弓矢の歴史 適当にまとめ

引用元スレッド

ブリテンのロングボウは本当に凶悪だったよな。AOKだとチュートンナイトも捨て難がったが弱体化したし。

1 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/04/30(月) 21:11:35 0
 英国なんかではいまだに国民にロングボウの訓練を命じる法律が残ってるらしい。
 
36 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/03(木) 23:00:15 0
 武器としての弓矢の話題だけならば武具総合スレで間に合うところだが、
 弓矢といえば狩猟具としての歴史も長い。
 両方アリならば独立スレでも桶かな?
 
 37 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/04(金) 00:25:50 0
  それじゃ、弓矢の起源からね。
  俺は知らないから↓が語ってちょ。
 
 64 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/15(火) 01:18:17 0
  >>36
  弦楽器の遠い祖先であることも忘れてはならないな。
 
  65 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/15(火) 09:07:20 0
   >>64
   あまり想像がつかないんだけど
   大昔は弓と弓をすり合わせて音を出したりしてたんかね?
 
   66 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/15(火) 10:29:29 0
    ヴァイオリンだって「弓(bow)」で弾くものだしね。そうか。
    最初期の楽器としての弓って、弦をビヨンビヨン鳴らして邪気を祓うという
    呪術的な使用法ではなかたけ
 
    71 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/19(土) 13:47:55 0
     >>66
     鳴弦って日本以外でもやってたんですか。
 
     72 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/19(土) 14:11:35 0
      おいおいまさか過程をすっとばして撥弦楽器が誕生したとでも
 
      73 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/19(土) 14:14:10 0
       >>72
       すると世界的に見られた風習だったんですか?
       どうも寡聞にして知らないもので
 
 74 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/23(水) 01:38:47 0
  弓といえば発火具、ドリル、切削用ろくろなどの動力源としての歴史も見逃せないな。
 
  75 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/23(水) 12:58:36 0
   >>74
   ビザンチンの兵書に弓で回す巨大なドリルの絵があった。
   それで敵の城壁をえぐるらしいw
 
   123 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/07/12(木) 02:44:19 0
    日本ではろくろなど工具の動力に弓の弾力を利用した例は少ないみたいですね。
    ヨーロッパでは旋盤やドリルにも用いられていましたし。
    しかも足踏み式で弓を絞るので、一人で作業するにも便利だったそうな。
 
    最近子供の学習教材でおなじみの、木製の弓錐式発火具は神社の神事くらいでしか
    使用されなかったと聞いて意外に感じた昨今。
 
    124 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/07/12(木) 07:43:58 0
     バルカン半島のロマンス語系住民の「ディオスキュロイの祭り」だか何だかでも
     それを使った火起こしの儀礼があったはず。割と古い歴史があるのかねえ。
 
     125 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/07/14(土) 13:48:54 0
      アラスカのイヌイト、弓ドリルでセイウチの牙に穴を開けるの図
 
      126 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/07/14(土) 14:02:50 0
       アイヌ人も似たようなことやってたような
 
3 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/01(火) 09:32:24 0
 中世ヨーロッパの鎧は弓矢に射ち抜かれてたらしいけど
 当時ってクロスボウ以外は原始的な丸木弓だけですよね?
 日本の鎧は丸木弓に竹を貼り付けて強化した和弓の矢を防いでたので
 防御力はヨーロッパの鎧<<<<<日本の鎧
 ということになるのでは?
 
 4 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/01(火) 10:59:41 O
  合成弓、弩、クロスボウ、バリスタの攻撃受けたことのない日本のあらゆる防具では比較対称外
  馬鹿馬鹿しい日本優越論
 
  5 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/01(火) 11:59:21 0
   >>4
   元寇の時、日本の鎧は元軍の合成弓やクロスボウに、かなりの防御力を発揮したが
 
   6 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/01(火) 12:11:02 O
    元冦の時
    クロスボウなんか持ってないし
    合成弓というのは騎乗で扱う弓
    そもそも元冦時の元軍はほとんど徒歩の高麗兵
    騎兵は皆無、第一、日本は陸上戦で勝ってないだろうが
    史実を歪曲し、でっち上げるのもいい加減しろよ
 
    8 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/01(火) 13:32:36 0
     >>6
     >元冦の時
     >クロスボウなんか持ってないし
     八幡ノ蒙古記
     『我も石弓に左の肩を、つよくうたれ、弓引へきにも、ちから及はねは、かた手に太刀ひつさげ、
      帆柱を切て、賊船にわたしかけ、乗うつりて、さんさんに、切めくり、多くの敵の首をとり、
      又其中に、大将と、おほしくて、王冠きたる大男を、生捕て、前にしめつけてそ帰りける』
 
