【反骨の】魏延【相】 適当にまとめ

引用元スレッド

どうしても横光の絵柄が浮かんでならない

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/13(金) 17:21:36 id:z3Bx58R40
 とりあえずwiki
 
 「魏延
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BB%B6
 
 この人も演義の被害者の一人だね
 
 3 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/13(金) 18:09:33 ID:eyJeOiKb0
  謀反人として生涯を終えたことと、演義において諸葛亮との関係で貶められたこともあって、
  魏延は中国では尋常でないほど嫌われており(楊尚昆を参照)、
  彼の廟があった所に鉄道を開通させた際には、移築されずに取り壊された。
 
  カワイソス
 
38 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/06/26(火) 15:17:07 id:D3mP+05G0
 演義で一番割を食ったのは魏延より陳式だ。
 
5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/13(金) 21:12:45 id:GZeW0/dG0
 出世スピードは凄い
 
6 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/14(土) 03:01:09 ID:rYck1hHGO
 しかし、いきなり反骨の相はないだろう。そんなんでは蜀に帰参したり投降する将はいなくなる。
 演義だとしてもつじつまが合わない、というか、無理矢理な伏線を感じるな。
 
 実際は政争に負けた、気質の強い優秀な軍人だったんだろう。
 当世一般の高いプライドや義理感覚は持っていたとしても、それだけで批判できるものじゃない。
 
 ソース未提示。
 
 9 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/14(土) 11:05:24 ID:hCobHu6h0
  >>6
  それを言うなら、劉備にすぐさま「斬れ」と言われた刑道栄の方が(ry
 
 7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/14(土) 04:39:03 ID:G8tRg0hA0
  劉備には相当気に入られていたみたいだね。
 
8 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/04/14(土) 10:03:15 id:UOKKH/xY0
 だから名前(ry
 
29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/05/27(日) 17:02:36 id:fwauW8+Y0
 名前で損してる人だね
 
10 名前: ◆ktkr9Xi27I 投稿日:2007/04/14(土) 14:14:27 ID:pJDsr2LE0
 正史ではどのくらい活躍してるの?
 
 11 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/14(土) 21:58:32 ID:cTVNZI4UO
  大活躍
 
13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/04/15(日) 22:57:17 id:m6ZS4eDy0
 この人はかなり低い身分の出身のようだけど、
 学問の方はどうだったのかな?
 
 14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/16(月) 01:07:25 ID:/0ygBN86O
  >>13
  太守をやっているくらいだから水準以上は当然くらいに考えてもいいのでは?
  中身としては、は実際の頭のよさ、つまり頭の回転は早いと思う。
  兵法は一般並に通じ、それを実用できるって感じ。
  でも、優れた典籍を修めるようなずば抜けて「学がある」っていうのじゃないだろう。
  むしろ、そういう白面の書生の重要性を認めつつ、かつ自分はそういうタイプじゃないし、
  また、生理的にソリが合わない。でも、けして憎んでるわけじゃない。
 
  それが俺の「魏延さん」だな。
 
  16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/04/16(月) 23:27:08 ID:0nlyQ7GH0
   >>14
   耳学問だけでも、かなりの学を身につけた人物ってかなりいるからな。
   侮れない。
 
15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/16(月) 09:14:13 ID:35zlBDEx0
 ていうか、後期になるといきなり猛将扱いされるけど、実際どの程度だったんだろう
 周泰ぐらい?
 
 17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/18(水) 21:07:04 ID:DWM6F6Os0
  魏延って朱温と似ている気がする。
 
  18 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/04/18(水) 21:59:39 ID:3OqL28KY0
   むしろ朱才と似ているような気がする
 
 25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/05/02(水) 17:56:46 ID:+EWl+tZV0
  >15
  張郃ぐらい。
 
  31 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/05/31(木) 04:50:10 ID:8Gmwm2w80
   >25
   それってかなり凄いじゃねえか。
   まあ王平にしてやられてるって所が共通してんのか?
 
