魏は統一可能だったのか 適当にまとめ
引用元スレッド
つ『三国志曹操伝』(それを証拠というのかお前は。)
1 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/06(月) 19:44:04
最強の国力を持ち豊富な人材を持っていた
そして、他二国も大したことないのに結局滅びてしまった
元々、統一は無理だったのか
3 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/06(月) 19:49:37
無理だろ
結局、蜀も呉も相応の勢力だった
2 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 19:46:23
西晋は制度からしても魏を踏襲、或いは劣化させた国家だから
司馬炎が禅譲劇を起こさなければ魏は中華を統一することが可能だった
4 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/06(月) 19:52:26
制度に問題があったから乗っ取とられた俺は考えている
司馬家が権力を掌握しなくても他の者に専横されて
内部から瓦解していくのでは
5 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/06(月) 19:58:49
そもそも司馬イはいつ野心に目覚めたんだ?
曹操や曹丕の時代からそんなことを考えていたとは思えんのだが
曹爽が司馬イを追い落とそうとなんかしなければ司馬家の乗っ取りなど起こらず
魏のまま統一に向かったんじゃないか?
6 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 19:59:45
司馬に権勢が集まってしまうのが悪いなら
戦犯は文帝だな
7 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:00:04
>>4
制度というより、曹芳以降の皇帝に権力がなさすぎた
しかし皇族の権力を強化すると西晋のように乱が起きる
8 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/06(月) 20:02:45
皇帝がすぐにお飾りになってしまった国に未来は有るのか
9 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:03:11
統一事業を徹底に貫徹すべきだったな。
結局、一枚岩の大国でなければ内部から崩壊していく。
10 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/06(月) 20:04:50
仮に魏が統一したら異民族を退けられたのだろうか
12 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:07:33
曹丕の治世には見るべき業績があった。
董卓が乱発した悪貨を完全に駆逐できたのは曹丕の代だし、
長らく断絶していた西域との通商が再開されたのもこの時。
統一事業の基礎になるような統治はしてるんだけど、
重臣に権力が行くような方向に進んじゃったからなあ
13 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:09:47
天下を統一したわけでもないのに巨大な門閥が出来たのも致命的だったな。
魏はやはり内部崩壊する運命だったと思う。
14 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/06(月) 20:11:02
曹爽が司馬家を完璧に追い落としても
その後の貴族社会が早まるだけじゃないか?
で統一する前に皇族から権力は遠ざかり外征は権威付けに利用される
統一する前に皇帝が変わるな
16 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:15:02
>>14
曹爽は皇族だし、夏侯家の中にも親しかった者は多いから
魏という外郭は変わらない気がする
或いは曹芳から曹爽の家に帝位が移ったかもしれないが
21 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/06(月) 20:20:43
>>16
たしかに曹爽は皇族だが名声を重んじて名士ばっか集めてたろ
その後の展開をみても曹爽から実権が離れて
貴族した奴らが実権を握ると思うんだが
そうなれば別に曹家が皇帝じゃなくても言い訳で
22 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:22:52
>>21
曹爽が握ってた実権の強大さを忘れてる
自分は軍政の統帥権を握り、
弟達に中領軍・中護軍として禁軍を総督させてるんだぞ
この権力はそうそう離れない
23 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:22:54
青州黄巾兵は曹丕、曹叡時代も居たのかな?