     >合成弓というのは騎乗で扱う弓
     合成弓というのは複数の素材で作られた弓で、徒歩で使うか騎乗で使うかは無関係。
 
     >そもそも元冦時の元軍はほとんど徒歩の高麗兵
     高麗史によれば、文永の役の元軍は蒙漢軍2万5000に対し高麗軍8000で、圧倒的に元からの本隊が主力。
 
     >騎兵は皆無、
     八幡ノ蒙古記
     『其中に、大宰少弐三郎左衛門尉景資殿を、日大将軍として待かけたるところ、
      十月廿日未明より、蒙古陸地に、おしあかり、馬にのり、旗をあけて攻かかる』
 
     >第一、日本は陸上戦で勝ってないだろうが
     鎌倉年代記裏書
     『十月五日、蒙古寄来、着対馬嶋、同廿四日、大宰少弐入道覚恵代藤馬允、於大宰府合戦、異賊敗北』
     高麗史表
     『十月、金方慶與元元帥忽敦洪茶丘等征日本、至壹岐戰敗、軍不還者萬三千五百餘人』
 
     史実を歪曲し、でっち上げるのもいい加減しろよ
 
     12 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/01(火) 15:39:38 O
      >>8
      武功を幕府に認めさせる為、誇張した日本側だけでの史料じゃ当てにならんな
      第一、クロスボウそのものが捕獲されているわけでなく、画にも描かれているわけでもない、
      日本で製造、輸入されていない石弓なるものがクロスボウや弩を指すかどうか判らんじゃないか
      合成弓が徒歩でも使える、当たり前だろうが、歩兵ならもっと大型弓を使用する
      合成弓は騎乗から強力な矢を射ることが可能な遊牧民が作った半弓
 
      そもそも文永の役当時は元が南宋に侵攻している最中、
      しかも高麗では三別抄の反乱を鎮圧している時でもある
      たかが日本を牽制するためだけのたった27000の兵力による襲撃に
      モンゴル本隊をわざわざ派遣するとは思えない
      弘安の役当時も元の主力はカイドゥ、メリク・テルム、ヨブクルのアリク・ブケの遺児たちとの
      大規模戦乱に巻き込まれていたし、広南の鎮圧も継続していた
      とても精鋭のモンゴル本隊を派遣する余裕なぞない、
      ましては江南軍は旧南宋の老兵でたいした武装をしていない植民目的で、
      戦闘力を持っていたのは前回とほとんど兵力が同じでほとんど高麗兵であり、
      騎兵のいない高麗軍のみであるのが実態、
      元が日本占領で考えていたのは旧南宋の老兵処理ぐらいだ
 
      13 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/01(火) 16:27:21 0
       >>12
       思い込みと願望だけだな。
 
       >>合成弓が徒歩でも使える、当たり前だろうが、歩兵ならもっと大型弓を使用する
       >>合成弓は騎乗から強力な矢を射ることが可能な遊牧民が作った半弓
       この一文に至っては意味不明。反論にすらなってない。
 
       19 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/02(水) 13:31:25 0
        >>13
        中央ユーラシア型のコンポジット・ボウは木製の芯材・動物の腱・骨角という素材の複合により
        威力を生み出すもので、弓自体の大きさは関係ありません。
        例えばビザンツ帝国の歩兵も「スキタイ弓」と呼ばれる同種のものを使用していた。
        弓身の長さが問題になってくるのはイングランドのロングボウのような単一材の弓で、
        素材が同じであれば単純に弓身を長くすることによって張力を増すことができます。
        それが行き着くとアフリカ人が大型動物の狩猟に用いるような巨大な弓になります。
        和弓が長大なのはもともと丸木弓をベースにしているからです。
 
    47 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/07(月) 21:20:58 0
     >>6
     朝鮮半島ではクロスボウは少なくとも新羅の時代にはあったらしい。
     「東国通鑑」に仇珎山という職人が唐の皇帝のもとへ遣わされて弩を作ったという条がある。
     性能は期待はずれだったようだが。
     また「弩幢」というクロスボウ部隊も存在してたらしい。
 
     元では侍衛親軍の各衛に「弩軍千戸所」があったそうだが、
     皇帝直属の中央軍なので元寇には出てきてないと思う。
     旧南宋軍には「神臂弓」という強力な弩があり
     兵書には鉄砲三段撃ちのような交代射撃のメソッドも載っているそうだが、
     旧金軍の弩使用はよく分からないので詳しい人がいたら解説求む。
 
     48 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/08(火) 07:34:13 0
      仇珎山でぐぐっても一件もヒットしないのが凄いな
 
      49 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/08(火) 13:26:39 0
       どう見ても捏造です。本当に(ry
 