   32 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/05/31(木) 14:50:12 id:c0mYe7Q+0
    >31
    魏延は単に兵卒を叱咤激励し戦場での駆け引きに賭ける将ではない。
    張飛を抑えて漢中太守に任命された時の話から
     どのような戦争になるのか
     それにどうのように対応するか
     平時からどのように準備すべきか
    これらを考え遂行できる人材であることがわかる。
 
    つまり平時から敵情偵察、密偵による情報収集、必然的に諜報戦にも理解があり
    地形の精密な測量を積み重ね、また兵站について膨大な書類を決裁できる。
    聡明な頭脳と煩雑で単調な事務作業に耐えられる忍耐力を兼ね備えているだろう。
 
    単に武のみの人材ではないのは明らかだ。
 
    33 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/06/20(水) 10:29:15 id:VIBZv2xz0
     >>32
     軍の司令官として、地方を一つ任せても安心できる人材ってこと?
     劉備配下だった人物で、そこまでの能力のあった人って
     他にいるんだろうか。
     関羽は違う気がするし(最古参&顔、文斬った勇名で荊州任された印象)。
     張飛は部下の把握が下手だから問題外だし。
     教委もアレだからなぁ…
 
     すごい出世スピードだったのは、劉備の配下にそういう人材が本当に
     いなかったのも関係してるのかな?
 
    34 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/23(土) 00:39:02 ID:cCVKdtPX0
     総合的な能力でかなり秀でていたってことは、
     蜀における諸葛亮の立場を脅かす可能性もありそうだった?
 
     35 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/06/23(土) 05:26:55 id:tK5xemM40
      >33
      関羽は文醜を倒していない。 それは曹操の軍勢の手柄。
 
      最重要地の荊州を任せられる人材は、
      能力だけでなく人物の格というか扱いについても絶妙の判断が求められただろうが
      劉備の下の人物では やはり関羽が至善とは言わずとも次善だっただろうな。
 
      曹操や孫権にも武勇だけでなく、知略に優れた人物だと買われているし
      だからこそ実際に将軍位を与えたり侯に封じたり婚姻を結ぼうとしたという事もあるのだろう
      (能力だけで上記の扱いを受けたとも思わないけど)
 
      張飛も下っ端には厳しかったが士大夫層に憧れていたようで
      そのために学問も修めたようだし 実際に施政も悪くなかったと聞く。
      最期で評価がだだ下がりしたのだろうな。
      関羽も張飛も、補佐する人物がいたらもう少し変わってきたかも
 
      姜維は出自はともかく、蜀ではガチガチの武官だからな。 前任者ほどの才気は無かった
      (まあ費イに匹敵する人材は中々いないわな)
 
      >34
      いやあそれは・・・ 諸葛亮は言い方は悪いが独裁に近い立場を固めていたし、
      諸葛亮に気に入られていたのだからわざわざ脅かす必要性も薄いだろう。
 
    40 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/07/11(水) 11:44:55 id:bo1/0wiO0
     >>32
     俺も魏延は司令官の器だったと思っているんだが、
     そこまで買い被る理由をkwsk
 
     某トンデモゲームではないけれど、魏延は劉備のこと慕ってたんじゃないかな。
     長安急襲の拙作や孔明死後もいたずらに戦争を続けようとした事など、
     魏を倒し(まではいかなくても長安・洛陽を陥し)て漢朝の正当な後継者になるという
     劉備の遺志に固執しすぎてるように取れる。
 
     42 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/07/11(水) 15:38:20 id:xV7sehJV0
      そして其の手柄で禅譲、蜀の新皇帝となる、と。
 
 23 名前:下総国諜報員 投稿日:2007/04/30(月) 19:30:22 ID:eWRVAqWl0
  晩年の魏延は相当な豪傑だったんでないの?
  関羽だって、劉備に出会った時と荊州王気取ってた時とじゃ違うでしょう。
 
  26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/05/15(火) 23:26:15 ID:B/sbqid20
   >>23
   人は成長するからね。
 
19 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/21(土) 23:27:57 ID:ouhgef9Z0
 孔明って意外と心が狭そうだな。
 
 20 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/04/22(日) 01:15:54 ID:/TzRZ2twO
  >>19
  むしろ、後世でスーパーマンにしすぎただけじゃないかな。
  あれもこれもやらなければならなかった、至って優秀な文官だったと思う。
  でも人間なんだよ。
  孔明スキーを越え過ぎちゃった人たちはなぜそれがわからん!
 
