろ
   暗君か名君か、もしくはそのどちらでもないのかと言う疑問は
   正史に基づいて考えて初めて意味と意義がある
 
   307 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 19:04:01
    キャラネタを楽しむなら演義ベースとか無双ベースでも問題ないだろうが、
    考察はやっぱ正史じゃないと意味ないだろ。
 
    308 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 19:15:14
     俺、演義の劉禅にすら同情を覚えるんだが。
 
281 名前:無名武将@お腹せっぷく
投稿日:2006/06/22(木) 12:47:00
 なんで少帝劉弁が「董卓を信任して朝廷を混乱させた暗君」とか、
 献帝が「曹操を信任して中原を復興させた名君」とか言われたりしないの?
 
 282 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 13:39:54
  それをいうのなら、どうして劉[王章]が劉備に降服したときは
  「無駄な抵抗をせず民を守った。アフォだったがこれは正しい判断を下した」
  とか言われるのに、
  劉禅が降服を決断したときは
   だらしないとか
    気概がないとか
     無能とか言われるのは何故?
 
309 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/22(木) 23:50:52
 >>282
 劉璋はやろうと思えば一年籠城できたけど
 劉禅は現実的に考えれば降伏しか選択肢がなかったからだと思う
 
 310 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/22(木) 23:53:09
  >>309
  それ答えになってるか?
 
  311 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 00:32:35
   言い直せば
   劉璋は民を巻き込んで戦争が出来たが民の為を思って降伏した
   劉禅は現実的にはそんな選択肢が無かったという事
   少なくとも非現実的な選択をしなかっただけマシだろうけど
   劉璋のとは一緒に出来ないでしょ
 
   312 名前:無名武将@お腹せっぷく
投稿日:2006/06/23(金) 00:37:36
    そういや劉禅が降伏の礼がなってないって笑われたって話があったね、確か
 
    313 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 00:48:20
     逆だ逆
     礼法に適ってるとしてとして称揚されたの
     ただし後世の学者がケチつけた
 
     315 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/23(金) 00:52:35
      >>313
      あれ?
      笑われたは見つからなかったから間違いかもだが、
      確かに降伏の礼を具えていなかったようだが…
 
      316 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 00:57:54
       どう備えていなかったか克明に書き出してみ
 
      318 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 01:14:19
       >>315
       訒艾の返書の部分ちゃんと読んでる?
       晋諸公賛の箇所しか読んでないでしょ?
 
319 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 01:26:54
 傅暢はどっから劉禅がロバの引く馬車に乗ってきたなんて話を持ってきたんだろ?
 今手元に正史がないから確認できないんだが、陳寿の記述にはなかったよな?
 そもそも棺を担いで自分の体を縛って、という記述とも矛盾するし
 いや、棺を担いで自分の体を縛った状態で馬車に乗ってたのかもしれんけど
 
 320 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 01:31:37
  >棺を担いで自分の体を縛った状態で馬車に乗ってたのかもしれんけど
  礼法にかなってなくてもそっちのほうが普通に歩いて出てくるより辛そうだなw
 
  321 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 01:33:14
   公式記録では正しくしたことになってるが、実は…
 
   てことじゃね?
 
   322 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 01:41:02
    陳寿の記述より傅暢の記述を優先させる理由がないからなあ
    >>321の可能性もあるとは思うが
    傅暢が公式記録に隠蔽された真実を知り得ていたかどうかという疑問が残る
     傅暢の時代はすでに劉禅の評判悪かっただろう
    という点も考慮しないといけないし
 
    もちろん陳寿が劉禅に対して同情的だったというのも
    併せて考えないといけないけどね
 
314 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 00:49:23
 劉璋の場合は劉備が曹操、孫権といった強敵に挟まれ益州内部の劉備は孤立していた
 長引けば長引くほど劉備にとって不利だった
 だから篭城の意味があった
 
