児童虐待の現実

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 正直、これを読んだ時に若干俺の暗い過去が蘇った。と言うのも俺の母親が同様の(と言ってもかなり軽度だったと思うが)行為を俺や妹や弟に振るっていたような記憶があるからだ。尻を叩かれるのはしょっちゅうだったし、無理矢理正座させられて説教食らう(足を崩せばどつかれる)ことなど日常茶飯事だったように記憶している。
 無論、俺自身記憶が定かで無い部分は多いし、今の風潮からすれば酷いと思えるだけで当時としては当たり前程度のことだったのかもしれない。
 
 ただ、俺は一回殺されかけた。
 
 アレは何時の事だったかも、何が原因だったかも今となっては覚えていない。ただ、脳裏に焼きついているのは、激怒した母親の表情と、俺に向かって投げられた幼児向けの本(厚紙で出来ている代物)と、それがはっきりとめり込んだ跡の残る壁だった……あの時の恐怖だけは、一生忘れる事は無いだろう。
 
 一応身内の名誉の為に言っておくが、俺の母親は普段は口煩いにしても別段恒常的に虐待をしていたとは思えないし、俺自身体に痣が残る程の傷を負った事も無ければ、食事を抜かれたり等の育児を放棄された覚えも無い。多分、ごく普通に育児熱心な母親なだけだったのだろう。
 だが、それでも、ただ一度だけの害意であったにしても、子供の心に大きな影を落としたことだけは、間違いの無い事実だ。子は親の鏡とは使い古された言葉ではあるが、やはり使い古されるだけの深い意味を含んでいると、俺は経験上確信している。
 
 さて、話は冒頭で挙げたblogに戻るが、俺個人としては子供たちの理屈の通らない行為の 数々を好意的に捉えるつもりは無い。蹴り飛ばしたくなる気持ちも判らないでもない。
 だが、実の子に対してはそれをやっては御終いでは無いだろうか?ましてや、年少時の親から受けた行為は子供にとって必ず何らかの影響を及ぼす。もっと寛容になれとは言える立場ではない、どうせ赤の他人のやっている事だ。正直、どうでもいい。ただ『太陽と北風』の例え話では無いが、力技ばかりでは子供の躾など出来ようはずも無い。動物の調教と同じに例えるのは言葉が悪いかもしれないが、飴と鞭を使い分けるべきでは無いだろうか。そして、鞭はあくまでも躾ける為に振るうのであり感情をぶつける為に振るってはならない。
 
 まぁ、実際に俺には子供が居るわけでなし、育児経験があるわけでも無い。全く蚊帳の外の人間が意見を言ったところで説得力の欠片も無いのは理解した上で、尚こうして一筆とってみた。それだけ、俺自身が何だかんだ言って虐待に対して嫌悪感を抱いているからであり、どんな人間であれ泣いていたり怒っていたり悲しんでいたりするよりも、笑っている方がいいじゃないかと言う俺自身の人生哲学に基づいていたりするかもしれない。
 
 尤も、最近は躾と虐待を取り違えて、子供が何をしても肯定的にしか捉えようとしない馬鹿な親も多いわけで。何と言うか、どうして人はこうして両極端にしか走らないのだろうか。(そういった人間が目立っているだけだろうが)