  魏延さんも孔明も、腹も立てばクソもしたんだぜ?
 
  21 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/04/22(日) 04:51:19 ID:VyLlPps0O
   つうか演義の孔明はかなり性格が酷い
   正史の孔明のほうが人格者だよな
 
   22 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/04/27(金) 23:11:01 ID:2KYesel50
    演義での孔明がひどいと思ったときは、
    魏延と初対面でいきなり反骨の相があるとかいいだすときと
    南蛮遠征で孟獲を捕まえてきた部族長たちを元の陣に戻れといったシーンだね
    心服してない孟獲が自陣に戻ってきたら彼らは
    真っ先に殺されるなんてのはすぐにわかるだろうに。
    あえて見殺しにしたような感がある
 
24 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/05/01(火) 19:48:05 id:JQGrZif5O
 この中にわしを殺せるものがあるか
 
 27 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/05/15(火) 23:40:22 ID:H46Xvi6f0
  >>24
  ここにはいない
 
36 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/06/26(火) 12:03:10 id:rl99u8LR0
 反骨の相八百長説はどこかで見た。
 おまえらこれから裏切るなよという芝居だったと。
 寧ろ孔明に信用されていた証拠。
 
 37 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/06/26(火) 14:23:20 id:QK4j5sIG0
  というか単に演義を書く上での後だしジャンケンにも思うんだが。
 
39 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/06/28(木) 18:40:41 ID:NrHngCRi0
 魏延って劉備の事は何て呼んでたんだろ?
 劉備が帝位に就いてからは当然変わったんだろうけど
 
 43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/07/12(木) 00:05:50 ID:SgPqzkSd0
  そりゃ劉備の事は慕うだろ。 取り立てられているわけだから
 
44 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/07/12(木) 03:30:48 ID:lCj14VJG0
 正直なところ諸葛亮時代の魏延は劉備を慕う云々よりも
 自分の自尊心への固執と言った方が適切な気がする。
 
 例えば長安急襲案は魏略を参考にするならば「俺を見れば敵は逃げるよ」
 っていう自分を趙過大評価した部分に基づく部分が大きいし
 それ以後も韓信の故事に習いたいと別働隊を要請し続けた事や
 それを却下されると自分の才能を使いこなせないと諸葛亮を「臆病者」って批判したり
 仲が悪いとは言え楊儀に刀を向けたり
 諸葛亮死後には「丞相が亡くなられても自分がいる」「楊儀ごときの指揮を受けれるか」
 と言ったりと自分に自信が在り過ぎるのが問題かと
 また蜀将スレでも書いたけど、あんまり大将の器って感じじゃないね
 
 なんにせよ諸葛亮死後の撤退で、味方の退路を断つのはやり過ぎ
 下手すれば全滅の可能性もあったろうに
 
 45 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/07/12(木) 10:23:15 ID:0vav5VMc0
  同意だね。
  良くも悪くも一軍の将というしかないな。
 
48 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/07/15(日) 02:51:42 id:GCbkuqv20
 外征のセンスがあったの?
 