 劉禅の場合は訒艾によってまともな兵力は雲散霧消していたし鍾会の本軍は目前
 長引いても劉禅にとって不利になるばかり
 だから篭城の意味が無かった
 
 居汚く成都でボロボロになるまで抵抗しても負ければ死
 亡国が避けられないのであれば
 可能な限り漢の祭祀を継続させることこそ重要な事だった
 その為には速やかに降伏し命の安堵を得た方がよい
 
 317 名前:無名武将@お腹せっぷく
投稿日:2006/06/23(金) 01:07:09
  劉禅は引き際が見事なんだよね。天寿も全うしてるし。
  先代の遺志を引き継ぎ大望を果たした君主なんて古今東西
  あんまりいないんじゃないの?
  2代目としては合格点あげたい気がするけどね。
 
323 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/23(金) 08:06:53
 敗戦確定の状況で国を明け渡したんだから名君に決まってるYO。
 最後まで戦い尽くすと いうのは話としては勇敢でカコイイけど国民としたら嫌にキマットル。
 
 324 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 08:09:59
  >>323
  敗戦確定まで追い込まれる時点で名君とは呼べない。
 
  325 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 08:21:41
   いや、それはもう建国の時点でほぼ確定してたことだから
 
 326 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 08:26:37
  なら皇帝の座に40年も就くことはなかったな。
  とっとと降伏しとけ。
 
327 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 08:30:57
 当時蜀で暮らしてた当人たちにそんなのわかるわけないじゃん
 だが後世から歴史という視点でモノを見れる俺たちにはそのことがわかってる
 その辺勘違いしちゃいかんよ
 
 328 名前:無名武将@お腹せっぷく
投稿日:2006/06/23(金) 10:58:53
  蜀と魏の差は日本とブラジルの試合に
  匹敵する。
  コウコウはズィーコ
  キョウイはヤナギサーワとタカハーラ
 
  331 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 15:04:04
   >>328
   急に訒艾が来たので(以下略)
 
329 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 12:13:58
 フツーの凡人でしょ。議論のしようが無い。
 
 しかし、「漢」として評価するならヘタレ決定。
 
 330 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 13:55:05
  業績がないんだもん
  どんなに頑張っても平凡以下の評価にしかならん
 
  333 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 01:00:17
   >>330
   んだんだ
   お人形さんにはお人形さんナリの評価しか出来ん
 
334 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2006/06/24(土) 22:47:53
 劉禅が自ら国政に関わろうとした出来事とかないの?
 
 335 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 22:50:52
  無知の知であったのかもよ。
  無知の無知で、口をはさむ奴よりマシ。
 
  337 名前:無名武将@お腹せっぷく
投稿日:2006/06/24(土) 22:58:07
   そこで自ら政治を学ぼうともせんのはいかん。
   仮にも皇帝。
   辺境ではあるが、王とは別格の位についてる人間。
   背負ってる責任の重さが尋常ではないはず。
 
   340 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:02:13
    >>337
    劉禅は諸葛亮に師事して政治学んでるはず
    ただ、諸葛亮は根っこが法家思想の人だからねえ・・・
    理屈理論ばっかり詰め込まれてたんじゃないかって気がする
    ああいうのって諸葛亮や曹操みたいなバランス感覚なけりゃ
    活かすこと難しいんだよな
 
336 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 22:55:32
 魏略に言う、蔣琬が亡くなって、劉禅自ら国事を見ることとなった。
 
 
 ちなみに同じ年に董允も死んでる。
 そして費禕がいるものの、これ以降、黄皓が台頭してくる。
 
 338 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 22:58:19
  違う
  黄皓を利用して陳シが台頭して来るんだよ
 
  339 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 22:59:51
   陳祗の台頭自体は蜀が生き延びるためには絶対必要だったことだぞ
   黄皓と仲良かったからって陳祗は不当に悪く言われすぎ
 
   343 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:05:17
    >>339
    別にその2人とも悪い事したわけじゃねーべ。
 
  341 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:03:00
   >>338
   何言ってんだよ。
   陳祗は許靖の縁者で、能力を費禕に買われていた。
   そのため董允の後を継いで侍中になった。
   別に黄皓を利用して台頭してきたわけじゃない。
 
   342 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:05:13
    台頭した後に宮中を掌握するため黄皓を利用したってのが正確・・・かな?
 