     50 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/10(木) 01:58:42 0
      東国通鑑 文武王九年冬の条
      冬唐遣使徴弩師、王遣弩師仇珎山偕使赴、朝帝命造木弩、
      射不過三十歩、帝問珎山曰、聞在爾國造弩射千歩、今纔三十歩何耶、
      對曰材不良、若取材本國則可矣、帝遣使求材帝命珎山改造射至六十歩、
      帝詰之、對曰臣亦不知其所以、然殆木過海爲湿気所侵歟、帝疑珎山、
      故不盡技劫以罪而終不効其能
 
      55 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/11(金) 10:57:44 0
       >>50
       新羅の弩は射程が千歩というふれこみだったけど、実際には30歩しか飛ばなかったってこと?
       それは信憑性が高いなw
 
       56 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/05/11(金) 18:20:14 0
        1000歩は論外としても、30歩が60歩となっただけでも(有効射程距離とすれば)
        まだ期待は持てたような。もう少し試させてもよかったかもしれません。
        似たような話で、11世紀初期に宋に日本人が来たので弓を射させてみたところ、
        全く飛ばず、国では戦闘が習われていないと弁解したというのが『宋史』にあります。
        弓は丸木弓だったらしく、もう少し後で出て来た伏竹弓ならまだましだった筈。
        弓は平安貴族のたしなみでしたし、一般の百姓でも扱っていましたから、
        多分この人があまり使えなかったというのが真相でしょう。
        まあ、中国の史書が外国人を手放しで褒めた話というのも、一寸思い出せませんが。
        帰化と言うか、中国で一生を終えて功績を挙げていたのならともかく。
 
        57 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/12(土) 01:45:24 0
         その人はなんでわざわざ弓矢を宋まで持っていったんだろう
 
         58 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/05/12(土) 02:08:49 0
          アメリカ人に銃というぐらいの携行率だったのではないかと。
          海賊のいる時代、武器を持たずに海に出たとも思えませんし。
          普通の百姓(猟師は勿論、農民や漁師まで)が弓矢を使えましたからね。
 
         59 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/05/12(土) 02:18:21 0
          彼らが弓を使えた理由ですが、古代・中世の僅かな史料と、近世以降の史料から察するに、
          海辺の村(中世にはあまり使われなかった行政単位ですが、便宜上集落を指して)も含めて、
          害獣駆除と副次的な食料確保、神事での奉仕を目的としていたようです。
          その為に、普段から修練が行われていた。
          近世の村で弓や鉄炮、鑓の使用が公的に認められていたのはそうした場合。
          「公的に」というのが曲者で、暗黙の了解下のものが相当数ありましたが。
 
     76 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/27(日) 22:38:46 0
      >>8
      >>12
      たしか平家物語なんかでも「石弓」が出てきてたと思うが
      日本でも結構普及してたんじゃないの?
 
      77 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/28(月) 01:13:53 0
       それ、クロスボウじゃないしw
       ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%BC%93
 
      78 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/28(月) 01:20:37 0
       >>8で言及されてる「石弓」もひょっとしたら投石器を指していたのかもと思う。
       「いしゆみ」という言葉がいつ弩を指すようになったのかよく知らないのだが・・・
 
       投石器の弾が人間に当たって無事で済むのかという気もするが、
       シナには「旋風砲」という一人でロープを引いて飛ばす小型の投石器があったので
       その弾なら距離と当たり方によっては軽い怪我で済んだかも。
 
       79 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/05/28(月) 02:32:56 0
        元々は投石器を指していたのが、後に弩と混同されたものです。>いしゆみ
        ただ、中世には紐を切ると石が落ちてくる仕掛けを指していました。
        多用されるようになるのは、鎌倉時代末以降だと思うので、元寇後まもなく
        というのは微妙な時期ですが、射られではなく「うたれ」とあるあたり、
        小型の投石具を指しているのかもしれません。
 
       80 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/29(火) 14:38:16 0
        時代は違うけどギリシャ軍スリング部隊がペルシャ弓隊に勝った歴史もある
        矢と違ってバウンドしたり衝撃が鎧抜けて骨折ったりするから
        投石による殺傷能力はそうバカにした物でもないと思うし兵器として当然あったと思う
        後の戦国時代でも飛石による死傷率は高かったらしい
 
        81 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/30(水) 09:45:34 0
         近藤好和さんの本によると国衙軍制時代には機械装置による「抛石」があったそうで。
 
         その頃の日本の「弩」は床子弩いわゆるバリスタを指し、
         クロスボウは「手弩」といったらしいけど
         シナでは「弩」がデフォで手持ちのものだったと。
         大型弩が先に輸入されたんだろうか。
 