 49 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/08/19(日) 11:11:15 ID:5YZjLQHH0
  魏延はきっとパフォーマンスの上手い、
  つまりは自身のアピールに長けた武将だったと思うよ。
 
  実際の戦い続けていれば、どっかで転んだ予感。
 
50 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/08/23(木) 04:15:13 ID:25QeUFCpO
 現場の人間として、明らかに戦争知らないようなバカが間違った指揮取りゃ
 反論もするし反抗もするわな。
 長安急襲にしても、圧倒的国力差がある相手に正攻法で攻めるとか
 愚の極みな戦略よりかだいぶマシだろ。
 と言うか魏に勝つには奇策に次ぐ奇策を成功させていかなければ
 まず勝てない国力差があるのは事実なんだから。
 
 51 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/08/23(木) 13:23:37 ID:W5vyZ9BP0
  北伐は示威行為で本当に魏を討つつもりは無かったのかもな
  魏延はやる気だったかもしれんが
 
  52 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/08/23(木) 20:20:03 ID:6gjDXT+D0
   示威行為ですらない。あれはただの運動会
 
 54 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/08/23(木) 20:25:25 ID:6gjDXT+D0
  夢も希望も無い民衆に生きている意味と愛国心を与える為に
  オリンピックやワールドカップを現代は行っているだろ。
  つまりそういうことだ。
 
55 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/08/27(月) 14:44:17 id:xHS1BQn+O
 とりあえず実力としては、少なくとも劉備の目から見ると
 関>魏>張
 だったわけだ
 
 56 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/08/27(月) 15:08:40 ID:le33eMWe0
  魏延  ・・・・・・ 岳飛
  諸葛亮 ・・・・・・ 秦檜
 
  さすがに無理あるかw
 
57 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2007/08/27(月) 21:31:15 ID:MAjq6VOzO
 つまり魏延さんは出師の表を間に受けてたんだね・・・
 溢れんばかりの孔明への愛だな。
 
 59 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2007/10/19(金) 23:30:01 ID:4oBLl8o+0
  魏延って意外とまじめな人物だったんじゃないのか。
 
61 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/10(木) 17:42:32 ID:Tj5GD83M0
 孔明の出師は心底やる気でしょ孔明に能力がなかっただけで
 チャンスがあったのは最初の北伐くらい
 あの時は蜀をなめきって魏は何の対策もしてなかったし
 
 63 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/01/29(火) 00:15:20 ID:ecSdJ8qXO
  >>61
  蜀漢は北伐(反魏活動)しなくちゃいけないから
  嫌々やったんじゃないか?
 
  65 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2008/02/29(金) 17:09:04 id:Ml4kTD3FO
   >>63
   そんな気がする。
   孔明本人としては蜀の防備と政治体制を固めて
   地方に割拠したいだけだったのかもね。
   特に劉備死後は前線で戦える将軍もおらず
   攻勢に出る危険を熟知していたと思う。
   でも遺詔だしなぁ…てな感じ。
 
   67 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/02(日) 15:08:44 ID:msO594ZGO
    >>65
    北伐や、漢の再興をうたい文句にしないと、求心力を保てない政権で、
    戦争したくありませんなんて、どんだけバカな政治家だよw
    だったら端っから劉備を担ぎ出さなきゃ良かっただけの話し。
 
    可能、不可能を問わず目標をたて、一致団結する。
    内心の不平不満は、この際おいておき、一心不乱に国政に打ち込む。
    余所から来た流民集団と、地元の集団との連合政権を維持させる手段がなかった。
 
    北伐以外に、どうやるんだ?
    それぞれの利害関係や、派閥の問題をどう解決するんだ?
 