曹操軍の精兵であった彼らなしでは天下を狙えるか分からんかも。
24 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:24:19
>>23
青州黄巾兵は去ってたけど、
魏軍の精兵といえば匈奴や烏丸から連行してきた騎兵だよ
26 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:31:21
>>24
既に異民族に政権持ってかれるのも運命だったのかもな
27 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:32:27
どんなに異民族に征服されても
「中華」の概念がなくならないんだからあの国はすごい
29 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:33:34
>>27
異民族も中華の文明を大事にしてくれたからな。
32 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 22:18:22
>>26
匈奴とかもともとかなり中国側に入り込んではいたけど、
こんな大々的かつ積極的に使ったのは曹操からだからな
で、異民族は小作とか奴隷とか兵士とかの安い労働力として使われ、
不満が溜まって爆発した
「天下」の概念と、 「華夷思想」による己の優越と、 「朝貢システム」による周辺諸勢力との外交によって、 軽く見ても2000年強は東アジア一帯の旗手足りえたのは驚異的ではある。 更に圧倒的な版図に基づく人口と生産力を背景にした国力は、近隣諸国を圧倒し、 王朝は変われど、常に政治的にも文化的にも大なり小なり影響を与え続けていた。 いや、本気で18世紀前半ぐらいまではこの国無敵だわ。 現在のお米印のリアルチート国家に通じるモノがある。 (欧州が東洋に対して完全な優位を確立したのは産業革命以後) つか、幾度と無く北方〜西方異民族の侵入を受け、 数度に渡って国土の過半〜全土を異民族支配下に置かれながらも、 独自文化というべき代物を保ち続け発展させてきたのは本気で敬意を表しないでもない。 ……まぁ、今となっては忠実な属国共々近くにあって欲しくない国TOP3な訳だが。 いや、昔は随分お世話になったのは重々理解しているけどね。
15 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:11:32
曹丕もまさか自分があんな早く死ぬとは思ってなかったし
まさか息子がさらに早く死ぬとは思いも寄らなかったんだろうな
どちらかがせめて曹操くらい生きれば
あるいは統一に向かったんじゃないか?
17 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:15:09
>>15
無理だよ。
あの時点で曹操は66。
しかも、寿命か病没ならあそこが限界ということ。
18 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:17:55
>>17
じゃなくて、曹丕か曹叡が夭折せずに曹操ぐらい生きればってことでしょ?
19 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2008/10/06(月) 20:20:20
>>17
俺が>>15で言いたかったのは>>18の言う通り
20 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:20:41
>>18
それでも無理だろう。
曹丕、曹叡がそこまで特別な存在には見えないしな。
31 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 21:11:24
>>20
別に特別じゃなくても統一出来るんじゃね?
二人とも平凡ではないわけだし
圧倒的国力で二国の急所をじりじり攻めればいいんだし
晩年の曹叡みたくならないで長生きすればいいんでね
33 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 00:07:24
>>31
しかし、あからさまな力押しに出ると蜀呉はここぞとばかりに同盟。
堅牢な地形を盾にふんばって、最悪の場合になると魏は兵を大量に失うだけ
という結果にも繋がりかねないぞ。
35 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 00:38:26
>>31
そもそも、圧倒的というほどの差ではないよ、彼らの時代では
実際に、魏の内部においても積極的攻勢よりも消極的なそれが主流だったんだっけか。 まぁ、北方・西方・東方に辺境地域を抱え込み、 謂わば『周りは全部潜在的/顕在する敵』だった魏国にとっては、 蜀の七倍/呉の倍以上の国力でも厳しいところだろう。 蜀+呉:魏だとまだ勝てるが、蜀+呉+匈奴その他:魏だと不利ってレベルじゃないし。 つまりは蜀と呉が互いに防衛協定を結んでしまうと、 負けはしなくても勝てない膠着状況は生み出しかねない。 ……そこまで考えた際に、蜀としては呉に荊州を売り渡してでも、 魏の国力を削ぐ+蜀・呉同盟を堅持する事こそ護国の道だった訳だが…… そもそも、天下三分の計自体が中原の覇者の優位を認めた上で、 他二国によってそれを牽制し、トップが弱ったところで相方を出し抜くって戦略だしさ。 (トップが弱らなければ弱らないで、弱るまで待つって寸法だし。) まぁ、内部政治的に諸葛亮には荊州切捨ては出来なかったからなぁ。 (蜀内の孔明シンパは荊州閥が中心だった……んだっけか。 某登山家を重用したのもそれが原因だとか。)
37 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 01:02:53
>>33
でも曹丕が呉を攻めた時は江陵を陥落ギリギリまでに寄ったりして
呉の防衛ラインも徐々に下がってるから
ジリジリと南下すれば多分高い確率であのまま長江を渡ることができただろう。
よく拮抗してるとか言われるが
人口比と開発の進み具合で行ったらやっぱりかなりの差があるから
遠征難を考えても時間さえかければ十分可能だった。
やっぱり文帝の早死にが問題。明帝も40いかないで死んじゃってるし…
他の兄弟も早死にだし曹操が66まで生きたのが不思議なくらいだ。
まあ三国時代がそもそも確認しうる人口が他の時代に比べてかなり少ないから、
大軍を動員して一気に決めるのは難しかっただろうね。
戸籍が激減してるってことは流民が激増してるってことで、
それだけ安定してない時代ってことだから。
38 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 01:35:02
>>37
でも、曹丕が呉を攻めた時って蜀呉戦争後で蜀が黙ってて呉も戦後という、
魏からすればかなり条件のいい状況だったはず
それでも攻めきれなかったというのはあの段階での魏の限界だったんじゃない?