 7 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/01(火) 13:28:34 0
  >>3
  やっぱりこんな恣意的な比較論をおっぱじめるバカが出るか。
 
 9 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/01(火) 14:07:10 0
  >>3
  中世ヨーロッパっていつ頃の話だ?
  下手すると西ローマ帝国滅亡以降1000年ぐらい幅があるし、
  日本の戦国時代ぐらいの頃はもうルネサンス〜近世に分類されてたりするんだが。
 
 10 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/01(火) 15:33:53 0
  >>3
  鎧って言っても色々種類があるけど、プレートアーマーが弓矢を通すとは考えられない
 
  24 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/03(木) 01:14:41 0
   >>10
   実際にフランスの騎士団がイギリスの弓兵にバタバタと射ち倒されている
 
   25 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/03(木) 08:48:11 0
    弓にやられたのは、装甲に乏しい一般の兵士じゃないの?
    フルアーマーの騎士が弓矢でやられたなんて信じられないなあ。
    もし鎧が弓矢を防ぐ事が出来ないのだったら、銃が登場するずっと以前に廃れると思うが。
 
    26 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/03(木) 09:24:32 0
     >>25
     恐らくフランス騎士団がやられたのは馬がやられたんじゃない?
     イングランドの長弓兵って1分間に5発ぐらい射つんでしょ。
     弾幕張られたら馬がやられると思う。
 
     27 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/03(木) 09:38:55 0
      そもそも百年戦争前期にプレートアーマーが普及してたのか
 
      29 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/03(木) 11:14:08 0
       >>27
       何をもって普及とするかは分からんが、
       一国の軍隊の殆どの兵士に行き渡るという意味だったら、
       ヨーロッパ史上、皆無。
 
14 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/01(火) 17:06:34 0
 弓矢は武器として、何世紀ごろまで第一線で活躍できたのかな?十八世紀ごろまで位か。
 
 15 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/01(火) 20:01:39 0
  地域による
 
 16 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/01(火) 20:26:13 0
  イギリスのロングボウは少なくとも17世紀までは使われていたはずだ。戦争用に。
 
 17 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/02(水) 04:16:30 0
  ランボーは鏃に火薬詰めた弓を使ってたし
  シュワさんは弓でプレデター撃ってたしw
 
  ベトナム戦争では弓を使ってたらしい。
  「小火器の歴史(創生期〜19世紀末)」
  http://www.special-warfare.net/data_base/201_individual_weapons/204_01_military_rifles.html
  >弓の信頼性は高く、この後アメリカ独立戦争でも大々的に使用される。また20世紀、
  ベトナム戦争でもその静粛性からアメリカ軍特殊部隊に使用されている。
 
  たぶん今でも弓やクロスボウは特殊部隊やゲリラでは使われてるんじゃね?
 
 18 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/02(水) 08:36:52 0
  19世紀のインド大反乱、ラクナウでの戦闘の記録
 
  「シャー・ナジャフを守備していた軍勢には、通常の部隊の他に、多数の弓兵が城壁にいて
   弓矢をおそるべき威力と正確さで発射した。
 
   第93連隊のサージェントが壁から頭を上げると、一本の矢が羽飾りをまっすぐ貫いた。
   一瞬だけ頭を壁の上に出したある者は矢に脳を貫通され、箆が後頭部から1フィート以上も突き出していた。
 
   これに対して兵士たちは一斉射撃で応じた。
   一人の不運な者は身を隠すのがわずかに遅れ、遮蔽物に伏せる前に矢が心臓を撃ち抜き、
   そのまま体を貫通して数ヤード後方の地面に落ちた。
   彼は6フィートも宙を飛び、倒れ伏して石のように動かなくなった」
 
   22 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/02(水) 21:27:39 O
    >>18
    >彼は6フィートも宙を飛び、
    印度の反乱軍にはラオウでもいたのか?
 
28 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/03(木) 11:09:10 0
 ヒストリーチャンネルで実験してた事があったな>弓VS鎧
 どこの戦場だったかは忘れたけど、中世ヨーロッパだったのは確か。
 当時の弓矢で、当時の騎士鎧の平均的な厚さの鉄板を射ていたけど、
 矢じりがフニャフニャに曲がってしまって、鉄板は全然傷ついて無かった。
 その戦いでは、弓矢隊に騎士がやられてしまって全滅したという説が有力だったんだけど、
 その実験で、今までの説が覆された。
 
 30 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/03(木) 11:15:27 0
  >>28
  今までの説ってのはどんなのだったの?
 