    北伐は手段であって、目的じゃない。
 
    71 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2008/06/09(月) 09:36:17 ID:7ftDL8g8O
     >>67
     ほぼ同意だが、蜀漢政権の中に益州人と荊州人の綱引きがあった、みたいな話だけは疑問。
     そもそも劉二牧自体が益州外から来た人間である上、
     益州の土豪たちとの紛争の記述もある。
     そして、配下にしても雍州出身者(法正)、荊州出身者(李厳)などマチマチだった。
     また劉備の臣下となった益州人にも荊州への留学組も多く、
     益州人とはいえ色々な立場があることが窺える。
     孫呉だって華北出身者が多い。
     曹魏にも荊州出身者がいる。
     なんか蜀だけ内部対立の火種を抱えていた、
     まとめあげる求心力が必要だったみたいな考え方にはピンとこない。
     (国内をまとめあげるためだけの北伐だった、みたいなよくある意見には特に同意出来ない)
 
     76 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/07/28(月) 10:45:05 id:p4BNrBErO
      >>71
      魏呉はどちらも現地出身者がトップ〜重臣に多い政権
      蜀はトップ、中期までの功臣がほぼ外来出身者による政権
 
      この差は小さくはないのでは
 
      78 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/07/31(木) 08:46:39 id:FLcsD3Wg0
       >>76
       そうなんだよな、蜀は蜀で独自性ってあったし
       それを荊州から劉備が乗っ取ったみたいな感じになったわけだし、
       人材統制は難しそうだよね
 
     79 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/07/31(木) 20:48:23 ID:t/sdLm7L0
      結局、元々の益州の人間は一度劉備に降伏してるから
      魏が攻めて来ても
       (また降伏すりゃ良いんじゃね?)
      って思ってる節があったんでは。
 
      80 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/08/05(火) 13:21:14 id:vTGkHzoK0
       処女じゃないからレイプされてもいいやみたいな発想ですね
 
68 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/06(金) 10:37:50 ID:SYFjguds0
 >158 :名無し曰く、:2006/12/29(金) 22:40:19 ID:K3p8KBsB
 >魏延はプチ関羽みたいな所があるよね、傲慢でプライドが高くて、でも言うだけの
 >力はあって。さぞ扱いにくいタイプだったとは思うよ。劉備にしか心服しない、劉備に
 >しか使いこなせない爆弾だったんじゃないか。 魏延の能力は惜しい、でもあまり
 >力を持たせすぎると自分の死後こいつは抑えを失って絶対に暴走する、孔明は
 >そう考えたのかもしれん。馬謖を抜擢したのも姜維を重用したのも、魏延に対抗できる
 >重石たる人材が欲しかったのかも。
 
 この意見、ちょっと納得。
 
 69 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/06/06(金) 21:58:28 ID:HwVb1IwN0
  >>68
  馬謖は自分の派閥の若手を抜擢して勢力拡大したかっただけ
  姜維は、・・・諸葛亮に重用されたっけ?
 
  諸葛亮が魏延を嫌っていた、という話が無い以上、
  諸葛亮が魏延を排除したという話は妄想という他無い
  ・・・諸葛亮は魏延を後継者と考えていた、と同じくらいにはな
 
  こういうことを想像するのは楽しいが、ちと現実味がないんでね?
 
70 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2008/06/08(日) 09:24:17 ID:+Cx9uXet0
 北伐は上手く行かず、人材登用でも馬謖や李厳、楊儀などミスの多かった諸葛亮を引き立てる為に
 武功も多く、劉備の新任も厚かった魏延を悪者扱いしてるような気がする
 
 71 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/09(月) 09:36:17 ID:7ftDL8g8O
  李厳なんて劉備時代からの重臣中の重臣だろ。
  諸葛亮の登用の責任とかいう話じゃない。
 
73 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/06/09(月) 23:01:42 ID:b3W9FoUpO
 魏延は陳寿を始め色々な方面から庇ってもらえているが、
 ただでさえいいところのない夏侯ボウの評価を更に下げているのは魏延だよな。
 誰も文句言わないが、中々罪深い男だよ。
 
74 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2008/07/26(土) 19:59:54 ID:BP+Zc6Zo0
 反骨っての自体が眉唾だろう
 
 75 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/27(日) 01:11:06 ID:36JpoJHL0
  そもそも反骨は小説のみで、
  かつ、諸葛亮が他にも裏切り者がいるのに魏延にだけ文句つけた時にでた言葉だ
 