時間をかければというが、その時間は数十年という単位だったということだよ
やはり、赤壁で失ったものは大きかった
42 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/07(火) 09:46:49
>>38
呉より蜀を攻めた方がよかったんじゃね?
夷陵後だとどうしようもないぜ。
39 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 04:32:28
>>38
おいおい、赤壁は魏の大敗というよりは戦術的撤退だろ。
水上戦が不得手な魏の主力部隊が戦闘不能になっただけ。
魏の統一が不可能だったという結論を出すのなら
やはり着目すべきなのは門閥だと思う。
豪族が門閥や貴族階級を形成すると
絶対的な皇帝権を確立して政権を掌握する事は難しくなる。
魏は元々が袁氏のような巨大な門閥ではなく、
曹操・曹丕という個人のカリスマ性に依存した統治機構。
だから皇帝権の源泉が個人の資質に依存していたため、
資質的に疑問の残る幼帝が即位すると王朝の崩壊が起こるんだろう。
同様の統治機構を取った晋が早期に崩壊してしまった事を見ても、
個人のカリスマに依存した統治機構だと、
初代(+十分な実績を持つ2代目)が死んだ時点で
統一事業が完成していなければ、
皇帝死亡時点での最大版図がその王朝の最大版図になりかねない。
その後は有力門閥が派閥を作って皇位継承争いが起こるか、
皇帝権を蚕食しながら有力者が簒奪の機会をうかがう。
こうなりゃ王朝は実質崩壊したのも同じ。
だから、偶然のイタズラで孫権と劉備が堅牢な地で割拠してしまい、
歴代皇帝が二正面作戦を取らざるを得なくなった上
2代目の寿命が短かったのは魏にとって決定的なダメージを与えたと思う。
40 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 07:49:56
>>39
俺は赤壁の戦は大敗で兵の損耗だけでも大問題だったと思うが、
むしろその後江陵まで失ったことの方が大きいと思っている
戦術的撤退だけなら江陵で孤立する曹仁を助け切れず、
また劉孫が荊州をめぐって対立を始めた時でさえ
荊州にノータッチというのはちょっと考えにくい
長期的な計画での統一を考えていたなら、
赤壁前の段階でカクの消極策を取り上げなかったのは辻褄が合わない
それまでは一気呵成に統一へ向かおうとしていたが、
赤壁で頓挫するとその後はトラウマでもあるかのごとく荊州には兵を進めず、
孫権と劉備による割拠を許してしまった
赤壁での敗戦がさほどのダメージでなかったんだとしたら、
荊州放置は統一を目指す上で致命的な戦略ミスだ
41 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/07(火) 08:03:44
>>39
土地を放棄するのは戦術的撤退とは言わない。
撤退の判断自体は船が焼かれ進撃出来ないし、
疫病で士気の維持が不可能だから妥当。
どの程度周ユ、劉備に殺されたかは分からないが、
統一目前から江陵が維持できないレベルまで落ちるというのは、
かなり不味い敗戦だったということだろう。
28 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:32:48
ことの発端は曹操が文徳郭皇后を曹丕の側室のために連れてきたきたことか・・・
30 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/06(月) 20:35:25
曹叡がちゃんと後継を引き継けばなあ
36 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 00:59:07
曹丕は呉に攻め入ったものの惨敗を喫した。
曹叡は呉蜀からの進撃を防ぎ守備オンリー。
曹叡が的確な攻めに転じたら曹丕のようには行くまい。
43 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/07(火) 12:09:07
漢中を失ったのが地味に利いてる
それなりに体制整ってたら漢中を落とすのはなかなか困難
48 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 14:11:17
攻める攻めるとあるが
兵糧がさすがに持たないだろ。戦というのは金がかかるもんだぞ
49 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 14:13:12
じゃあ呉を散発的に攻めるのも駄目じゃん。
51 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 16:56:34
というか赤壁の被害云々言うがいかんせん記述が少なくてようわからん。
ただ魏にとってそれほど致命的なら
もっと詳しく被害状況がのってるであろうことは確かだ。
つーか江陵がスグに陥落って言っても一年以上粘ってるし
逆に言うなら救援がなかったってのは確かに不自然だがな。
ただそれほどの大敗ならそれこそ一気に中原に進出できた気もするが。
どれだけのものだったのかは判断は下せないと思う。
魏が攻め切れなかったのは
曹丕の早死にだとか疫病や河の凍結とか色々理由があるだろうが
それより何より人口が少なすぎる。三国合わせても戸籍人口700万とかアホかと。