    344 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:06:54
     >>342
     普通それを台頭って言うんだがな
 
    345 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:10:30
     >>342
     どちらも劉禅のお気に入りだったから、お互い様ってあたりじゃないかな?
 
346 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:12:14
 黄皓が劉禅に目をかけられたのは陳祗とお近づきになれたせいじゃないか?
 陳祗自身は黄皓いなくても劉禅のお気に入りだったみたい
 
347 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:13:28
 陳祗が台頭したのは姜維が内政顧みなかったおかげ
 
 354 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 04:27:46
  >>347
  姜維以前に費禕生前から陳祗は台頭してきている、
  侍中で尚書令の上に鎮軍将軍なんつったら実権は大将軍か丞相並みの権力者、
  姜維が政治を省みなったせいというか、むしろこいつが居るから姜維は
  政治を担当できなかったとさえ思う。
 
  355 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 06:33:37
   陳シの死後、姜維は政権取ろうと思えば取れた筈なのに
   何でか取らないでそのまま漢中帰っちゃってるよね
 
   356 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 07:36:15
    宮廷が嫌だったんだろ
 
348 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:18:22
 そういや、譙周の『仇国論』は陳祗との議論がベースになってるんだっけ
 陳祗が北伐肯定派だったのか否定派だったのかは分からんが、
 頭の回転は早かったんだろうな
 
349 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:21:18
 董允はよく劉禅を戒めていた。
 陳祗が董允の後を継ぎ侍中になると、
 劉禅を戒めることはせずその意に迎合するようになった。
 こういったあたりが劉禅が陳祗を気に入った要因だろうな。
 
 しかし郭循の件といい、費禕って意外と人をみる目がないのかも。
 
 350 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:33:02
  大らかすぎて人の欠点とかが気にならない人間だったのかもしれん
 
  351 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/24(土) 23:39:55
   >>350
   大らかってのはあるかもね。
   鹿車の逸話や楊儀と魏延の間を取り次いだりなんてのを見てもそんな気がする。
 
  352 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 00:06:41
   >>350
   あー、時々いるよねそういう人
   いろんな人間から慕われるしその人がいる間はその人中心にまとまってるんだけど
   その人がいなくなるといきなりギスギスした空気になったり
 
   353 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 00:35:36
    >>349-351
    儒家に特にいえる事だが、毛を吹いて瑕を求めるという行為は狭量を示す一端。
 
332 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/23(金) 21:42:19
 星新一が豊臣秀頼を主人公に小説書いてたけど、
 劉禅だともっとおもしろくなりそうな気がする。
 
357 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2006/06/25(日) 15:28:55
 横山光輝三国志大百科に掲載されている北京師範大学の生徒116人を対象に
 行った登場人物人気投票では劉備が0票なのに阿斗に1票入っていた。
 「政治的能力が足りないことを自知して、生活を享楽し、
  “楽不思蜀”になり、魏晋之風がある。そして、彼は決して凡庸じゃない」
 とのコメント。
 同意できなくもないが名君とまでは思えない。
 
 358 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 17:02:15
  >>357
  でも、それって劉禅一個人としてのあり方だよな。
  たしかに一個人としては、出処進退窮まったときに全て投げ出して
  笑われてでも過去を過去と割り切る姿はいいかもしれん。
  だけど、仮にも、蜀という国の体現者であった劉禅がそういう態度を取ったら、
  蜀に尽くした家臣たちはやり切れんと思うよ。
 