89 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2008/11/10(月) 00:08:18 id:sobMg7ze0
 魏延 文長
 劣化呂布(裏切り&独立しやすい武力馬鹿&魅力が低いで「裏切者」の代名詞)
 毛沢東が政敵楊尚昆を名指しして「貴様は魏延だ」と述べたのは有名な話
 横山三国志で「蜀を自分の物にする」とか抜かしやがったが
 呂布や孟達同様不忠の裏切り者の小悪党らしく自業自得で無様な最期を遂げる
 
 90 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 20:06:49 id:s0Jq76D+0
  それは横山を怨めよ
 
83 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/11/02(日) 19:41:52 id:rnQ2rWDS0
 正史では諸葛亮は善く魏延と楊儀を使いこなしている
 これ以上無く魏延を重用している
 諸葛亮は讒言を聞いても魏延を庇う
 魏延は文句を言いつつも命令を守っている
 
88 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/11/08(土) 19:25:50 id:XKzv4LOO0
 正史読んだけど、かえって魏延の印象悪くなったな。
 楊儀に口で勝てないからって刃物突きつけたり、
 撤退命令に背くのみならず、命令通り動いてる連中の邪魔したり、
 部下に愛想尽かされて逃げられたり。
 むしろ魏延を順調に出世させたり、魏延を馬鹿にした奴を厳しく問い詰めた孔明の印象が良くなった。
 
 92 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/11/20(木) 20:29:22 id:QbDH3q8v0
  なんか……頑張ってたんだね
 
  93 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/11/22(土) 20:29:25 ID:53e7YB5u0
   >>92
   華キンとかは正史と演義で人物像が180度違うが
   魏延は正史でも演義でも両方小物だよな
 
   94 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/11/22(土) 22:14:46 ID:F3oHaE7V0
    >>93
    カキンは史書でも皇后をむりやり引っ張り出したり
    馬車に気を取られたりしてるから180度ほどじゃないよ
 
98 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2008/11/27(木) 01:39:13 id:tv7aJHHY0
 魏延の存在は重宝したと思うが、彼自身を高く評価するのも難しいな。
 人材的に豊富とは言えなかった蜀軍では、少々の人格的問題はあっても活躍の場があった。
 だが、その問題が最終的に自分の首を絞めた。
 あの関張も(特に張飛か?)人間関係で失敗してるから、難しい所だ。
 仲違いしながらも合肥を守った三将に対して、蜀の将は公私のケジメが
 着いていなかったのか・・・・・とも言えないか・・・・・
 
 99 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/11/27(木) 22:53:59 ID:SEMA629y0
  諸葛亮が長生きして魏延が先に死んでればな・・
  魏延の名声も子孫も残っただろうに
 
100 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/11/28(金) 01:43:11 ID:d+zInLNm0
 実質最大の後見人である諸葛亮に対して、命令に従いつつも反発したり
 幕僚との軋轢が強かったり、明らかに政局における立ち回りが下手だよな
 政敵である楊儀の指揮下に入ったら(状況的に楊儀が諸葛亮の後継と見るに十分だろう)
 不仲だった自分が殺されるかも、と考えたのか、
 それとも諸葛亮の遺言そのものを捏造と疑ったのか、
 どちらにせよ、これに逆らった時点で魏延の命運は定まった
 橋を焼いたのはやりすぎだし、楊儀反逆の上表も正しい内容とは言えない
 むしろ、楊儀の方が諸葛亮の遺言に従ってるわけで、後に魏延が兵に見捨てられたのも仕方ない
 ただ、これに前後して諸葛亮幕僚陣の動きがあまりにもシンクロしてるのが、違和感がなくはない
 
 101 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2008/11/28(金) 13:09:01 id:qk8j3RSlO
  実際に裏切ったわけではないのにいつ裏切るかわからないという不信感を持たれるのは、
  恐らく姓が敵国の魏と同じだからだろう
 