だいたい前漢の一番多い時期で6000万、
後漢の始めでも2000万いるからどれだけ食いっぱくれや死人が出たんだよって話。
こんなんで大国を維持しながら大河や山岳を越えて
戦争やりましょうってのがムリな話だ。
後々になって統治体系がグチャグチャになってから
やっと統一を見たのもコレならうなずける。
だから諸葛亮や曹丕がやろうとしてたのは相当にタフな事業だ。
孫権のほうが当時的には遥かに現実的だったかもしれない。
孫権もなんで?って思うくらい合肥に拘ってるけどな。
アレは蜀との連携とかだったんだろうかね。
77 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 21:05:42
>>51
>ただそれほどの大敗ならそれこそ一気に中原に進出できた気もするが。
いや、呉は赤壁の年にやっと江夏の黄祖を倒したという段階だったのが、
江陵まで進出した それだけでもかなりの進展だ
敗残兵だったはずの劉備は言うまでも無い
一気に中原はいくらなんでも孫権・劉備を過大評価で曹操を過小評価だよ
52 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 17:37:46
>>51
その通り。
曹操死後司馬が呉を滅ぼすまで60年。
そのくらい国力を回復する作業に時間が必要だったこと。
とにかく生産人口が少なすぎて、
民屯政策で労働人口増やしながらの軍事行動は大変だったと思う。
曹操が内政全部お任せで、戦争屋に徹したら一代で統一できたかもなー
53 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 18:52:25
つまり中国そのものが疲弊しきっててどうしようもなかったという事か。
54 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 19:06:55
>>52
無理じゃないか?
曹操はそこまでの戦争屋じゃない上にあまり戦も上手くない。
56 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 19:21:45
>>51
>孫権もなんで?って思うくらい合肥に拘ってるけどな。
アレは蜀との連携とかだったんだろうかね。
単純に安全保障と戦略上の問題。
漢中≒寿春
剣閣≒合肥
綿竹≒濡須
成都≒建業
と見れば合肥を占拠されたままなのが如何にヤバイか分かるかと思う。
それより上流の勢力に夷陵〜江陵を占拠される方がヤバイというのも分かるが。
>>54
誰と比較して戦上手とか戦下手とか決めんの?
まずそこからだ。
57 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 19:28:03
>>56
曹操の窮地を救ってきたのは数々の名臣達の的確な助言だろ?
ブレーンなしでは曹操は戦えないよ。
59 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 19:42:52
>>57
それって戦略のアドバイスの段階の話だしな…
戦の指揮をしてたのは基本曹操
62 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 19:50:21
>>57
別にブレーンありでもいいだろ。
結果出すのが戦上手。
過程がかなりヤバイのは同意するがそんなもんだ。
58 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 19:38:05
ブレーンの指示を合理的に判断して実行に移せるわけですね、わかります。
それともあなたの中の戦上手って参謀に意見を求めないようなヤツなんですか?
60 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 19:44:03
>>58
つ孫武、韓信、李靖
64 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 20:01:29
>>60
それは戦上手じゃなく軍神のレベルだ。
ついでに呉起と白起も入るだろうが。
61 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 19:46:31
曹操は漢中で劉備に敗れ
赤壁、濡須でも呉に惨敗
アウェーには弱いんじゃねえの?
63 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 19:53:12
ってことは対蜀、対呉戦はキツそうだな。
過去に結果で負けている上、強引にニ方面の南征ってのもな。
65 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 20:04:24
つうかブレーンの意見取り入れたらダメなんていう電波は
さすがに釣りだと思いたい
いくらなんでもそこまで三戦板のレベルがそこまで低いとは…
>>60
曹操はただの軍人ではなく政治家でもあるしなにより勢力の代表だから
やっぱ幕僚の進言を聞かないなんてのはスタンスからいっても考えにくい。
>>61
曹操の場合侵攻戦が多いからそれはない。
アウェーというと広義だから遠征とか地理条件が悪いと弱いとかいう方が正しい。
でも烏丸や関中征伐では勝ってるな…
山や湿地みたいなぐずつくような長期戦がヘタ?