 359 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 18:15:50
  言葉1つで凡庸じゃないとかすごいな
  その言葉1つで天下取れたとかいうなら非凡だろうが、
  劉禅はどうみても凡人以下
 
 360 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 19:56:10
  昭和天皇ですらそういう時に言葉を選ぶ
  劉禅は配慮が欠けてると思う
 
  361 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 20:51:54
   昭和天皇ですら、とは意味がわからんな
   昭和帝は明治大帝、大正帝の代に得た領土を大いに失ってはしまったが
   国家の難事には天皇家の財産、自分の生命を投げ打って国民を救った
   慈愛に溢れた人だぞ
 
   367 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/25(日) 23:39:21
    昭和天皇って凡君じゃなかったの?
 
    368 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/26(月) 00:43:08
     なかったよ
 
    369 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/26(月) 03:09:31
     名君だと思うが、ずば抜けて素晴らしいというほどではない
 
     370 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/26(月) 03:29:44
      昭和帝が名君名君言われ始めたのは死んでから。
 
    371 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/26(月) 03:46:29
     昭和帝は名君とかじゃなくて仁君だろう
 
     372 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/26(月) 08:58:53
      軍部の暴走を止められなかったという点では暗君
      ただし心根は仁君
 
      382 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/27(火) 22:34:37
       >>372
       仁君なんてそんなもんだ。
 
       383 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/27(火) 22:42:20
        ひとしくん おげんきですか?
 
      373 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/26(月) 09:52:57
       >>372
       日本の法律が天皇が軍部に口出し出来る形じゃなかったんだが。
 
       374 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/26(月) 13:50:48
        またスレと違う話になりつつあるな。
 
       375 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/26(月) 19:19:44
        いやぁ、近代史に蒙いから、新鮮だなぁ。
 
    376 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/27(火) 00:37:29
     玉音放送を聞いて、
     泣きながら剣を折った人も多かったんだろうなあ。
 
   377 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/27(火) 08:26:20
    ゴルァ、おまいら、
    一般ピーポーのおいらたちが天皇陛下についてとやかく言うとは何事だ!!
 
    ということで、劉禅の話に戻そうぜ。(いい加減。)
 
    378 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/27(火) 09:20:07
     天皇といっても、無制限な権力をもった専制君主じゃない。
     一般ピーポーのほうが立場は上なはず。建前はね。
     それは役人や政治家でも同じ。
     メディアに惑わされてはいけない。
 
     385 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/28(水) 01:07:37
      >>378
      立場は天皇の方が上なんだよ
      主権者は俺らでその象徴が天皇なんだから
 
      386 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/28(水) 01:09:49
       そもそも立場とかで線引きできる関係じゃない罠
       言ってみれば偶像であって観念的な存在
       そんなものに生きてる人間当てはめちゃったから変なことになってる
 
      393 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/28(水) 19:53:01
       >385
       それは精神的立場が上なだけ。実質はなにも伴ってない。
 
       いにしえの傀儡政権と今の日本とでは全然本質は違うが、
       似ているようでもある。
       総理大臣=諸葛孔明が主導権を発揮して国営をきりもりしていたときは、
       ほとんどお飾りな皇帝だったわけで。
       しかし、ひとたび外敵が攻めてくると、
       いきなり責任がその双肩にのしかかってくる。
       時代がよかったのか、ちょっと後の時代ならあっさり殺されていただろう。
       いまの日本では、天皇が失政の責任を取るようなことはないよね。
 
     379 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/27(火) 10:32:45
      まあ象徴とか言われてもピンと来ない罠
 
      380 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/27(火) 17:40:52
       小腸ならピンとくるけどな
 
       381 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/27(火) 17:50:09
        いかにも歴史オタのギャグセンスな感じで素敵ですな。
 
        384 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2006/06/27(火) 23:53:18
         ・・・あのさ、本気で一般ピーポーとかいってみたんじゃないんだよ。
         ただ、激しくスレ違(ry
         ・・・orz