  31 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/03(木) 11:54:45 0
   >>30
   その戦闘では、大勢雇われた弓兵部隊が、
   敵である重装備の騎士部隊を弓矢の攻撃で圧倒して勝利したと言われてたんだってさ。
   だけど、ヒストリーチャンネルの詳細検証で、弓矢による戦果は今までの説よりずっと少なく
   (なぜなら弓矢では当時の騎士の鎧を貫けなかったから)、
   実際は豪雨による泥濘に足をとられた騎士達が、密集陣形による混乱も相まって動きが取れなくなり、
   そこを軽装備で身軽な敵に次々と討ち取られたり捕虜にされた
   というのが実際ではないかと結論付けてた。
 
   32 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/03(木) 12:01:14 0
    >>31
    なるほど。それって多分クレーシーの戦いだね。
    まあ長篠の合戦とかみたいに従来の定説ってあっさり覆ったりするしね。
 
    33 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/03(木) 13:42:25 0
     クレシーの戦いだと泥濘の他にも、上り坂、落とし穴、乱杭、最後に待ち構える装甲歩兵など
     騎馬突撃しちゃいかんだろって感じですね。
 
 34 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/03(木) 18:25:15 0
  いくら重装騎兵が矢に耐えられたところで、従者なんかの随伴歩兵や弓兵が射殺されてしまったら、
  騎兵だけ生き残ってもどうしようもないと思うんだが。
 
  39 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/04(金) 20:53:43 0
   >>34
   クレシーではそういう感じでは?
 
   ニコポリス十字軍ではオスマントルコの歩兵が柵の背後から矢を放ってたけど
   ブルゴーニュとフランスの騎士が無理やり突破してたな。
 
 51 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/10(木) 04:33:19 0
  クレーシー時の馬の防御力って
  どんなもんなの
 
  52 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/10(木) 14:00:10 0
   馬用の鎧が出来たのはルネサンス頃じゃなかったか
 
   53 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/10(木) 20:15:46 0
    >>52
    ヨーロッパではね。
    東洋では小札の馬甲などがすでにあった。
 
35 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/03(木) 20:41:38 0
 日本では矢を弓の右側に置いて矢を放つけど
 西洋では弓をやや傾けて左側に矢を置いて放つよな。
 弓矢の使い方の違いによる威力の違いはあるのかな?
 
 38 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/04(金) 07:23:53 0
  >西洋では弓をやや傾けて左側に矢を置いて放つ
  「地中海式」のつがえ方ですか
 
  40 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/05(土) 01:36:34 0
   >>35
   ロシアあたりへ行くと右掛けらしい
   ttp://www.tgorod.ru/contentimage/shpak/title.jpg
 
41 名前:銃砲の歴史スレより
投稿日:2007/05/05(土) 03:14:49 0
 259 :世界@名無史さん :sage :2005/10/12(水) 03:06:44 0
  600 Krt sage 04/04/25 17:45
   さて、最後に具体的な戦闘状況におけるWilliamsによるケーススタディを紹介しつつ
   当時の鎧の総合的な防御力について考察してみる事にしよう(これまでの表を参照)。
 
   (1)mailを着用した11-12世紀の騎士の場合。
    @刃のついた武器で彼の鎧(の中の人)をdefeatするためには少なくとも200Jが必要。
     (mailと下のjackは170Jでdefeated、それ以上の分が人体を直接傷つける力となる)
     200Jは極めて力の強い男が両手で斧や剣を振るった時かろうじて可能かも知れぬ数値。
    @弓矢の場合は120Jでmailと下のpadding双方をdefeatできるが、
     これは例外的な力を持った射手の強弓でないと不可能。
     ただクロスボウなら片手用のでも可能であろう。
 
 ところで、恥ずかしい質問なんですけど弓と矢の製造工程ってどんな感じなんでしょうか?
 複合弓はどうやって合成するのか?木材からどうやって矢のシャフトを作るんでしょうか?
 
 46 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/05(土) 18:46:15 0
  >複合弓はどうやって合成するのか?
  中央アジアやモンゴルだと魚の浮袋などから作ったニカワで貼りあわせる。
  http://www.youtube.com/watch?v=yJw8ETRFhKo
 
  87 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/13(水) 22:33:22 0
   >中央アジアやモンゴルだと魚の浮袋などから作ったニカワで貼りあわせる。
 
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%BC%93
   伝統的には鰾膠(ニベニカワ)と呼ばれる鹿皮原料の膠が使われており
   和弓もニカワ使ってるよ。
 
   91 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/06/14(木) 20:48:58 0
    >>87
    wikipediaがソースはどうかと。
    信頼性もさることながら、「伝統的」とは言っても、
    何時頃からどんな史料で確認できるのかが分かりません。
    時代や地域を問わない和弓の例としてならこれでもいいでしょうが、
    そもそも本当なのか(あからさまにあやしい話でもなさそうですが)。
 