でも官渡は粘って勝ったからな。
単純に歳食ったらボケたんじゃねえかw?
66 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 20:08:24
>>65
アウェーに弱いどころか曹操は窮地に強いタイプ
ただ自軍の方が優位にあると気を抜いちゃうんじゃないか?
67 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 20:09:08
しかし、北と南は環境もかなり違うからな
北国出身の魏軍は健康面での苦労もハンパじゃないと思う
その上、決断力のある参謀も多い蜀や呉を
官渡と一戦と同じようには見れないだろう
68 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 20:15:53
官渡は袁紹がアホすぎて負けたようなもんだ。
あれは普通に参謀の意見を聞いてたら袁紹軍圧勝の戦だったね。
69 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 20:17:25
>>65
粘るのは得意でも粘られるのは苦手かも
>>67
公孫賛を破ったり烏丸突騎を組み入れたりしてた
袁紹軍を過小評価してるよ。
華北勢力は袁紹存命中は
曹操も警戒して手を出さなかったくらい強いしな。
72 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 20:28:16
ただ長江を越え不慣れな中原に出てきて
曹操不在とはいえ勝てるかという不安もあるが
本拠地にどれくらい兵がいたかによるけどな
>>68
ある所では参謀の意見聞かなきゃ駄目だというヤツもいれば、
聞いたら無能だというヤツもいる。
どっちを基準に考えればいいんだろう?
71 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 20:24:32
>>68
許ユウが裏切らなきゃ普通に圧勝。
73 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 20:32:11
田豊の意見無視して勝った界橋もあるしな。
>>71
んなこといったら赤壁で疫病が流行らなかったら…
水上での遭遇戦がなかったら…
なんていうことも言える
そのテの論議はどうどうめぐりだ
74 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 20:35:08
>>73
昨日今日荊州を落としたばっかで既に攻勢限界に達してる赤壁と
兵力の少ない方が途中まで補給切れしそうだった官渡を一緒にすんのはどうかと。
75 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 20:56:13
>>74
そりゃまた別の要因だろう
疫病やら遭遇戦やらは不確定要素というしかない。
それにそれだったら結局
袁紹が許ユウだけ特別待遇にしてりゃよかったとか
って話になっちゃうし。
79 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 22:14:05
赤壁に関しては「与将軍会猟於呉」とか
事前に余裕かましてるし
単純に曹操の失態でいいと思うけど。
80 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/07(火) 22:29:35
それは余裕云々じゃなくて降伏勧告のためのカマかけだろw
81 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/07(火) 23:45:33
赤壁前の段階って天下統一の最大のチャンスだったと思うよ、
曹操から曹叡までの期間の中では
だからこそ、カクが述べたように荊州で一旦腰を下ろしておくべきだったんだろう
急がば回れ、だ
83 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 04:30:12
>>79
いわゆる降伏勧告は偽書説があり、その可能性は高いと思う
南征の目的は劉備で、劉備を深追いし過ぎて孫権の水軍と出くわしたのが赤壁
余裕はなかったと思われ
84 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/08(水) 06:43:08
唇歯輔車というかあそこまで劉備を追い詰めると次は孫権以外ありえない。
当陽の戦いはgjだが劉備を取り逃がしたことは痛かったな。
85 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 13:26:14
劉備劉備言っても、荊州における影響力をほとんど奪った以上は
単なるゲリラ勢力に過ぎないわけで、
そこまで討伐にこだわっていた理由がよく解らない。
結局アルカイダとの関係を名分にアフガン・イラクを攻めたみたいなものだろ。
南征の目的は元から荊・揚の覇権にあり、実質的な統一の確立にある。
86 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 14:00:29
>>85
演義厨が、劉備の存在なしに赤壁を語ってもらいたくない戯言だろ。
そもそも劉備なんて曹操がいるから生まれたような存在で。
曹操の掌の上で動かされて一生終えたようなもんだから。
史実の中ではいようといまいとまったく関係ない。
三国志の物語としては一色添えてるけどね。
87 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 14:25:40
>>85
>荊州における影響力をほとんど奪った以上は
単なるゲリラ勢力に過ぎない
・荊州豪傑帰先主者日益多、表疑其心、陰御之。
・蒴左右及荊州人多帰先主。
・先主斜趨漢津、適与羽船会、得済沔、
遇表長子江夏太守蒅衆万余人、与到夏口。
・劉表吏士見従北軍、多反来投備。(江表伝)
>そこまで討伐にこだわっていた理由がよく解らない。
・公将自東征備、諸将皆曰、
「与公争天下者、袁紹也。今紹方来而棄之東、紹乗人後、若何?」
公曰「夫劉備、人傑也、今不撃、必為後患、将生憂寡人」
・曹公以江陵有軍実、恐先主拠之、釈乃輜重、軽軍到襄陽。
・公曰「劉備、吾儔也。但得計少晩。向使早放火、吾徒無類矣」(山陽公戴記)
88 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/08(水) 14:37:04
>>85-86
魏マンセーにしろ蜀アンチにしろ
劉備を不当に軽んじるのは、曹操の判断と対応を軽んじるのと一緒な訳だが
そこらへん分かってるのだろうか?