102 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/12/02(火) 05:55:37 id:FYukSpHJ0
 孔明は魏延を買っていたでしょ。軍を与えたらすぐに戦果を上げてきたんだしな
 ただ気に食わないのは自分の策に対して魏延常に反論、対象意見を出してきたこと
 にわか諌議大夫のような存在になっていて、
 そのやり取りが不忠、反骨のように捉えられていたんだろう
 孔明の策が絶対と考えている人から見ればそう見えるのは当然だ
 
 119 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2009/01/15(木) 01:26:11 id:CmzIGbJ/0
  諸葛亮と魏延は欠点を補った名コンビと言える
 
 103 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/12/02(火) 13:43:33 id:QgUJHJGw0
  長安奇襲策は成功率がとんでもなく低いし、長安取っても維持できないから切ったんだろう
  気に食わないから策を切ったとは思えない
  諸葛亮の策が絶対というより、魏延の策が僥倖を恃みすぎ、稚拙だっただけ
  しかも状況が変わっても同じ策を進言するのも頂けない
 
  また、でたらめに魏延を罵倒し、諸葛亮に詰問され、本土に戻された劉エンに対して
  楊儀には詰問がいっていない以上、その罵倒は事実を捉えていたと見るべきだろう
  これに対し刀を突きつけ黙らせるというのは、あまりに短慮
  こういう行いが人望を失った最大の要因であると言える
 
  また、諸葛亮の遺言に背き、撤退する軍の妨害をしたのは、内情はどうあれ反逆行為
 
  104 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/12/02(火) 16:24:39 ID:IcC2iW8wO
   最初の一回はともかく、二回目以降も長安急襲を進言するのはまずいわな
   魏に警戒されてるに決まっている
 
107 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2008/12/02(火) 21:16:25 ID:J/zUDwc30
 1・かねがね諸葛孔明の戦略に逆恨みを抱いていた魏延は
   丞相にならんとたくらんで謀反を企てる
 2・謀反に失敗すると命惜しさに保身の為に魏に投降しようかと言い出す
 3・孔明の遺命を受けていた馬岱に「蜀を自分の物にする」よう
   そそのかされて魏への投降を撤回して楊儀と対決しようとする無策ぶり
 4・馬岱に誅殺されて呂布や孟達同様不忠の裏切り者の小悪党らしく
   自業自得で無様な最期を遂げる
 
 108 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/12/03(水) 01:29:09 id:X35eeSCAO
  ※フィクションです
 
 109 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/12/03(水) 21:02:54 ID:nnDdbkwG0
  馬岱って命からがら逃げ出した魏延を追い詰めて殺しただけで打ち破ったわけじゃないだろ
  どうも戦上手じゃないみたいだし
 
  110 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/12/07(日) 01:49:14 ID:XK4M6gkF0
   馬岱って正史じゃ牛金に負けてそのまま消息不明だから
   下手すると獲られた首級の中に混ざってる可能性もあるな
 
111 名前:名無しさん@お腹いっぱい。
投稿日:2008/12/15(月) 22:42:12 ID:2XMyamfP0
 荊州に曹操が来たときに降らなかったのは何故だ
 
 112 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/12/15(月) 23:44:06 id:JL51QhUQ0
  曹操が嫌いだったから
 
 113 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/12/16(火) 18:49:11 id:KdnxmTR10
  魏延は義陽郡の人との事だが
  彼が仕えた太守って韓嵩なのか?
 
114 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/12/29(月) 20:58:51 ID:3YrmUxBd0
 Wiki見たけど、演義の被害者って言うよりは正史でメッキが剥がれたって感じだな。
 演義では陰険な孔明にいじめられて可哀想、みたいな同情できる部分はあったけど。
 
 118 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 09:04:52 id:SzogGEt10
  あれ? ファンスレッドじゃなかったの?
 
 
 
 
12 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2007/04/14(土) 23:35:09 id:G8tRg0hA0
 演義の主人公とも言うべき諸葛亮と敵対したのがこの人の不幸