 88 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/14(木) 01:35:52 0
  朝鮮ではモンゴル式の合わせ弓を使っていたらしいが
  漠北の草原地帯と気候が違うためか、保管に注意しないとニベが湿気を吸って破損しやすかったそうだ。
  日本の気候だともっとそういう危険が高そうなものだが漆塗りなどで防水していたのが効果的だったのか。
 
  89 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/06/14(木) 19:27:54 0
   湿気の多い日本でも弓にニカワは使っているし、
   地中海世界でもニカワは使っていますよ。
 
  90 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/14(木) 19:34:28 0
   >ニベが湿気を吸って破損しやすかったそうだ。
   モンゴルにニカワの防湿技術がなかっただけと思われ。
 
   92 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/14(木) 21:06:17 0
    >>90
    オスプレイ・メンアットアームズの「インドのムガル帝国軍」によると
 
    「中央アジア由来の強力な合成弓はインドでも千年来知られてきたものだが、
     現地の気候ではよく痛んだ。結果、カムサ(kamtha)つまり単純な弓
     ――中世イングランドのロングボウ(長弓)に似たつくりのもの――が、
     性能はずいぶん劣るのだが使われ続けた。
     ムスリム治下のインドでは、インドの気候に合った「防水型」の合成弓も発達した」
 
    実際ステップ地帯ではそういう技術は発達しなかったんだろう。
 
43 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/05(土) 10:41:46 0
 アジアは竹という便利な素材があって本当に助かったな。
 
 44 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/05(土) 11:55:18 0
  竹はそんなに弓をつくるのに向いている素材だったの?
  インドあたりでも湿度の関係で使われたと聞くけれども
 
54 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/11(金) 10:09:45 0
 「馬を射る」という当然の戦術をやらなかったのは源平合戦の頃の武士くらいだ
 後にはやるようになったらしいが
 
 56 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/05/11(金) 18:20:14 0
  >>54
  >「馬を射る」という当然の戦術をやらなかったのは源平合戦の頃の武士くらいだ
  この頃にはすでにやっていますよ。延慶本『平家物語』と『源平盛衰記』は、細部は異なりますが、
  「昔」は馬を射ることはしなかったのに、
  「中比」になった腹を射て落馬させるようになり、
  今では最初から組み合って共に落馬し、歩立になって勝負をつけるようになった
  という老武者の言葉を記しています。
  「昔」というのがよく分かりませんが、12世紀初期頃でしょうか。
 
60 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/05/12(土) 10:21:20 0
 日本史に詳しい方が来ているようなので質問したいのですが
 四方打弓って左右にも竹を貼ってなんか意味があるんでしょうか?
 曲がりづらくなって弾力性が落ちそうな気がしますけど。
 
 61 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/05/12(土) 12:21:47 0
  四方竹弓ですか。
  (マジカル頭脳パワーのように)思い浮かべて下さい。
  まず、角がとれた四角形に近い木材の断面図を用意します。
  次に、その上下(実際は前面)に、薄い竹を張り付けます。
  上下の竹の両側は、竹の厚み程度木材より長く、突き出ています。
  その突き出て出来た両側の空間に、別に竹を張り付けて下さい。
  これで、木材の四方が竹で囲まれた筈です。
  断面図では分かりませんが、この時、弓の本体はすでに湾曲しています。
  それを反対側に曲げて弓を作って下さい。
  前後は勿論、それに挟まれた両側の竹も曲がり、しなりが生じます。
 
  62 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/12(土) 14:00:53 0
   >>61
   レスありがとうございます。
 
   前後の竹は ←|→ このように曲がるのに対し
            ↑
   両側に挟めた竹は | こういう方向なので曲がりにくそうに思えたのですが
            ↓
   実際には反発力を強化するのに役立ってるということなんでしょうね。
 
67 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/05/15(火) 21:01:50 0
 縄文人がどうやって弓を考えたか気になるところ
 
 68 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/16(水) 01:23:13 0
  考えたというか持ってきたんじゃ
  でもマンモスハンターとかの時代だと投槍かな?
 
  69 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/16(水) 15:42:00 0
   弓は鹿とかもうチョイ早い獲物を取るようになってからじゃないか?
 