92 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 16:29:40
>>88
べつに曹操だろうと劉備だろうとどっちでもいい
が、状況を考えれば考えるほど
曹操が劉備に拘った理由がわからないから何でかなあ?って皆言ってるんだ
いい加減単なる好き嫌いで語るのは卒業した方がいいよ。
94 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 17:01:14
>>92
単なるゲリラ勢力なら戦後に南半分に割拠するなんてことは出来ないだろ。
そもそも劉ソウの降伏を期待してなかっただろうし、
揚州の覇権まで曹操が視野に入れてたとは思えん。
>いい加減単なる好き嫌いで語るのは卒業した方がいいよ。
同意はするが、言う相手を間違っている。
96 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 17:11:43
>>94
だってマンセーだのアンチだの言ってたのは>>88氏だからね。
まあ>>86氏の言い分も乱暴なものだが
でもあの時は劉備個人にというよりは荊州の支配が目的。
その荊州が簡単に手に入ったんだから、次に目を向けるのは当然呉だろう。
そのためには荊州の支配を安定させる事が第一で、
劉備は二の次という判断になる。普通ならそうじゃないか?
この時の劉備は文字通りほうほうの体だからね。
とっておきの騎兵まで繰り出して猛追する必要が感じられない。
97 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 17:29:54
劉備追撃やその他諸々に深い理由はなくて
毎度おなじみ曹操の行き当たりばったりなだけな気もするけど…。
98 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 17:34:04
たしかに>>96の言い分はまったく正しい
しかし曹操には俺たちには見えていなかったものが見えていた可能性もある
(たとえそれが妄想でも)
曹操は直接劉備を知っていたし、何より関羽を知っていた。
後年関羽が攻め上がって来た時に遷都を考えるくらい関羽を買っていた曹操は
その関羽を従える劉備の可能性を恐れていたんじゃないか
あるいは関羽にフラれたことを根に持っていたか。
何しろ人材を愛でることで知られた劉備だからさ。
それに実に結果論だけで言えば、あの時劉備を始末しておけば
後年漢中で夏候淵を失うことはなかったわけだし、
曹操の判断がまったく間違ってたわけでは……ってのは穿ちすぎかw
99 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 18:03:55
>>96
アンチだのマンセーだのと言われるのが不当だと言うなら謝るよ。
>>85の分析が荊州名士の動向を無視して「影響力を奪ったゲリラ」
としてるから何らかのバイアスがかかってるように見えた。
汝南あたりなら正にその通りだろうが。
また、あのまま放置してたら江陵以南を奪われる可能性がある以上、
曹操の追撃の判断も間違ってはいない。事実結果は圧勝だしな。
赤壁前後でも曹操の年齢は50オーバーだし、
じっくり構える余裕がないのも事実。
その年代の人間が後10年は生きれるなんて前提で行動はしない、
と考えても別も不自然ではないかと思う。
100 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 18:12:12
>>96
正史を見れば曹操が必要以上に劉備の才能を買ってるのは判るだろう。
劉表は曹操に対して大した戦意は無かったが、
劉備は曹操の背後を突くようしつこく主張してるし
曹操もたびたび兵を送って劉備と交戦してる。
武帝紀の赤壁のくだりも劉備によって敗退したことが書かれてる以上、
この時の目的は劉備であったことは明白。
劉備を深追いしたのは江夏にある銅山目的という説もある。
荊州を安定させるなら目的は達成してるし、
呉と会戦するつもりならあんな強行軍普通はしない。
103 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/08(水) 22:22:14
荊州が降伏といっても、それは劉ソウのことであり、州全体が降伏してはいない
まして、劉表が荊州全域を完全に掌握したといえるのは最近のことで、
突然の支配者交代を皆が受け入れるとは限らない
名士も軍人も豪族も民も、曹操に完全に心服もしていないし
心を折られたわけでもない奴の方が多かったと思われる
それが諸葛亮の襄陽攻め建策であり、劉備への流民結集であり、王威の奇襲発言ということだ