 70 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/17(木) 07:35:23 0
  「ブレイブハート」で丸木弓をもったメル・ギブスンが足音を殺して鹿に忍び寄るシーンは
  ヨーロッパ人の原像を見たような気分になる。
 
82 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/05/31(木) 23:13:06 0
 第一次大戦中にイギリス軍がフランスで敗走していたとき
 アザンクールの戦いで死んだ長弓兵部隊の亡霊が現れて
 危機を救ったという伝説があるそうな
 
 83 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/01(金) 20:53:19 0
  アジャンクールのイギリス側の被害はどれだけのものだったのか
 
  84 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/02(土) 01:30:30 0
   ウィキペの英語版によると100〜250だってさ。
   「但し実際にはもっと多かった可能性もある」と。
 
   85 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/02(土) 08:07:26 0
    その戦いがいつのか知らないけど 
    亡霊が大昔の人だとイングランド人は助けてもスコットランド人は置いていかれそうだな
 
 86 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/06/03(日) 13:28:51 0
  >>82
  それはアーサー・マッケンの小説「弓兵」が元になった有名なデマ。
  「アーサー・マッケン作品集成3」の解説に詳しいと思う。
 
93 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/15(金) 10:26:28 0
 半島はモンゴルに征服されるまでは丸木弓を使ってたの?
 
 99 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/06/16(土) 20:17:51 0
  >>93
  刀伊など満州の狩猟民族が合成弓を使っていたようだし
  高句麗の壁画にも騎馬民族式の彎弓が描かれてるから
  あの辺に合成弓を持ってきたのがモンゴルということはないと思うが。
 
  ちなみに現代の朝鮮弓術では周礼・考工記にある製法に則って作った弓を用いる、と何かで読んだような。
 
 100 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/16(土) 22:04:39 0
  日本書紀で高句麗が角弓を献上したとあるな。
 
101 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/17(日) 14:16:06 0
 刀伊は日本側の弩に敗北
 
 102 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/06/17(日) 16:04:18 0
  新弩に敗北したのは9世紀末の新羅海賊です。
  11世紀初頭の対刀伊戦では、おそらく丸木弓に対して大陸式の合成弓を使用されたのでしょう、
  威力は刀伊側の方が大きかった。
  しかし、新興の私営田領主の兵(つわもの。11世紀末に在地領主としての武士が誕生する)たちが参集して
  撃退しています。
  日本側の鏑矢の音に刀伊たちは動揺し、戦況は有利に進んだと。
 
  104 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/18(月) 09:13:36 0
   モンゴルあたりでも鏑矢は使ってたらしいけど(動物を驚かせてその隙に射たとか)
   満州には伝わってなかったのかな?
 
   ドイツ騎士団のクロスボウ部隊も鏑矢を混ぜて曲射してたとか・・・
   威嚇効果はあったらしいけど
 
  105 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/18(月) 09:14:54 0
   ↑よく考えると「動物を驚かせてその隙に射た」は日本の話とごっちゃになってたかも・・・
 
   106 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/18(月) 10:45:53 0
    ドイツ軍のスツーカが急降下爆撃するときに羽に付けたサイレン鳴らしながら
    ものすごい音で急降下したのと似たような効果かな?
    やられた方はすさまじい轟音と恐怖でろくに動けなかったそうだ
 
    107 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/18(月) 13:45:44 0
     >>106
     実際>>104のについて書いてあったエッセイでもそれに例えてました。
 
     108 名前:107[sage] 投稿日:2007/06/18(月) 13:51:30 0
      45度の角度で発射するとほぼ垂直に敵の頭上に降り注いだそうです。
 
109 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/20(水) 12:20:32 0
 ところで「矢の雨を降らせる」なんて表現があるけど
 弓矢ってどのくらいの制圧力なんでしょうね?
 
 兵員の一割も装備して無い気が・・・
 
 110 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/20(水) 14:09:37 0
  >兵員の一割も装備して無い気が
 
  それは中世ヨーロッパの話で?
 
  111 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/20(水) 15:35:11 0
   ごめんなさい 中国のつもりで書きました。 
 
   112 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/06/21(木) 01:53:43 0
    中国だと、明の洪武帝の勅令で定められた歩兵百人のユニットの内訳は
 
    槍手 40名 弓手 30名 刀牌手 20名 銃手 10名
 
    銃と合わせて飛び道具が4割くらい
 
    113 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/06/21(木) 10:15:14 0
     遊牧騎馬民族なんかだと弓装備率100%とかあってもおかしくない。
 
     116 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/07/01(日) 17:17:15 0
      >>113
      漢字「夷」の字源は「大+弓」。
      弓を常時背負った大(人間の姿) = 遊牧民・狩猟民の意味
 
      119 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/07/02(月) 01:25:18 0
       >>116
       「夷」はもともと東方の異民族で
       遊牧民などは北狄では?
 
117 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/07/01(日) 17:26:11 0
 合成弓はいろいろな材料組み合わせて作った弓のことで騎乗で射る弓のことじゃないぞ
 日本の弓はロングボウ主体で足軽弓と呼ばれるもの。
 南北朝時代に発展して戦国期鉄砲が主力になるまで使われたその後補助兵器。
 この足軽弓は元寇時代の弓よりはるかに飛ぶ。
 騎射を過去のものにして槍騎兵の突撃にもある程度対応出来るようになった。
 
 118 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/07/01(日) 20:23:39 0
  >槍騎兵
  近藤好和さんのいう「打物騎兵」のことかね?
 
  120 名前:山野野衾 ◆CXSSL1llHI [sage] 投稿日:2007/07/04(水) 00:21:35 0
   >槍(ホコ)騎兵の突撃
   なんてありましたか。
   近藤先生が紹介された馬上での長柄の使用も、騎馬武者同士の一騎打ちに使われていたものですが。
   『結城合戦絵巻』に見えている、木戸への突入のことですか。
   「足軽弓」というのも聞きなれませんが、三枚打弓のことでしょうか。
   それなら、使用者は雑兵に限定されませんでしたが
   (重藤の弓は南北朝時代が終わる頃には式正の弓になっている)。
 
   >騎射を過去のものにして
   南北朝時代に歩兵(騎馬の従卒ではない独立した兵たち)に対抗するために
   下馬戦闘が登場したのは事実ですが、騎射自体はこの後も続いています。
 
   威力の高い弓が出て来たから騎射が過去のものになったというのも納得できない話で、
   通常は弓の威力ではなく、ゲリラ戦を得意とする歩兵に対処するために
   下馬して戦うようになったというものであった筈。
   合成弓の登場は、12世紀の前半頃のようです。当初は伏竹弓。
   その後、12世紀末から14世紀までの間に三枚打弓が登場し、
   四方竹弓、弓胎弓へと受け継がれましたが、丸木弓も引き続き使用されました。
   しかし、それと騎射や「槍騎兵の突撃」を絡めた研究は初耳です。
 
121 名前:世界@名無史さん 投稿日:2007/07/05(木) 20:25:03 0
 スレ違いもいいとこだが日本で西洋的な意味でのランサーが現れたのは幕末じゃなかろうか。
 「幕府騎兵組の図」なんか見ると密集隊形の騎槍突撃やサーベルの抜刀突撃などを訓練している。
 
127 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/07/28(土) 21:33:37 0
 百年戦争についての本なんかでよく、イングランドの長弓は引くのに必要な力が何lbで
 発射率は毎分何発、なんて記述があるけど、ああいうのは眉唾ものじゃないんですか?
 個人差を考えれば腕力の強いヤシはより強い弓を使うだろうし何発も多く矢を飛ばすと思うんですが。
 普通に考えて。
 
 木製の弓の現物が大量にあって統計的データを取れるとも思えないし。
 
 128 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 00:44:10 0
  個々人の能力によってどれだけの差が出るのかはわからないけど
  たしかにどうやって数値を求めているかは気になるね
 
  129 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 09:49:39 0
   単一材だから長さと素材となる木の種類が分かれば張力も割り出せるんじゃないかと思う。
 
  130 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 18:03:52 0
   百年戦争の場合、ロングボウの大きさ平均170cmくらいで見積もってるんじゃなかったっけ?
 
  131 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 19:20:00 0
   組織戦闘の場合は補充も考えて弓も規格化してたりとか??
 
   132 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう 投稿日:2007/07/29(日) 20:15:20 0
    オスマントルコなんかでもそんなことが言われがち
    イスラムの弓は合成弓だからヨーロッパの丸木弓より強力だとか・・・
 
    >>130
    Wikipediaによると1.2〜2.11mというところらしいですね
 
   133 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/07/29(日) 22:49:17 0
    張力なら義経が命がけで敵前回収した弓がどれくらいしょぼかったのか知りたいw
 
   135 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/06(月) 18:34:05 0
    >>132
    合成弓が丸木弓より強力じゃないならどうして日本人は丸木弓に竹を張って強化したのかと
 
    136 名前:世界@名無史さん
投稿日:2007/08/21(火) 09:33:41 0
     合成弓がすべて丸木弓のもっとも強力なものより性能が高いとは限らない。
     >>19氏あたりも書いているとおり丸木弓も長くすれば威力が高まる。
 
     137 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/21(火) 19:29:49 0
      理論上はそうだけども
      そんな合成弓はわざわざ作る意味が無いからなあ
 
      結局使われた合成弓は丸木弓よりも総じて性能がいいんじゃないの?
 
      138 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/22(水) 00:10:43 0
       結局のところ弓の威力は射手の身体能力で決まる。
 
       139 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/08/22(水) 08:55:41 0
        中国の弓術書でも、自分の腕力では引けない弓を無理して使うな、などと書いてある。