そこに、劉表の時代にすでに存在感を発揮していた劉備が残っているというのは
占領する曹操にしてみれば重大問題だ
焦り気味なまでに劉備を追うのも無理は無い
115 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/09(木) 11:25:50
でもまあ魏は天下統一に実際に失敗してるしなあ。
それだけの実力があったかと言えばあっただろうね。
荊州持ち&イリョウの戦いまでの蜀にもあったかと言うとちょっと未知数だろうな。
呉に関してはどうなんだろう。
個人的には中国統一よりも、交易による既得権益を守る為に
独立政権建てましたみたいな感じの気がする。
116 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/09(木) 16:01:19
>>115
地方豪族が孫家を神輿にして集まってるのが呉だから
ほとんどの連中は最後の行の通り自分達の権益が一番大事だろうな
123 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 03:40:57
>>116
その史観はもう古いと思う
何でかっつうと呉だけでなく魏も蜀も豪族に担がれた神輿だから
104 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/08(水) 22:48:31
NHK歴史は動いた。
の赤壁で劉備は完全スルーだな。ざまぁwwww
そりゃ曹操と孫権の戦争なのだから無理もない。
105 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/08(水) 22:50:04
赤壁で劉備うんぬん言い出したらちょっとNHKを疑うわ
122 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/24(金) 03:38:46
>>105
NHKは時代の風潮に流されるからなぁ
むしろ劉備に触れない方がおかしいのに
船を焼いたのは孫権の配下達と曹操自身だが
撤退する曹操を劉備が追撃したのは史実だし
赤壁から江陵陥落までの一連の流れの中で
劉備が果たした役割ってとてつもなくでかいよ
赤壁前後で劉備のやったこと
・曹操に騎兵を使わせる(騎兵は全力で駆けるとしばらく行動不能に陥る)
・最初江陵に向かったので曹操は江夏の劉キを放置、
結果無傷の兵1万が保持されこれが後々大きな意味を持つことに
・撤退する曹操を追撃
・江陵攻めを周瑜とともに行う傍らで荊州南部四州を確保
(後漢時代から三国時代にかけてこの辺は人口爆発地帯)
・江陵を周瑜とともに落とす
125 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2008/10/26(日) 13:11:39
晋朝が統一を為した以上
国力的には問題はない
蜀の地は魏の頃に抑えていたわけで
呉の河川による防衛ラインは阪神付随
魏から晋への禅譲がなければ、
魏による統一であったろう
司馬一族と反シバ派の抗争がないぶん
むしろ早まったかもしれない
126 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 14:45:51
>>125
いや問題あるだろ
曹操死んでから数十年かかってんだぞ
128 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 18:44:25
>>126
そこは文帝の早死にが大きく関係してるかな
あと上で言われてるように人口が絶対的に少ないこと
129 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/26(日) 22:24:28
呉との戦にたいした水軍もいないのに曹操自身が出ていって決戦せずに
じわじわと陸上決戦してれば良かった。
数にモノ言わせる戦はしたことないはずなのに
130 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2008/11/01(土) 18:36:53
魏では統一不可だというほうがわからん
そりゃあ曹操の代では余命的に難しかっただろうが
魏ではムリだが晋だから可能だ
などと言っているのだろうか
11 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2008/10/06(月) 20:06:58
曹叡があまりにも単命なのと、正当な世継ぎが出来なかった奥向きが手薄だったこと。
これでFA